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喋る遺体  作者: 瀧口G也
10/10

触れていない温度①

「飯」


 東が言った。


 西條は顔を上げる。


「急だな」


「三十分休憩がある」


「珍しく人間っぽいこと言うじゃん」


 東は無視して歩き出す。


 西條は苦笑しながら後を追った。


 外は、少しだけ雨が降っていた。


 細かい雨粒が、街灯の光をぼやけさせている。


「近場でいいか」


「任せる」


「お前、食に興味なさすぎだろ」


「効率の問題だ」


「人生つまんなそう」


 返事はない。


 西條は肩をすくめる。


 歩いて数分。


 見慣れた看板が見える。


 赤と黄色のロゴ。


「ナナハンか」


「問題あるか」


「いや」


 西條は少しだけ笑う。


「なんか久しぶりだなと思って」


 自動ドアが開く。


 油の匂いと、暖かい空気が流れてくる。


 店内は混んでいた。


 学生。


 会社員。


 親子連れ。


 誰もが、いつも通りの時間を過ごしている。


 西條は無意識に、店の奥を見る。


 窓際。


 少し奥まった席。


 そこに、女性が座っていた。


 年配。


 上品な服装。


 静かな姿勢。


 見覚えがある。


「……あ」


 思わず声が漏れる。


「何だ」


 東が振り返る。


「いや」


 西條は視線を逸らす。


「なんでもない」


 本当に、なんでもない。


 ただ。


 見たことがある気がした。


 注文を済ませる。


 トレーを持ち、席へ向かう。


 東は迷わず空いている席に座る。


 西條は少しだけ迷ってから、その向かいに腰を下ろした。


「どうした」


「いや」


 西條はポテトを一本つまむ。


「ここ、前にも来たなって」


「店だろ」


「まあな」


 東はハンバーガーの包みを開ける。


 動きに無駄がない。


 西條はぼんやりと店内を眺める。


 変わっていない。


 音楽。


 話し声。


 機械音。


 全部、前と同じだ。


 その時。


『ナナハン新作バーガー、本日より発売です』


 声が流れる。


 西條の手が止まる。


 低く、落ち着いた声。


 変わらない声。


 店内の誰も反応しない。


 ただ流れて、消えていく。


「……黒崎恒一」


 西條が小さく呟く。


「知ってるのか」


 東が聞く。


「まあ、有名だしな」


 西條は視線を上げる。


 スピーカー。


 そこから声が落ちてくる。


「イケボの元祖、とか言われてる人」


「声優か」


「そう」


 西條は少しだけ笑う。


「顔ほとんど出さないのに、めちゃくちゃ人気ある」


 東は興味なさそうに食べ続ける。


「声だけで成立してる人、って感じ」


 その言葉を言った瞬間。


 西條の中で、何かが引っかかった。


 ほんのわずかに。


 説明できない程度に。


「……どうした」


 東が聞く。


「いや」


 西條は首を振る。


「なんでもない」


 その時。


 カタン、と小さな音がした。


 視線を向ける。


 窓際の女性だった。


 グラスが少し揺れている。


「あ……」


 西條は立ち上がりかける。


「大丈夫ですか?」


 女性は顔を上げる。


 穏やかな笑み。


「ええ。少し手が滑っただけ」


 その声は静かだった。


 落ち着いている。


 だが。


 どこか疲れている。


 西條は、軽く頭を下げる。


「なら良かったです」


 女性は微笑む。


「ありがとう」


 それだけだった。


 西條は席に戻る。


 東が言う。


「知り合いか」


「いや」


 西條はポテトを口に入れる。


「でも、なんか見たことある気がする」


「気のせいだ」


「かもな」


 店内には、また声が流れる。


 同じ声。


 同じ言い方。


 同じ間。


 変わらない。


 西條は、ふと窓際を見る。


 女性は静かに、その声を聞いていた。


 食事の手は止まっている。


 ただ、聞いている。


 その姿が。


 なぜか、妙に印象に残った。


「……なあ」


 西條が言う。


「何だ」


「声ってさ」


 東は視線を向ける。


 西條は少し考えてから続ける。


「残るんだな」


 東は数秒黙る。


 そして。


「記録媒体にはな」


 それだけを言う。


 西條は小さく笑う。


「お前らしいな」


 雨はまだ降っている。


 窓の外で、街の光が滲んでいる。


 店内では、また同じ声が流れる。


 誰も気にしない。


 誰も疑わない。


 ただ。


 その声だけが、確かにそこにあった。

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