声の外側
最初に気づいたのは、違和感だった。
ほんのわずかなズレ。
言葉にすれば消えてしまう程度のもの。
だから、誰も気にしない。
再生ボタンを押す。
声が流れる。
低く、落ち着いた声。
聞き慣れているはずの声。
ディレクターは、眉を寄せる。
「……綺麗すぎる」
小さく呟く。
もう一度再生する。
同じ声。
同じ抑揚。
同じ間。
揺れがない。
普通は、ある。
わずかなノイズ。
息の揺れ。
音のムラ。
人の声なら、必ず出る。
だが——
それが、ない。
「気のせいか」
言葉にすると、そうなる。
それで済ませられる。
だが、指は止まらない。
別のデータを開く。
前回の収録。
さらに前。
さらに、その前。
並べる。
再生する。
同じだ。
違いがない。
ディレクターは椅子に深く座る。
天井を見上げる。
「……そんなはずないだろ」
人の声は、変わる。
日によって。
時間によって。
体調によって。
同じになるわけがない。
画面に目を戻す。
波形。
均一。
整っている。
まるで、作ったみたいに。
その言葉を、頭の中で止める。
考えすぎだ。
そう思う。
だが、消えない。
スマホを手に取る。
連絡先を開く。
名前を選ぶ。
発信。
呼び出し音。
数秒。
『はい』
声が出る。
低く、落ち着いた声。
変わらない声。
ディレクターは、一瞬だけ言葉を失う。
「……あ、すみません」
すぐに戻す。
「この音声なんですけど」
『はい』
同じトーン。
「少しだけ、違和感があって」
言葉を選ぶ。
慎重に。
『問題ないですよ』
即答だった。
間がない。
「いや、でも」
『問題ないです』
重ねられる。
同じ言い方。
同じ速さ。
ディレクターは口を閉じる。
それ以上、言葉が続かない。
「……そうですか」
それだけを返す。
通話が切れる。
静寂が戻る。
ディレクターはスマホを見つめる。
問題ない。
そう言われた。
だが。
「……あるだろ」
小さく呟く。
再び、再生ボタンを押す。
声が流れる。
完璧な声。
変わらない声。
どこにもズレがない。
ディレクターは、目を閉じる。
聞く。
何度も。
何度も。
繰り返す。
そのうち、分からなくなる。
これが普通なのか。
自分が間違っているのか。
それでも。
違和感だけは、消えない。
目を開ける。
画面を見る。
波形は、変わらない。
均一。
揃っている。
揃いすぎている。
ディレクターは、立ち上がる。
窓の方へ歩く。
外を見る。
いつも通りの街。
車が走る。
人が歩く。
何も変わらない。
そのはずなのに。
どこか、違う気がした。
戻れない気がした。
気づいてしまった。
その時点で。
何かが、終わっていた。
ディレクターは、机に戻る。
もう一度、音声を見る。
指が止まる。
ほんの一瞬。
そして。
小さく呟く。
「……これ」
言葉が続かない。
だが、形にはなっている。
頭の中で。
はっきりと。
——この声は、本当に“人の声”なのか。
その疑問だけが、残った。




