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喋る遺体  作者: 瀧口G也
1/8

ナナハンバーガー

その声は、いつも通りだった。


『ナナハン新作バーガー、本日より発売です』


 店内に流れる、短いナレーション。低く、落ち着いた声。聞き慣れているはずなのに、なぜか、ほんのわずかに引っかかる。


「ねえ、今のさ、この店のCMの声、黒崎恒一じゃない?」


 女子高生の一人が顔を上げる。


「またそれ?公式は違うって言ってるじゃん」


 もう一人が笑う。


「でも似てるよね。あの低いとこから上がる感じ」


「似てるけどさ、ナナハン好きだからやってる説でしょ」


「なにそれ(笑)都市伝説じゃん」


 軽い笑いが広がる。それで終わる話だった。誰も本気では考えない。ただの噂。ただの声。ただの、日常。


「てかさ、あの新作アニメ観た?」


「観た観た。黒崎恒一のやつでしょ」


「わかる。あの上がり方、他にいないって」


 ポテトをつまみながら、また笑う。


「イケボって言葉、黒崎が最初らしいよ」


「え、マジ?」


「知らないの?結構有名じゃん」


 軽い会話のまま流れていく。特別な話ではない。ただの知識。誰も深くは考えない。


 店内には揚げ物の匂いと、人の声と、軽い音楽が混ざっている。昼と夕方の間の、少しだけ緩んだ時間。誰も急いでいない。何も起きていない。


 そのすぐ隣で、カタン、と音がした。


「あ……」


 グラスが揺れ、飲み物が少しこぼれる。


「大丈夫ですか?」


 反射的に声がかかる。年配の女性が顔を上げ、穏やかに微笑む。


「ええ、大丈夫。少しこぼしただけだから」


 どこにでもあるやり取り。店員が来て、布巾で拭く。すぐに終わる。何も残らない。——はずだった。


 女性は、もう一度グラスに手を伸ばす。指先が触れる。持ち上げる。口元へ運ぶ。


 その動きは、自然だった。ぎこちなさはない。迷いもない。


 だが、ほんのわずかに、何かがずれている。


 速さか、間か、角度か。


 説明すれば消えてしまう程度の違い。気にするほどではない。気づかない人の方が多い。


 女子高生たちは気づかない。会話を続けている。


 テレビでは、映画の予告が流れている。


 低く、安定した声。


 さっきと同じ声。


 変わらない声。


「やっぱすごいよね」


「ね。全然ブレない」


「ずっと同じって、逆に怖いくらいだよね」


 軽い言い方だった。ただの感想。それ以上ではない。誰も深く考えない。


 声は、そこにあるだけだ。


 女性は、その声を聞いている。


 視線はテレビに向いている。


 表情は変わらない。


 笑いもしないし、眉も動かない。


 ただ静かに、聞いている。


 グラスを持つ手だけが、わずかに止まっている。


 店内の音が重なる。


 人の声、食器の音、油のはじける音。


 その中に、ナレーションが溶けていく。


 誰もそれを切り分けない。


 気にしない。


 日常の一部として流れていく。


 女性は、グラスをゆっくりとテーブルに戻す。


 音はほとんどしない。


 水滴が一つ、縁から落ちる。


 テーブルの上で小さく広がる。


 それもすぐに乾く。


 誰も見ていない。


 誰も覚えていない。


 店内には、また音楽が流れる。


 続いて、短いナレーション。


『ナナハン新作バーガー、本日より発売です』


 同じ声。


 同じ言い方。


 同じ間。


 さっきと変わらない。


 変わらないはずだ。


 変わる理由がない。


 女性は、その声をもう一度聞く。


 目を閉じることはない。


 ただ、聞いている。


 聞き慣れているはずの声を、初めて聞くみたいに。


 何も起きていない。


 事件も、事故も、騒ぎもない。


 いつも通りの時間が流れている。


 ただ——


 その声だけが、確かにそこにある。


 そして、その声は、どこにも触れていない。


 なのに、なぜか、残る。

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