エピローグ
春になっていた。
事件から、数ヶ月。
街はもう、何事もなかったみたいに動いている。
ニュースも終わった。
騒動も薄れた。
AI音声問題。
死後活動。
人格権。
一時は連日報道されていた話題も、今では別のニュースに押し流されている。
人は忘れる。
西條は、それを少しだけ寂しいと思った。
⸻
「珍しいな」
東が言う。
「何が」
「お前から呼び出すの」
西條は苦笑する。
「たまには飯でもいいだろ」
東は答えない。
だが、断りもしなかった。
二人が入ったのは、ナナハンだった。
昼時。
学生たちの声が響いている。
初めて来た日と、同じ空気。
「結局ここか」
東が言う。
「なんか落ち着くんだよ」
西條は注文を済ませ、席へ座る。
窓際。
あの席は空いていた。
西條は、少しだけそこを見る。
「来てないな」
「誰がだ」
「奥さん」
東はコーヒーを飲む。
「整理がついたんだろう」
「かもな」
西條は頷く。
その時。
店内CMが流れる。
『ナナハン新作バーガー、本日より発売です』
黒崎恒一の声。
変わらない。
本当に。
何も変わらない。
学生たちは笑っている。
店員は忙しそうに動く。
誰も、その声を特別扱いしない。
日常の音。
もう、それだけだった。
「……不思議だな」
西條が呟く。
「何がだ」
「最初、めちゃくちゃ怖かったんだよ」
東は静かに聞いている。
「死人が喋ってるって」
西條は苦笑する。
「でも今は」
店内の声を聞く。
低く、落ち着いた声。
優しい声。
「なんか、いる感じするんだよな」
東は数秒黙る。
そして。
「人間は記録に感情を重ねる」
西條は笑った。
「相変わらず硬ぇな」
「事実だ」
「でも、嫌いじゃない」
東は無言でポテトを食べる。
⸻
西條は、ふと窓の外を見る。
春の光。
歩いていく人達。
それぞれの日常。
事件は終わった。
死人は喋らない。
本来なら。
でも。
もし。
誰かの声が。
誰かを救った記憶として残るなら。
それは本当に、“死んだ”と言えるのだろうか。
『本日より発売です』
また声が流れる。
西條は目を閉じる。
昔。
仕事を辞めて、何もなくなった夜。
この声に救われた。
あの時。
確かに、自分は生き返った。
それはAIでも。
録音でも。
機械でも。
変わらない。
西條は、ゆっくり目を開ける。
「……なあ東」
「何だ」
「もし俺が死んだらさ」
東が顔をしかめる。
「急だな」
西條は笑う。
「なんか残るかな」
東は少しだけ考える。
長い沈黙。
そのあと。
「……騒がしさ」
西條は吹き出した。
「なんだそれ」
「お前らしい」
「雑すぎるだろ」
東は小さくコーヒーを飲む。
西條は笑いながら、店内の声を聞いていた。
変わらない声。
でも。
もう怖くはなかった。
そこには。
ちゃんと、一人の人生が残っていたから。
⸻
ナナハンの店内では。
今日も変わらず、黒崎恒一の声が流れている。
誰も立ち止まらない。
誰も気づかない。
でも。
その声は、確かに残っている。
誰かの記憶の中で。
誰かの人生の中で。
静かに。
ずっと。
『ナナハン新作バーガー、本日より発売です』
その声は。
今日も、誰かの心に残っていた。




