18話 「ヒナカミ御前大武会」
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竹林に月が差していた。
アイクは胡坐をかいたまま、目を閉じていた。
微動だにしない。
だがその静けさは、停止ではなかった。
内側で何かが動き続けている——そういう静けさだった。
「アイク」
ヤマトが近づいた。
アイクはゆっくりと目を開けた。
「カレンを助けるための鍵の在処が、わかった」
アイクは黙って続きを待った。
ヤマトは話した。
将軍家が封印術式の確立者であること。
大武会が将軍家に近づける唯一の道であること。
アイクは最後まで聞いてから、立ち上がった。
「わかった。やるだけだ」
それだけだった。迷いがなかった。
「……その戦い、私も同行させてください」
背後から声がした。
ミヅキが月光の中に立っていた。
アイクは振り返った。
「ミヅキ、本気か?」
「はい」
とミヅキは言った。
「道場という箱庭を出て、自分の剣がどこまで通じるか——試したいのです。それに、お二人が将軍家に近づくなら、この国の理を知る者の助けが必要になるはずです」
アイクは少し考えた。一秒ほど。
「わかった。頼む」
それだけだった。ヤマトは少し笑った。
「アイクの言う通りだ。ミヅキは守るだけの存在じゃない。一緒に戦う仲間だ」
「ああ」
「背中は任せたぜ」
「話は聞かせてもらった」
竹林の奥から、重みのある声が響いた。
カゲツだった。月光の中に立っている。
いつからいたのか、誰も気づいていなかった。
「師範……」
「俺はこの大会には参加せん。将軍家の剣術指南役という立場上、自ら出場するわけにはいかん。立会人として、お前たちの戦いを見届ける」
「あの立て札に描かれていたのは」とヤマトが言った。
「客寄せだ」
とカゲツは即座に言った。
「三神の名がなければ、祭典が盛り上がらん」
「……あんな威圧的な絵で客寄せですか」
「細かいことを気にするな」
ミヅキが一歩前に出た。
「お二人に、将軍家のことをお話しします」
声が静かになった。
「将軍家はかつて、皇帝家やセリフィアと共に封印術を確立した一族です。だが、その力を恐れた皇帝家に裏切られ、律のないこのヒナカミへ追放された」
「追放?」
アイクが言った。
「力を削ぐために?」
「そう考えたのでしょう。律のない土地なら、封印術は弱体化すると」
「だが…」
「それは計算違いだった。封印術とは力を固定する術だ。律の流れが存在しないこの地こそ、封印を完成させるための聖域だった。将軍家は追放という屈辱の中で、逆に術を極限まで進化させた」
沈黙が落ちた。
「つまり」
「将軍家は今も、完全な封印術を持っている」
「そうだ」
「さて」
カゲツが木刀を手に取った。
その瞬間、空気が変わった。
圧力という言葉では足りない。
見えない滝の底に沈められるような、重さと速さが同時に来る感覚だった。
三人は反射的に構えた。
「最後だ。三人がかりで来い。一撃でも俺の衣に触れてみせろ」
最初に動いたのはアイクだった。
地を蹴る音もなかった。気づいたときには踏み込んでいた。
最短距離の突き。全力だった。
カゲツは数センチ頭をずらしただけで、それを外した。
そのまま木刀をアイクの刀身に添えた。
ただ添えただけだった。
なのに——アイクの全力の突進が、横へ流れた。
自分の勢いで、前のめりに崩れた。
(力を殺された——っ!)
「剛の爆発を、一点へ繋げ!道を間違えるな!」
ヤマトが続いた。
水の流れのような横一文字。
タイムラグのない、無意識の一閃。
カゲツの木刀が、それより早く動いた。
ヤマトの剣が、岩に当たった波のように霧散した。
「流れに合わせるな。お前自身が源流となれ!」
ミヅキが父の死角へ踏み込んだ。
鋭く、迷いのない一歩だった。
カゲツは振り返らなかった。
背後を感じたまま、木刀を後ろへ流した。
ミヅキの剣が、空を切った。
「父の剣をなぞるな。お前だけの形を見つけろ」
三人は何度も立ち上がった。
崩され、流され、空を切り、それでも立ち上がった。
十数分後——ヤマトの剣が、わずかにカゲツの袖を掠めた。
カゲツが木刀を引いた。
沈黙。
「……十分だ」
静かの第一言だった。
「お前たちの剣に、迷いではなく覚悟が宿った」
三人は息を整えながら、カゲツを見た。
「三か月後、立会人の席で待っている。将軍の前で、存分に暴れてこい」
三か月が過ぎた。
ヒナカミの港を発つ朝、カゲツは何も言わなかった。
ただ、道場の門の前に立っていた。
アイクは深く頭を下げた。ヤマトも。ミヅキも。
カゲツは頷いた。それだけだった。
船が港を離れるとき、アイクは振り返らなかった。
振り返れば——また戻りたくなる気がした。
予選会場となる帝都近郊の街は、活気に溢れていた。
様々な国の言葉が飛び交い、武器を携えた者たちが行き交う。
大武会の熱気が、街全体を包んでいた。
ヤマトは歩きながら、周囲を読んでいた。
多重演算が静かに走る。
人の動き、視線の方向、空気の密度——
その瞬間、止まった。
(——っ)
特定の場所から、空気が変わっていた。
変わっているというより——そこだけ、空気が「ない」ような感覚だった。
ヤマトの本能が、警鐘を鳴らした。
「アイク」
「わかってる」
アイクも感じていた。喉が鳴った。
律もスキルも関係ない。身体が、勝手に反応していた。
視線を向けると——笠を深く被った人影が、路地の闇へ消えていくところだった。
音がなかった。足音も、衣擦れの音も。
ただ——消えた。
「……あの人」
ミヅキが小さく呟いた。眉をひそめている。
「ミヅキ、知っているのか」
「……わかりません。ただ」
ミヅキは路地の闇を見たまま、続けた。
「父上が言っていました。影神ヌイ様の動きは——気配を殺すのではなく、存在ごと消えると。あの影に、それに近い何かを感じました」
三人は路地の闇を見ていた。
もう人影はない。
最初からいなかったかのように、何もない路地だった。
「……面白くなってきたな」
アイクが言った。不敵な笑みだった。
怖れではなく——闘志だった。
「そうだな」
ヤマトは静かに言った。
簡単ではない。むしろ——ここからが本番だ。
カレンを助けるための道は、この先にある。
三人は歩き出した。人混みの中へ。喧騒の中へ。
その背中に、路地の闇がある。
誰かが——見ていた。
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