第三章 ―4―
海斗の問いに一瞬で目が覚めた私は、海斗と目を合わせられずに俯いた。沈黙が流れる。何か言った方がいいのは分かっていたが、何を言えばいいのかわからない。海斗は、夕月に何が遭ったのか知ったのだろうか。問いの内容から、何かを知ったのは間違いない。それならどこまで知っているのだろう。尋ねてみればわかるのかもしれない。でも、躊躇した。夕月が言っていないことまで話してしまうかもしれない。それに多分海斗は、私が夕月のことに”何かしらの関わりがあったのか”を知りたいのだ。でもそれだって、肯定すればいいのか、それとも否定すればいいのかわからない。黙っていたら、夕月に会わせて貰えないかもしれないのに。
「答えられないということは、君も加担して、」
「夕澄に余計なことを言わないで貰えますか?」
襖が開かれる音がして、懐かしい声が聞こえた。
海斗のため息と、煉華の驚く声が聞こえる。私は顔を上げられなかった。ため息と、近づいてくる足音が聞こえる。名前を呼ばれ、恐る恐る顔を上げる。そこには、こちらに来てからずっと探し求めていた夕月の姿があった。横に来ていた彼は私の肩を叩いて、気にしなくていいと言う。私が首を振ると、困ったように笑った。
「俺は、こんなことをしてくれと頼んでいませんが」
「そういうが、俺は医者なんだ。原因になっている可能性が高い人間に安易に会わせられるか」
「夕澄は関与してません。そもそも俺たちは最近まで一緒に住んでいなかったから、こいつには無理ですよ」
夕月は海斗に向き合って、厳しい声で苦情を言う。彼らの言い合いを見ながら、私は夕月が無事なことに安堵していた。酷い怪我もなさそうだ。
煉華に名前を呼ばれる。煉華は夕月を見て、凄いそっくりで驚いちゃったと小さな声で私に言った。
私と夕月は、男女の双子にしては良く似ている。夕月が体格がいい方ではなく背も高い方ではないことからかもしれないが、普通の姉弟以上に似ていると言われるくらいにはそっくりらしい。夕月の方は髪を伸ばせば見分けがつかないんじゃないかとからかわれたことがあるらしいし、私自身、夕月がいないところで夕月の顔見知りに声を掛けられたことが何度もある。
海斗が最初私の所に一直線に来たのも、他の人が顔見知りであったという以外にそういう理由もあるのだろう。私が‟夕澄”だと、確信を持っていたようだった。
「元気そうで、良かったね」
煉華が私に笑いかける。彼女の微笑みに安堵しているような色が見えた。
煉華は先程口を一切挟まなかった。彼女だって、私と夕月の間に何があったのか気になっている筈だ。でも、夕月を心配していた私の気持ちを汲んでくれている。何かしら訝し気な態度を取られてもおかしくない筈なのに、私の心配をしているようだった。
甘やかされているような気がする。夕月もそうだし、煉華にも。私は、そんなに甘やかされてもいい人間なのだろうか。そんな資格があるだろうか海斗が、私の責任を追及しようとしたことの方が、本来正しいのではないか――。
夕月の方に目を向ければ、彼もこちらを見ていた。いつのまにか言い合いは終わっていて、海斗の視線もこちらに向けられている。海斗がこちらをじっと見ている。そのまま目を合わせていれば、不意に向こうから逸らされた。海斗はため息をついて、夕月に目を向ける。
「確かに、夕澄はあまり関与した訳じゃなさそうだな。それにしてもお前、なんでここに? まさか一人できたんじゃないだろうな」
「貴方が夕澄をこちらに来させた意図は分かっていましたから、動くなら今日しかないでしょう。それに、今回のことが知られると少しまずいのでは?」
夕月の言葉に、海斗はもう一度ため息を吐く。彼は私に謝罪を告げた後、夕月を送るといって部屋を出た。それに続いて部屋を出ようとする前に、夕月が私に振り返って微笑んだ。
「また明日」
そう私に告げて、煉華にも挨拶をしてから彼は部屋を出ていった。暫く襖を眺めていると、私たちももう休もうと、煉華が声を掛けて来る。夕月と海斗がいなくなっても、彼女は何もいわない。気にならないのか、と尋ねることが怖かった。
煉華は、そんな私の気持ちを汲んだのかもしれない。隣通しに敷かれた布団に入った後、彼女は私に声を掛けてきた。
「私はこの世界に来てからの夕澄を見てきた。だから、夕澄が話したくないことを聞く必要があるとは思わない。でもね。苦しくてどうしようもないなら、私か、常和がいることを忘れないでね」
おやすみ、と言う彼女に、言葉を返せなかった。本当に皆優しすぎる。そして、その優しさに甘えてしまおうとしている自分が許せなかった。
翌朝、夕月に久しぶりに会った振りをする自信がなかった私は、前日に彼に会ったことだけをその場にいなかった二人に話した。夕月の口ぶりだと、海斗が昨日来たことを話さないほうが良いと思ったのだ。煉華も、察してくれたのか海斗のことには触れなかった。
「良かったな。少しでも早く会いたかったんだろう」
常和は驚いた様子は見せたが、いつものように私の頭を撫でて、そう言って笑ってくれる。和真のほうは、驚いた素振りは見せたが何も言わなかった。夕月に会うことになっている広間に向かっている途中、煉華が、私と夕月が似ていることに驚かないように、と常和に笑いかけていた。常和が訝し気な顔をしているのが少し可笑しかった。煉華は余程私達が似ていることに驚いたらしい。
朝食は、夕月と海斗を含め全員で食べることになっている。夕月にもう会ってしまったことで随分と気持ちが楽になっている。もし今日が初めてならばきっと食事どころではなかった筈だ。
広間には、海斗も夕月も既に待っていた。常和と和真が息を呑む声がする。煉華がだからいったでしょうと笑っている。しかし夕月が彼らに挨拶した時、その評価はひっくり返ったようだ。
「夕月様は所作が見事ですね。欠点など何もない」
「私は育った環境が多少特殊だったので」
和真の言葉に夕月が微笑んで返す。昨日、私と会った時とは違う所作に、私との差を感じた。一人称も私と話す時とは違う。その差が距離にも感じられて胸を差す。和真だけでなく常和も煉華も驚いているようだった。多分三人とも、夕月のイメージは私を基に作られていた筈だ。外見は似ていても私達は中身はまるで違うから、三人の反応は予想できるものだった。それに、こういうことには慣れている。
「私には夕澄と同じように接してください。その方がお互い過ごしやすいでしょうから。私も――俺も、なるべく夕澄に接する時と近いようにします」
夕月のその言葉に、常和が、そして意外な事に和真も安心したように息をついた。煉華がこっそりと、夕月の所作に二人が多少気負っていることを教えてくれる。そんなものかと思うが、私も夕月の所作を見ていると圧倒される時があるから少し納得出来た。
顔合わせが済んで料理が運ばれてくると、真面目な話が始まった。私達がこちらに来た目的、人妖のことを話し合わなければならなかった。しかし私と夕月は食事に集中するようにと、二人で端の方に座ることになる。食事を始めようとすると、海斗が何か夕月に耳打ちして、夕月が苦笑いして首を振る。首を傾げると、夕月に気にするなと言われた。
「隠し事は、しないでね」
呟くようにいうと、夕月が困ったように笑う。
「大丈夫。心配するな」
私が何を心配しているのか、彼もわかっている。でもその大丈夫を私は信用出来ないのに。彼自身のことを、彼は容易に隠してしまうから。それでも、彼は隠すと決めたことは言わない。それがわかっているから、なるべく傍に居たい。隠し事をしていてもすぐに気が付けるように。
隠し事をするなといっても無駄だ。でも、彼の重荷を少しでもおろしてほしい。一人で背負わないでほしい。そう思うから、隠し事をするなと言うことは止められなかった。彼がいつか、自分は誰かに頼ってもいいと思ってくれるように。それが、たとえ私ではなかったとしても。
「涼優は、海産物が有名なんだと。こっちでは貴重らしい」
夕月に言われて、初めて料理に焼き魚があることに気が付いた。そういえばこちらに来てからあまり魚を食べていない。海に近い涼優だからことできることなのだろう。適度に塩が聞いていて美味しい。懐かしい味に思わず顔が綻ぶと、夕月が笑った。
他愛のない話をする。こちらに来てから私がどんな生活をしていたかも話した。夕月は、私の待遇が酷いものである可能性も考えていたらしい。良かったなといってくれた。
話がこの世界にくる直前のものになると、私は誰かに突き落とされたことを彼に話した。階段から落ちる時にかばってくれた彼には、あの時落ちた理由を聞いてほしかった。いくら私のことが気に入らなくても、いくらなんでもやり過ぎじゃないかと苦笑いしていうと、彼は私が突き落とされたということに驚いた様子もなく、訝し気な顔でこちらを見ていた。
「お前、見てないのか」
「え、何を? 突き落としてきた人? 笑ってるのはわかったけど、誰かまでは分からなかったよ」
そんなことを考えている余裕はなかったと答えると、夕月は数秒押し黙る。
「……俺たちはなんでこの世界に来たんだと思う」
暫くして、彼は私にそう訊いた。
それは私も気になっていたことだが、考えても分かるわけではないと、最近はあまり気にしていなかった。夕月はどう思っているのか尋ねると、彼は私の目をじっと真剣に見て口を開く。
「これは俺の予想、というより確信に近いけど。お前を突き落とした奴が、その訳を知っている筈だ」




