第四章 未来なき戦争
あらすじ
バルカン大同盟の世界に向けた発表によって独墺帝国内での問題が明るみになり世界は震撼し、独墺帝国はバルカン侵攻に向け大規模な軍備増強を始めた。そしてその中でトルコでは独墺帝国将軍「エルター・ヴァイス」の策略により軍部が政権を手にするも、ソ連、イラクの侵攻の前に2年足らずで崩壊しこの危機に対しトルコ政府は中東を中心に「中東安定圏」を形成することで中東の秩序維持を開始した。そして東アジアでは日本の民主化に成功し、これに反発する元傀儡国「満州国」は日本政府に対して銃を向けるまでに至り、中国共産党は現状の混乱に乗じ日華共和国内でのゲリラ活動を活発化させるのだった。
1950年8月、世界が最も恐れていた日が来た。この日は5年前の独墺帝国がバルカン大同盟に対して贈った最後通牒の期限日だ。バルカン半島は静寂に包まれ、両軍は塹壕や各軍のテント内で指示を待っている。そしてその静寂を破ったのはエルター・ヴァイスバルカン戦線総司令であった。彼はトルコ戦争を経て陸軍元帥に昇進し、正式にバルカン戦線の最重要人物になった。彼は各部隊に向け無線を通して指示を出した。
「現在時刻、12時0分。バルカン大同盟からの声明はなし。全軍、攻撃開始!反逆者に制裁を!Angriff!ハイルヴァルター!」
その掛け声とともに開戦の火蓋が切られ、バルカン半島は一瞬にして戦火にのまれた。独墺帝国軍の戦力はすさまじく、全戦線でバルカン大同盟は苦戦を強いられ戦力は歩兵だけでも3倍、機甲師団を加えればそれ以上の差が生まれている。航空戦でも独墺帝国はこの戦場に約500機もの戦闘機、近接航空支援機を展開しバルカン大同盟兵は日々、多大な犠牲を払っていた。この戦争が始まってわずか3ヶ月でブルガリア首都「ソフィア」が陥落、さらに独墺帝国軍は進軍を続けその翌月にはブルガリアとギリシャをつなぐ最後の陸路を分断した。これを受けブルガリア政府は戦線維持の困難を理由に降伏。ブルガリア政府は事前の取り決め通りイタリアに亡命し、ブルガリア降伏後の2か月後ルーマニアも同様に降伏した。政府官僚は一部は降伏したものの多くは最後まで戦うことを決意し地下壕に避難しレジスタンス活動に加わることになった。そしてバルカン大同盟の最後の主要国であるギリシャであるが山岳地帯に海峡という攻撃側にとって適さない地形であることから大陸から追い出されるまで進軍されるも首の皮一枚で首都「アテネ」の維持に成功した。ギリシャ政府は国民に「我々は最後まで戦う!これからを生きるみたいの子のため!」とプロパガンダを流し続けその国民に国民が答えるようにこの地域では連日レジスタンスの影響で独墺帝国は苦戦を強いられることになる。そしてこの戦争が始まった翌日、日本国は民主化運動の活性化と対独墺包囲網の一員として民主連合への加盟を宣言し、さらに日華共和国も将来的な参加を表明した。
一方イタリアではブルガリア政府や避難民を保護し始めた時に独墺帝国より最後通牒が届いていた。イタリア政府は直ちに国民の国家非常事態宣言を出し、国境には多くの軍隊が終結した。避難民の多くはギリシャから民間船で避難しておりそれに追い打ちをかけるように独墺帝国が港から対戦車火器を用いて攻撃していた。彼らは「反逆者を逃がすな!愚か者には死を!」を叫び老若男女問わず殺害し、港でもすでに多くの地と死体が散らばっていた。これを見たイタリア海軍は目の前の後継に唖然としていたが一人の提督がこぶしに強く力を込めて歯を食いしばっていた。周りの船員は同じように攻撃するべきだと声を出そうとするも現在の立場を理解し、下を向いてこらえるしかなかった。そんな中で1950年11月、独墺帝国はイタリアに対し避難民の移送とブルガリア亡命政府の移送拒否を理由に宣戦布告した。これを受けすべての戦線で攻撃が始まった。イタリア軍を撃破するべく対峙した独墺帝国軍の総司令は「フェードア・ブラウン」であった。彼は大戦争では西部戦線の英雄と呼ばれ、ロシア軍を適宜投入し見事フランス都市「ランス」を陥落させた将軍であった。さらに今回では重戦車機甲師団を展開し、イタリア軍を粉砕していた。開始から半年でヴェネチア全域を制圧しさらに進軍するとイタリア軍以外に別の軍も参加し始めていた。それはフランス軍であった。この時、フェードアは即座に判断し機甲師団を南に集結させるように指示した。だが、陸でも勝利に対して海軍は敗北続きだった。開戦前に展開した地中海艦隊は5回にも満たない海戦で大部分が敗北し戦艦2隻、空母2隻、その他護衛艦30隻が沈没した。その結果バルカン沿岸にてイタリア海軍の徹底的な沿岸砲撃により陸軍は戦場以外でも被害も増え始めることになった。これにエルガーは「陸軍が強くても海が役に立たないと被害は増えるばかりだな。まったく」と少しため息をついていた。そして1951年6月、イタリアに向けて第二次大規模攻勢をフェードア・ブラウンの指示のもと開始され、この攻勢でイタリア首都「ローマ」陥落に成功した。これを受け、民主連合は「世界の民主主義」を守るためとイタリアとの秘密条約により開戦を決定。ローマ陥落の翌日にフランス、イギリス、アメリカ、日本が独墺帝国にイタリア防衛という理由で宣戦布告しイタリア、フランス戦線に軍を展開した。しかし、これも独墺帝国軍の方が一枚上手だった。フェードアはすぐに別で展開していた機甲師団を持ち出で進撃し、フランスの防衛線を破壊した。フランス将軍は各地の敗走を見て即座にパリを最終防衛線とし、多くの舞台がこの地にて迎え撃とうと立ち上がった。そしてフランス宣戦布告から4か月の1951年10月ついに欧州最大の都市攻略戦である「パリ攻防戦」が始まった。この地にはフランス軍が15万人、イギリス、アメリカ軍が10万人の計25万人、さらに機甲師団を計30個師団展開し、たいして独墺帝国軍は歩兵18万、重戦車機甲師団を10個師団、加えて軽戦車師団などの機甲師団を合わせて22師団を展開した。この決戦は大戦争の再来と呼ばれるほどの激戦で、航空戦も空を多い光が入らないほどの煙が広がっていた。各地で銃声や砲弾の音、誰かの叫び声が響き多くの兵は敵味方問わず「地獄のようだ」と口にしていた。その地獄の攻防戦が5日休むことなく続き、ついに独墺帝国軍がパリを制圧した。これにより、フランス軍の最終防衛線が瓦解すると各地で敗走を繰り返し、ついにフランス臨時首都「リヨン」が陥落するとフランス政府はアフリカに徹底抗戦を宣言し、亡命した。そして多くの軍は北からはイギリスが、南からはイタリアがそれぞれ海軍を出し護衛することで連合軍は被害を最小限にとどめ、大陸から撤退することができた。このパリ攻防戦で連合軍は約22万人、独墺帝国は約14万の被害を出し航空機や民間人を含めるとこの市街地戦で60万人以上の人が犠牲になった。これに対しブラウン陸軍元帥は総統に対し「パリ、ローマを制圧しました。被害は想定より膨らみましたが減った兵士は各地の捕虜や民間人を使って補填するので問題はありません。ほかの戦線はいかがでしょう?」と連絡し「問題ない。バルカン半島の掌握まであと一歩のところだ。ヴァイス元帥は今度はうまくやってくれたようで安心した。君の言うとおりだったな」と返答が届いた。そして続くように「ブラウン元帥にはこれからフランス、イタリアのレジスタンスの撲滅に努めていただきたい。地味な仕事だがこれなくして戦争の締結までは維持できないだろう」そういい、ブラウン元帥は返事をした後にすぐに部下にはいと死体だらけになったパリの掃除ととある施設の建設を指示した。その翌月の1951年11月シチリア上陸に成功した独墺帝国軍によりシチリア半島が制圧されるとイタリア政府はアフリカ経由でロンドンに亡命した。
各地での大勝を続け、大きく躍進した独墺帝国はレジスタンス掃討に専念していく中で開戦も始めていた。ドーバー海峡では米英仏連合艦隊と大洋艦隊が接敵した。独墺帝国海軍はここで敵艦隊を徹底的にたたきロンドン決戦に持ち込むことを想定し、大洋第二艦隊とフランスからわずかに入手した護衛艦を交えて決戦した。連合艦隊は空後9隻戦艦15隻その他47隻の合計61隻の大艦隊であり、対する第二大洋艦隊はっ空母1隻戦艦5隻護衛艦13隻の合計19隻の艦隊であり、海軍提督としては陸軍についていくように結果を残そうと挑んだが結果は数字を見ればわかるように連合艦隊は戦艦1隻が大破、1隻が中破し護衛艦は6隻が大破、3隻が中破となったが第二大洋艦隊は戦艦3隻がその場で撃沈、さらに護衛艦も連合艦隊の追撃により10隻が撃沈する大敗になった。首の皮一枚で帰港した第二大洋艦隊は再度出撃を要請するも総統閣下の作戦中止の指示を受け、さらに今回の大敗を受け大洋艦隊の統合を宣言、さらに第二艦隊の提督を更迭する事態となった。これによってハンブルクでは大規模改修工事が行われ多くの民間港が軍部が利用できるように改修されることとなった。さらにその指示を受け海沿いに住んでいた人は内陸都市への移住誘導が行われることになった。その避難民は3万人に上り、その中の一人少し変わった老人がいた。彼は避難誘導を受けている中で軍の顔を少し覗きまたすぐに下を向いて移動し始め、その周りには連れのような人物が少し集めのコートを羽織って囲うように歩いていた。一部の誘導中の軍人は違和感を持つもそれを口にすることはなく、何もなかったように誘導を再開した。
軍が通り過ぎると一人の老人を囲っている中の一人の青年が老人に声をかけた。「まだ始まったばかりです。もう少し我慢しましょう。きっとこの国は変わる機会が来ます。それも国民を救える最後の機会が」その言葉に頷く老人を見て青年は少し安心していると老人が突然足を止めた。「待て」その言葉に周囲は少し戸惑いながら周囲を確認した。すると老人はゆっくりと口を開いた。「北へ行こう。スウェーデンまで。そこならきっと話ができるはずだ」その言葉に周囲は少し驚き、すぐに一人が止めに入る。「落ち着いてください!北は今大洋艦隊の敗戦により多くの軍がいます。下手に止められると...」その言葉をさえぎって老人は話した。「国民が苦しみ、世界が抵抗している中で我々だけが黙って崩壊を待っては未来のドイツに自由も平和もないだろう。その先にあるのは周囲の民族から目の敵にされ、差別され、悪の象徴として立つドイツ人だ。それだけはあってはならない。この負の連鎖をこの戦争で、そしてこの時代で終わらせるのだ」その言葉に周囲は覚悟を決めたような顔に変わり全員が北に向かって前進し始めた。
そんな中で独墺帝国ではレジスタンス意外に別の問題が発生していた。それは食料、さらにレジスタンス処理の収容所の不足だ。独墺帝国は世界最大国家として君臨していながらも主要な貿易相手は南米がほとんどだった。しかし、海軍の大敗や距離的な問題から通商路が守れず輸入できない問題が発生していた。さらにウクライナの食料もソ連とトルコの戦争時にトルコを支援したことで利権を実質的に失うことになり、唯一貿易している北欧も食料が少なく安定しないという問題を抱えていた。これを受け、ヴァルター総統は「スラブ資源構想」を立ち上げた。これはスラブ系民族を燃料とし、自国に必要な資源、食料を生産するというものであり、まずは国内のスラブ系民族に対して食料の提供禁止、給料制度や休日、さらには労働時間すらも雇用主が決められるように定められた。つまりこれは雇用主によっては給料なし、休みなし、24時間労働が認められたようなものである。さらに「スラブ人」としたのは実質的な賞ら汽笛にソ連への侵攻を視野に入れたことも誰が見てもわかる構想であった。ソ連諜報部がこの構想を確認すると即座に開戦準備に取り掛かり中東にて待機していたアレクセイ・ヴォロノフ陸軍元帥にも移動指示が来ていた。彼は移動指示の命令書を読みながら「あの国がいよいよ滅亡戦争をする気になったか。ドイツ系民族が滅亡するか、それともスラブ系民族が滅亡するか」そう言いながら彼はテントを出て全軍に移動指示を出した。
そしてそんな欧州では大戦争でもちきりの状態で東アジアでも大きな火蓋が切られていた。
to be continued...




