閑話1 リサの優雅な貴族生活(1) お馬はみんなパッパカ走る
5月らしい晴れ上がった青空の下、私、リサ・ロッテンマイヤー侯爵は、生まれて初めて府中本町の駅に降り立った。
今日は職場の同僚である清美さんに競馬観戦に誘われたのだ。
競馬といえば貴族の社交の場。ローデシア王国にいた時は、よく競馬場の貴賓室から各家の持ち馬が競争する姿を、ワイングラス片手に優雅に観戦したものだ。
……しかし、さっきから行き交う庶民たちにジロジロと見られている気がする。まあ、私みたいな気品あふれる美しき貴族令嬢が注目を集めるのはいつものこと……。
「お待たせ~って、リサ!すごい格好だね~。そんな羽根が付いたどでかい帽子とか、ふわふわなドレスとか、どこで買ったの~?」
今日の待ち合わせ相手、清美さんが目を丸くしながら現れた。清美さんはジーンズにTシャツというラフな格好。
まさか、日本での競馬観戦はそんなラフなスタイルが普通だったの?
「いや……これは我が家に代々伝わる由緒ある訪問着で……」
場違いかもしれないと少し恥ずかしくなった。だけど清美さんはあまり気にしてないようで、「じゃ、行こうか!」と先に立って歩き出した。
そうだよね。こういう時はむしろ堂々としていた方がいい。私は背筋を伸ばし、周囲の注目を楽しむふりをしながら、そそくさとした足取りで東京競馬場へ向かった。
◇
清美さんと最初に向かったのはパドック。ここで次のレースで走る予定の競走馬を見られるらしい。
「清美さんの持ち馬はどれなの?」
「あたし?あたしは、次のレースは3番と5番を軸に、3-5―7とか、5-3―8とかで勝負するつもり。リサは?気に入った馬いた?」
「う~ん……よくわからな……」
そう思って馬の方に顔を向けると、最後に出て来た馬と目が合った。その馬は、もの静かで落ち着いた様子だったけど、その黒い目には静かな闘志が宿っている。
「あの、9番の馬かな」
「え~っ、あの馬はあんまり戦績も良くないし、このレースを最後に引退させるって噂も……まあいいわ。じゃあ馬券買いに行きましょ!!」
清美さんに引っ張られるようにして馬券販売機の前に連れて来られた。
賭け事は気が進まなかったけど、これも付き合いだし仕方ない。馬券販売機でさっきの9番の馬を単勝で100円だけ買った。
「えっ、すごいっ!!本当に9番が来た!!的中じゃん!!」
9番の馬が独走でゴールラインを超えた時、それまで歓声をあげていた清美さんが興奮そのままに私の肩をバシバシ叩いた。
「すごい!単勝だけどオッズが15倍ついてるよ!」
つまり100円が1500円になったってこと?うそっ!すごい!
その後、払い戻された私の1500円は、次のレースで5000円になり、1万円を超え、やがて5万円近くなっていた。
パドックで馬の目を見て、一番やる気のある馬を見つけて、その馬券を買う。ただそれだけ。
それなのにこんな簡単にお金が増えるなんて!!お金を稼ぐってこんなに簡単だったんだ!!
ドラッグストアでのアルバイトを辞めて、これを本業にしてもいいかもしれないな……。
そうほくそ笑んでいると、あっという間に時間が過ぎ、とうとう最終レースとなった。
「さあ、次はどの馬が来そうなの?教えてちょうだい!!」
パドックで、清美さんが食いつくような視線を向けて来た。いつの間にか清美さんは、自前の予想をあきらめ、ただひたすら私が選んだ馬を買うだけになっていた。
「う~ん、難しいな……」
最終レースは、結構大きなレースのようで、18頭も出走するらしい。しかもどの馬もやる気に満ちていて甲乙つけがたい。
これはわからないかも……。そう思っていた瞬間。最後に出て来た馬の目にひときわ強い炎を感じた。
その馬が私の近くまで回って来た時、その目に向かって語りかけた。
「いける?今日は走れる?」
「任しておいてください姐さん!!どんな手を使っても一着になって見せます!」
その馬の目はそう言っている気がした。どんな手を使っても勝つ!それこそローデシア王国の貴族なら誰でも知ってる必勝の戦陣訓。
「18番……かな?あの馬が一着になる気がする」
私がそうつぶやいた瞬間、周囲がどよめきに包まれた。
「あのクジャクの帽子の姉ちゃんが18番って言ってるぞ!」「18番?大穴じゃないか!」「でも、あの百発百中のクジャクのねーちゃんがそう言ってんだぞ!来るに決まってるだろ!」
周囲からそんな囁き声が漏れた。しかも18番の馬のオッズが下がり始めたという声すら聞こえてくる。
「……わかった。私もリサを信じる。全財産を18番の単勝に賭けるわ!!」
そんな清美さんの勢いに押されて、私もこれまでの払戻金、それから持ち金をすべて18番単勝馬券に投じた。
もしこれに勝てば、いくらになるだろう?
まとまったお金が入れば、ネチネチうるさい一郎に食費を叩きつけてやることもできる。
いや、それどころか陛下とともにもっと広い家に引っ越すことができるかもしれない。そうすれば、リビングで性欲がピークの高校生を横に、貞操の危険を感じながらビクビクしなきゃいけない雑魚寝生活ともおさらばできる!!
私は馬券を強く握りしめた。徐々に心拍数が上がるのを感じる。そんな心臓の高鳴りは、ファンファーレが鳴り響き、ゲートが開いた瞬間に最高潮になった。
「あっ、来たよ!ファイアサイレンスが来てるよ!!」
レースは、序盤から私が馬券を買った18番、ファイアサイレンスという名前の競走馬が先行した。1000m、1500mまで、どんどん後方と距離を広げ、もはや独走態勢に入った。
「やった~!そのまま、そのまま逃げて~!!」
清美さん……じゃない、これは私の声だ。いつの間にか絶叫している自分に驚く。
しかし、このレースの距離は3000mと長い。2000mを超える頃から少しずつ後続との距離が縮み始めた。
こうなると一気に不安になる。まるで心臓を握りつぶされたかのような胸の痛みを感じる。
もう少し、もう少しだから、頑張れ、ファイアサイレンス!!
しかし私の願いは届かないのか。後続馬の鼻先がファイアサイレンスの尻にかかり、並びかけた。
ああ、抜かれちゃう!もうだめだ……。
あきらめかけたその時だった。
最後の力を振り絞ろうとしたのだろうか?ファイアサイレンスは首を大きく横に振ると、後続をかわし、一番にゴールラインを通過した…。
◇
ファイアサイレンスがゴールラインを超えた30分後、私は清美さんと二人で多摩川沿いの道をとぼとぼと歩いていた。
「いや~惜しかったわね~。あとちょっとだったのに……リサが言う通り勝ちたい気持ちに溢れてるいい馬だったわね。だけど、まさかあんなことするなんて」
「すみません……」
レースのゴール間際。後続馬に抜かれそうになったファイアサイレンスは、首を振って後続馬に噛みついた。その勢いに後続がひるんだせいで一番早くゴールラインを通過したけど、当然妨害失格になってしまったのだ。
もちろん私が勝った馬券は紙くずになった。引っ越しの夢は泡と消え、帰りの電車賃すらなくなり、こうして多摩川沿いを歩いているのだ。
「あらっ?リサ、スマホが鳴ってるわよ」
「あっ、一郎だ。もしもし?どうした?あれっ……?切れちゃった。失礼な奴だな~」
「じゃあ、あたしはここで失礼するわね~。また遊びに行きましょう!」
優雅に脇道に入っていく清美さんに手を振りながら、なぜか胸騒ぎがした。
ちょっとGPSを見ておくか。いざという時のために一郎のスマホに仕込んでおいてよかった……。




