第十話 人の形をした魔獣
――ここは、物語の世界じゃない。
正解を選べば報われる場所でも、ヒロインだから守られる場所でもない。
ここでは、動けなかった人間から、取り残される。
ただ、それだけの世界だった。
見て見ぬ振りをしたものが、押し寄せる。
この戦場で、濁った目でこちらを見るグールの目、それらに感情はないはずなのに、何より自分を侮蔑の目で見ている気がして――
キリュウは強く、唇を噛んだのだった。
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ばたばたと皆が忙しなく動く。
結局、初陣となった一団は普段の半分の力も出せてはいないようだった。これが全力だったら、間違いなく討伐命令なんか下されないレベルだ。
最後まで武器を投げ出さなかったことはよかったが、途中やけっぱちのように突っ込んでいった場面はあったために、フィードバックとして騎士団に注意をされていた。
騎士団から手本を見せてほしいと言われ、あえて派手な魔法壁の展開をしたために、こちらを見る一団の目がキラキラしていて恥ずかしい。私は派手さを意識した戦い方をしたが、エルネスティは通常であの火力なのだから、その目は彼にだけ向けてほしい。
逃げるように視線を彷徨わせると、そこには呆然と立つキリュウの姿があった。
キリュウの視線の先には、王国騎士団がいる。
後処理に追われる騎士たちは、誰一人キリュウを見なかった。
それぞれが、それぞれの仕事をしていた。
何度もヒール魔法を掛けて欲しいと怒号のような懇願が飛んだはずだが、結局一度も彼女はヒーラーとしての役割を果たせなかった。
行く道すがらで語った、あの快活な口は閉じたまま。
人の形をした魔獣が襲いかかることも、人があまりに簡単に怪我を負うことも、彼女の認識の範囲を超えていたよう思う。
魔獣も、人も、どちらにも彼女は等しく怯えていた。
襲い、襲われる。それを間近に見なければいけない。怪我の具合を見て、怪我を治した後にはまた戦場に突っ込む戦士たちを、ヒーラーは見送らなければいけない。
ヒーラーはその繰り返しのジョブだ。
少し考えて、彼女に近づく。
エルネスティは、少し呆れた顔をしていた。だが、止めることもない。
私が正面に立つと、キリュウははっとして私を見た。
「あなたが回復できなくても、ここは回る」
指をさす。
王国騎士団は初陣の厳しさを知っている。一番の目的としては初陣の評価のための帯同だが、武力フォローのためもある。
指した先では、キリュウではないヒーラーが忙しなく負傷兵の手当てに当たっていた。
新人なのだから、動けなくても当たり前。それを織り込み済みで動いてる。
そのつもりで言ったのだけど、キリュウは私の言葉にカッと頰を染めた。
握りしめた拳は、ぶるぶると震えている。
「っ! 私が惨めで笑ってるんでしょ!? 偉そうなこと言って何の役にも立たなかった! 怖がって震えてるだけの女だったって!」
噴火したような怒りに、思わずポカンとする。
キリュウはそんな私にさらに眉根を寄せた。
怒りと羞恥、ない混ぜになった顔だ。
怖がって震えてる女、確かにそれはその通りだったと思うけれど。
「……そもそも、初陣で怖がらない人間の方が引くけど……」
平和な世界で生きて、魔獣に対する処世術は学校の知識のみ。そんな人間が初めて「戦場」というものを経験する。命の奪い合いを目の当たりにして、動揺するなだなんて、此処に居る誰もが求めていない。
初陣で毅然と立って、冷静に対処し、能力以上の力を発揮する――そんな人間の方が稀有だ。
反論というよりは、独り言のように返した私の言葉に、キリュウが一つ瞬きした。
そうして、毒気のない目でまじまじと私を見た時、初めて、キリュウときちんと目が合った気がする。
「あんたも、怖かったの?」
その言葉を怪訝に思ったのは、否定からではなく、何を当然のことを、という思いからだった。
恥じることもなく頷くと、キリュウの顔がぐにゃりと歪んだ。
口をもごもごと動かし、しかしそれは言葉にならない。瞬きを何度も繰り返してから、彼女は必死な顔で、私に掴み掛かる。
それは攻撃的というより、まるで縋り付くような手だった。
「……っだってみんな!私を見てくれないじゃない!異世界人だって言って、ここが現実だって言ってくれなかった!」
私よりも身長がいくらか高いはずの彼女が、まるで迷子になった小さな子供のようだ。
私は少し考えて、なるべく責めるような口調に聞こえないようにしながら口を開く。
「あなたがそう言ってたから、周りもそれに合わせただけじゃない?」
そう言った瞬間、彼女の顔から、怒りが抜け落ちた。代わりに、ひどくショックを受けた顔になる。
話を聞かなかったのも、自分の思う物語しか見なかったのも彼女だ。
今日に至るまで、人を見ているようで見ていなかった。会話は一方的で、壊れた蛇口の濁流のようなものだった。
彼女の指先が力が抜けたよう落ちていく。
それを見て、ふとデリックの顔が思い浮かんだ。そうだ、彼は――私にキリュウのメンタル面のフォローをして欲しいと言っていた。
デリックの言葉が、どこまでキリュウの状態を見抜き、そしてここまで予測していたのかは分からない。
けれど、デリックはキリュウに対して使い物になるヒーラーになることを望んでいた。潰れては困ると。
……絶対、その役割は私が一番向いてないとは思うんだけど。今だって心からそう思いはしたが、青い顔をしたキリュウを、放っておきたいとも思わない。
気取られないほど小さい息をついてから、もう一言、足してみる。
「でも……それが薄情だったからなのか、優しさからだったのか、決めるのはあなただと思う」
私は、あの歌劇団みたいなキリュウを取り囲んでいた男たちのことを詳しくは知らないけれど。
それでもキリュウに好意的で、ずっと一緒にいたくらいだ。それは、キリュウを本質として導くものではなかったかも知れないけれど、情のある関係を築けてはいたのでしょう?
だから、突然異世界に一人ぼっちで叩き落とされても、キリュウはここに立っていられる今を得たんでしょう?
キリュウは、押し黙る。
もうその顔には激情は浮かんでなかった。
代わりに、私の言葉をゆっくりと咀嚼していくような、生身の顔があった。
やっと、会話ができたような気がする。
知らず、詰めていた気持ちを解放するよう、私も息をつく。
そして、キリュウにずーっと言いたかった言葉を、そっと吐き出す。
「ていうかさ……エルネスティの両親生きてるから」
「…………は?」
「勝手に死んでる扱いしないで……」
やっと訂正できたのだった。
エルネスティは興味なさげにそっぽを向いてたけど。ちょっとひどいと思う。




