第九話 「可哀想」
キリュウの話が完全に言語ではなく、鳴き声に変換され始めた頃。
相槌も何も打っていないのだけど、ずっと楽しそうに喋り続けていたキリュウの言葉が途切れた。それは、こちらの様子を伺ってのものではなく、単に討伐隊が一度止まったからだ。
一時休憩をし、敵を殲滅するために改めて作戦を確認する。
ピリピリし始めた先頭部隊を見る。魔獣の気配が近い。
今回は討伐規模としたら手ぬるいものだ。数だけ多いが、討伐自体の難易度は高くない。エルネスティだったら一面を焼け野原にして十分以内には討伐完了させるようなもの。
しかし油断は禁物なことも確か。相手は魔獣、人智では及ばぬ行動をすることだってある。
ふっと軽い息をつきながら、杖を握り直した。
喋り続けて歩んでいて、流石に疲れたのか、黙って木に寄りかかるキリュウを見る。
その顔には特段緊張は見えない。キリュウとともにやってきたパーティーメンバーの方が初陣に浮き足立っているのが見て取れる。
異世界人なのに――いや、異世界人だから、なのか?
さわさわとした風に誘われるよう、私は今日初めてキリュウに話しかけた。
「……ねえ。あなたが言ってる“エルネスティ”って、誰の話?」
「はぁ?」
顔を上げたキリュウは、心底不可解だという風に眉を顰める。
ずっと気になってた。
彼女はずっと私やエルネスティのことを知っているよう語る。データ上の人間を語るようだが、そこには「私は知っている」とでもいうような親しみも感じられるのが妙だった。
彼女の異世界の知識では、私もエルネスティもいたというのは分かったが、しかし輪郭はなぞっても彼女がいう通りという程でもない。
彼女は私とエルネスティと実際に相対しても、目線が合ってるようで合っていない。
今も、尚。
隣にいたエルネスティが、空を眺めてた顔をこちらに向ける。今こうやって目の前にいるエルネスティは先ほどキリュウが語ったような人間じゃない。
自罰的でも自己嫌悪が激しい人でもない。そんなエルネスティの側面、私は見たこともない。
「……なにそれ、うっざ。もしかして私が一番エルのこと知ってますよ〜アピール? はいはい、そういうの、いいから」
キリュウの語りは先程の道中と何も変わらず滑らかだ。
だけど一瞬、視線が逸れた。今までは視線を逸らすことはなかったのに。
別に追い詰めたいわけでも、問い詰めたいわけでもない。
彼女が真に狂人か、もしくは異世界に来たストレスからそういう風にしか考えられなくなっているのか、私には分からない。
答えがもらえないというなら、それでもいい。
だから、質問を変えた。
ずっと気になっていたこと。
――仔グリフォンを処分するのは可哀想だと、真から言ったその口。
「……なら、あなたの“可哀想”はどこから来たの?」
杖を握る。
この杖は、何十、何百と生命を屠ってきた杖だ。
もちろん、直接的にはエルネスティの方が多い。しかし私とエルネスティはバディであり、エルネスティが葬った命というのはイコールで私にもカウントされる。
私たちは、魔獣を見定めて、選択して、いつも魔法を行使する。
王都とは違う、コンクリートでの塗装がされていない土をじゃりと踏む。
王都で見上げる空と同じ色をした平和な青を見ながら、戦況を読む。
木陰が揺れる音と、敵が近づく音の聞き分けをする。
自然の風と、気配が近づいたことによる揺らいだ空気の歪みの違いを肌で気づく。
不穏の匂いを――感じとる。
目を一度瞬いてから、キリュウをみた。
異世界人から見て、この世界はどう映っているのだろう。
「人に襲われたならその脅威へやり返すのは正当。街を襲う大型魔獣をのけるのも正当。討伐も正当。でも、小型魔獣は処理するのは可哀想」
杖でトン、と地面を叩く。
「……あなたの“可哀想”の基準って、なに?」
キリュウは即答しない。
目を何度か瞬きして、それから小さく口を開く。その口が、“弱い敵” だの“序盤モンスター”だの“非アクティブ”だの、やはり私には少しも理解できない言葉を形取る。
けれど、キリュウは先ほどとは違って、それをそのまま私にぶつけることはない。
ただ、自分でも言葉を探しているようだった。
可哀想の形を、自分の定義を。
キリュウが口を開いては閉じ、私を見る目に困惑や焦燥が見えてきた時。
騎士団の一人が私に目配せをした。
それを受け取り、軽く頷く。
「……別に、今明確な答えを求めてるわけじゃない。ただの興味本位」
言いながら、キリュウの肩を軽く叩いた。
話は終わりだと、区切るつもりで。
ここからは魔獣との戦闘だ。
異世界人のキリュウと違い、私の世界はシンプルだ。
敵は魔獣。排除すべきは、攻撃を向けてくる者たち。
私が魔獣を見る目は、憎悪と使命しかない。
――さあ、戦闘の開始だ。
▲▽
合図も、演出もなかった。
前線の騎士が、息を呑む音が聞こえた瞬間だった。
「……来るぞ!」
「グールの大群、来ます! その数……ざっと二百!」
誰が言ったかもわからぬ低く、擦れた声。
それを合図にして次の瞬間、木陰から、地面から、崩れた岩の向こうから――それは、溢れ出てきた。
人の形をしていた。
腕がある。脚がある。頭もある。けれど、それらはすべて、人だった頃の名残を雑に貼り付けただけのようだった。
皮膚は黒ずみ、裂け、垂れ下がっている。
目は白濁し、焦点が合っていない。口は開いたまま、喉の奥から、湿った音を漏らしている。
言葉は、失われていた。
「……っ」
キリュウの喉が、ひくりと鳴った。
――違う。
ゲームで見たグールは、もっと「敵」だった。
HPバーがあって、攻撃モーションがあって、倒せば消えて、経験値になる存在だった。
けれど、目の前のそれは。
倒していい理由を、こちらに説明してこない。
「前!」
誰かの叫び声。
剣が振り下ろされ、鈍い音が響く。刃が肉に食い込む感触が、空気を通して伝わってくる。
赤黒い血が、地面に跳ねた。
「っ……!」
キリュウの足が、止まった。
一歩、下がる。
脳が「回復しなきゃ」と命令しているのに、身体が言うことを聞かない。
血の匂い。
鉄と、腐敗と、泥が混ざった臭い。
呻き声。
叫び声。
誰かが倒れ、誰かがそれを跨いで前に出る。
綺麗じゃない。
かっこよくない。
ただ、必死だ。
「キリュウ! 後ろ!」
声が飛ぶ。
振り返った先に、腕を引きずるグールがいた。顔の半分が削げ落ちている。それでも、こちらを見ている。
――人の顔で。
「……無理」
喉から、声にならない音が零れた。
足が、動かない。
振り翳そうとした手が、重い。
祈りの言葉が、頭の中で絡まってほどけない。
頭が、ぐちゃぐちゃになる。
剣が振り抜かれ、グールが倒れる。
同時に、騎士の一人が膝をついた。脇腹を抑え、血が指の隙間から溢れている。
「ヒーラー! 回復を!」
叫ばれる。
期待される。
当たり前のように、名前を呼ばれる。
でも。
足が、前に出ない。
視界が、狭くなる。耳鳴りがして、呼吸が浅くなる。
――違う。
これは、チュートリアルじゃない。全滅イベントでも、覚醒フラグでもない。
「……っ、わ、たし……」
キリュウの声が震えた、その時。
彼女の前に閃光がよぎる。
あ、やばい。
当たる、と思った時に、ケホリ、と重い咳がどこからか聞こえる。
その音を耳が捉えると同時に、閃光は掻き消されるよう、ボールの様に膨らんだ魔力体に飲み込まれた。
そのままふわりと、穏やかに魔力体は消える。早すぎるその処理に、ユウナは一瞬理解が追いつかなかったが、防御魔法の放たれたのだ。
そして、誰かが、彼女の前を横切った。
淡々と。
迷いなく。
防御魔法が展開され、前線に光の壁が立つ。その向こうで、攻撃魔法が炸裂し、グールが吹き飛ばされる。
スフィアと、エルネスティだった。
二人は叫ばない。煽らない。
ただ、やるべきことをやっているだけだった。
血の中で。泥の中で。
敵から吐き出された閃光のような攻撃を吸い込む。
キリュウは、その背中を見て、頭の中で何かが囁く。
ここに至るまで、ずっと彼女が見て見ぬ振りをしてきた事実を告げる。ここは、ヒロインである聖女が活躍する活劇の場ではない。
ここは……、
――ここは、




