5話 「兄弟のスキル発動」
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バウンティ・ハンター登録所の空気は、重かった。
剣を研ぐ音。墨の筆が走る音。低く唸る声。
壁際に並んだ傭兵たちの鎧の隙間から覗く傷跡が、言葉よりも多くを語っていた。
ヤマトは掲示板のランク表を読みながら、頭の中で整理していた。
「ランクは律への脅威度で決まる。F・E級が軽微な違反——生活費程度の報酬。D級が一般的な追跡対象——旅費になる。C級が組織の確保。B級が高度な単独異能者。A級が特に危険な律違犯者。S級は帝国の中枢に影響を及ぼすレベル——今の俺たちが手を出す相手じゃない」
「まずどこから始める」とアイクが訊く。
「D級で肩慣らしのつもりだったが」
ヤマトは一枚の紙に目を留めた。
《人さらい組織C級:討伐・確保・情報提供対象》
活動範囲:バルド南部。被害報告:複数。少女の失踪。
「少女の失踪」という文字が、目に刺さった。
アイクが無言で紙を引き抜いた。
「これにする」
「予定よりランクが高い」
「知ってる」
それ以上の会話は必要なかった。
南部の街道に出た頃、日は傾きかけていた。
風が変わった瞬間、ヤマトは足を止めた。
(……人の気配。複数。木々の向こう)
多重演算が静かに走り始める。
風向き。足音の間隔。枝の揺れ方。
それらが瞬時に統合され、一つの答えを弾き出す。
「アイク」
「わかってる」
悲鳴が、静寂を裂いた。
少女の声だった。
木々を抜けた先に、馬車があった。
高価な造りの馬車が、道の真ん中で止まっている。
周囲には二十人を超える男たちが群れていた。
護衛が数人、既に地に倒れている。
残った護衛が三人、必死に刃を振るっているが、じりじりと追い詰められていた。
「《カゴノトリ》だ」とヤマトは呟いた。
「組織的に動いている。統率が取れている」
「スキルは」
「まだ使うな。まず素でどこまでやれるか見る」
アイクは頷き、剣を抜いた。
最初の五人は、呆気なかった。
アイクの剣は無駄がなかった。
踏み込み、角度、タイミング——全てが、幼い頃から叩き込まれた動きそのままだった。
一人が倒れ、二人目が崩れ、三人目が後退した瞬間に四人目の喉元に剣先が触れていた。
(父上の指摘通りだ。足を入れろ、刃の角度を変えろ——それだけで、こんなにも変わる)
アイクの胸の奥で、何かが熱くなった。
懐かしさではなく、悔しさでもなく——父の言葉が、今になって形を持ったことへの、複雑な感情だった。
一方ヤマトは、動きを止めた。
敵が正面から斬りかかってくる。刃が、顔の間近を通り過ぎた。
(……当たれば、死ぬ)
前世の記憶が揺れた。
あの世界では、人が人を傷つけることは「異常」だった。
戦いは画面の向こうの出来事で、血の匂いがするものではなかった。
だが今、目の前に人がいる。
倒さなければ、あの馬車の中の子供が——
(動け)
身体が先に動いていた。
思考より一瞬早く、記憶の底から引き出された動きが、指先まで走り抜けた。
父の剣。兄の跳躍。かつて屋敷の騎士長が見せた回避。
それらが混ざり合い、一つの動作として出力される。
敵が崩れた。
ヤマトは息を吐いた。手が、わずかに震えていた。
(これが、戦うということか)
葛藤を閉じ込め、走り続けた。
残り半数になった頃、空気が変わった。
敵のボスが前に出た。
四十がらみの大柄な男で、右手に嵌めた手甲が赤く光り始めている。
その熱量が、数メートル先からでも肌に届いた。
「やるじゃねーか、小僧ども」
声は余裕を装っていたが、目が違った。焦燥が混じっている。
「だが、これを防げるか——!」
直径一メートルを超す真紅の炎の球が、急速に形成されていく。
熱波が押し寄せる。空気が歪む。草が焦げ始めた。
周囲の《カゴノトリ》の残党たちが、反射的に後退した。それほどの熱量だった。
「ヤマト、下がれ」
アイクが前に出た。
剣を正眼に構える。息を、吐く。
炎の球が、解き放たれた。
轟音。熱風。視界が赤く染まる。
その瞬間——
アイクの剣が、振るわれた。
――《裂空》――
音が、消えた。
熱が、消えた。
世界から「燃える」という概念だけが、一瞬だけ切り取られたように——炎の球が、その形のまま動きを止めた。
次の瞬間、赤い塊は黒い煤の固まりに成り果て、音もなく地面に落ちた。
砕けて、散った。
沈黙。
誰も動かなかった。風さえ止まったように思えた。
「……ば、馬鹿な」
ボスの声が、震えていた。
「あの炎を——剣一本で——」
「律の話だ」
アイクは剣を下ろしながら、静かに言った。感情はなかった。ただ確認するように。
「炎が燃えるのも、律の上に成り立っている。その律を断てば——残るのは、ただの煤だ」
ボスが後退した。足がもつれている。
残った残党たちが、ヤマトへ向かって動いた。
十人。一斉に。
ヤマトは目を閉じた。
――《多重演算》――
頭の中で、複数の思考が同時に走り始める。
正面の男の重心。左から来る刃の角度。右の男の踏み込みの癖。背後の足音のリズム。
全てが、並列に処理される。
目を開けた。
世界が、少しだけ遅く見えた。
最初の一人が踏み込んでくる——ヤマトの身体が、それより先に動いていた。
刃を紙一重でいなし、その勢いを使って半歩ずらす。
次の男の剣が、ヤマトがいた場所を空振る。
三人目が横から来る。ヤマトはその軌道を「既に知っていた」かのように躱し、足払いをかけた。
考えていない。身体が、演算の結果をそのまま出力している。
(これが——多重演算か)
十人の動きが、頭の中で同時に見えている。それぞれの次の一手が、確率として並んでいる。
一人が崩れ、二人が倒れ、三人が後退した。
ヤマトは動き続けた。思考ではなく、演算に従って。
最後の一人が震えながら後退した瞬間、その背後にアイクが静かに立っていた。
「残り一人だな」
残党が膝をついた。
ボスは気絶させ、残党は拘束した。
馬車の扉を開けると、小さな少女が怯えた目でこちらを見ていた。
妹と、大して変わらない年だ。
アイクは何も言わなかった。ただ、少女の前に膝をついた。
目線を合わせて、静かに言った。
「もう、大丈夫だ」
少女の唇が震えた。それから、小さく頷いた。
付き人の女性が深く頭を下げた。
「リュミナお嬢様も、お礼がしたいと——」
「いえ」とヤマトが言いかけたとき、少女が先に口を開いた。
「うちに泊まっていって。お礼がしたい」
ヤマトはアイクと顔を見合わせた。
「……それは、本当によろしいのですか」
少女はこくりと頷いた。迷いのない目だった。
グラシア伯爵家の屋敷は、バルドの中心に位置する石造りの建物だった。
門をくぐると、律式の光が柔らかく二人を迎えた。
(律式が、生活に溶け込んでいる)
ヤマトはその光を見ながら、ゼラントス家のことを思った。
あの家では律式は「甘え」だった。水を汲むのも、火を熾すのも、全て自分の手でやることを求められた。
それも修行だと言われて。
今となれば、その意味がわかる。律に頼らない身体を作るための、遠回りな鍛錬だった。
応接室に通されると、威厳ある男が現れた。
グラシア家当主、エルネスト・グラシア。
背筋の伸びた姿勢と、静かな眼差しが空気を引き締める。
「本当にありがとうございました。お名前を」
アイクが一瞬、言葉に詰まった。
「ヤマトです」
「アイクです」
家名は言わなかった。エルネストは何も問わなかった。
ただわずかに頷き、言った。
「この家は、恩を忘れません」
その夜、浴室の湯気の中でヤマトは目を閉じた。
戦いの余韻が、まだ手の中に残っている。
剣を握った感触。刃をいなした瞬間の重さ。演算が走り続けていた、あの感覚。
それが消えないうちに、別の記憶が浮かんできた。
父の剣。訓練場の朝の空気。
「足を入れろ、刃の角度を変えろ」という声。
(父上の言葉が、今日初めて本当の意味を持った)
指が、湯の中でわずかに動いた。記憶の中の動作をなぞるように。
涙が頬を伝った。誰にも見られない場所で、静かに、確かに。
今日初めて人を傷つけた。倒した。
前世の自分なら、きっと眠れない夜になっていた。
だが今は——不思議と、迷いより先に、確信が来ていた。
(あの馬車の中の子供を守れた。それだけで充分だ。これが俺たちの戦い方だ)
スキルはまだ理解しきれていない。多重演算の限界も、どこまで演算できるのかも、まだわからない。
だが今日わかったことがある。
頭の中に積み上げてきた記憶——父の剣、兄の動き、見てきた全ての動作——それが全て、武器になる。
ヤマトは湯の中で拳を握った。
その夜、二人は屋敷の寝室で眠った。
柔らかい布団の感触が、どこか遠い場所のもののように思えた。
カレンの痕跡はまだ遠い。
だが今日、二人のスキルは初めて実戦で動いた。
初めて試し、初めて手応えを掴んだ。
足りないものの多さが、はっきりした。
だからこそ——次が、ある。
夜の屋敷に、静寂が満ちていた。
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