憧れの対象
目の前にあるのは木製の民家。年期を感じるが大工が丁寧な仕事をしたようで、造りは今もしっかりしている。
土台は石、板張りの壁、屋根が急勾配なのは雪の降る地方だからだろう。その屋根にはレンガ造りの煙突もある。
ここは住宅地らしく、同じような造りの家が何軒も並んで建っていた。
「ゲクリスじいちゃん、ただいま!」
扉を勢いよく開けて大声で帰宅を伝えるダリルイ。
すると、奥の方から駆け足気味の足音が聞こえたかと思うと、一人の男が姿を現した。
白髪交じりの黒髪に立派な顎髭。目元辺りが孫と似ているような。
男は慌てて飛び出してきたのか呼吸が荒く、服も乱れている。
駆け寄ってくるダリルイに笑顔を向けたまま右手を振り上げ、脳天に勢いよく拳を落とす。
「いってええええええっ! 何するんだよ、じいちゃん!」
「この大馬鹿者がっ! わしが隣村に用事で出かけている隙に家を飛び出して町に行くなんて何考えておるんだ! どれだけ心配したと思っている! 夜も眠れず、飯も喉を通らなかったんだぞ!」
ああ、祖父なのか。もみあげから顎まで繋がった立派な髭を蓄えてはいるが、目や口元に血縁を感じる。
「ごめん、ごめんってじいちゃんっ」
大声で叱られ萎縮するダリルイ。
ちらちらとこっちを見て助けを求めているが、口を挟む気はない。
村を代表してやって来たのかと思ったら独断専行だったとは。怒られて当然、しっかり絞られることだ。
「あら、大きな声を出してどうしたの……あらぁ、ダリルイちゃん帰ってきたのね」
薄らと汗ばみ頬が赤い女が奥の部屋から出てきた。
女は慌てて服を着たのか着衣が乱れ、よく見ると頬が赤く少し汗ばんでいる。
見た感じ、女性は俺と同年代か少し若いぐらいの年齢だ。つまり、これは、そういうことなのだろう。
「隣のジェシカおばちゃん……」
無言で見つめ合う三人。
とんでもない現場に出くわしてしまった。
「積もる話もあると思うから、私は家に戻るわっ。そ、それじゃあ」
「お、おう。そうだ、家まで送ろう」
俺たちの横をすり抜けて出て行った女性に続いて、家を出ようとした祖父の腕が掴まれた。
「じいちゃん、どういうことだ? 心配でなんだって?」
「……じいちゃんだって、まだまだ現役なんだ。ムラムラするときだってある。家に誰もいない、こんな好機を逃しては男がすたるだろ」
わかる、わかる、と大きく頷いていると後頭部をスマイルに叩かれた。
「じいちゃんの生々しい性事情なんて知りたくねえよ!」
「ダリルイよ、新しいお婆ちゃんは欲しくないか?」
「墓前で婆ちゃんと母さんにチクってやる!」
「や、やめろおおおっ」
俺たちは部屋の隅に座り込み、揉めている二人を眺めながら休憩することにした。
五分ほど騒がしい言い争いが続いていたが、ようやく両者の気が晴れたのか、じいさんは大きく息を吐くと、俺たちに深々と頭を下げた。
「お見苦しいところを。ささっ、中に入ってください」
マジで見苦しかった、とはさすがに言えず、促されるままにリビングへと入る。
殺風景とまではいかないが物が少ないように思える。それは貧乏とかではなく、掃除や整理整頓が行き届いているからか。
「何もない家ですが、せめておくつろぎください。夕飯の手伝いをしてくれ」
「わかったよ、じいちゃん」
さっきまでの口論がなかったかのように会話する二人。
俺たちといたときとはまるで違う、自然体で振る舞う姿を見ていると頬が緩む。
「このような物しか用意できませんが」
と言いながらテーブルに並べられた食事は庶民の食卓としては豪勢だった。
パンとシチュー。それに肉とサラダ。量も充分にある。
食事中はダリルイによる数日の冒険譚が一方的に語られ、ゲクリスは微笑みながら黙って聞いていた。
食後、食器を片付け終わるとダリルイは早々に眠ってしまった。
緊張が一気に解けて疲れが襲ってきたのだろう。ご苦労さん。
「騒がしくて申し訳ありません。色々とご迷惑をおかけしませんでしたか?」
ゲクリスが食後のお茶を俺たちに運びながら、申し訳なさそうに謝罪する。
「そうでもないぜ。元気なのは子供の特権だからな」
「そうそう。元気が一番や」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると助かります。ところで、皆様は五英雄のことはご存じでしょうか?」
唐突にそんな話題を切り出してきた。
俺たちは目配せすると小さく頷く。
「以前……十年ほど前ですが、この村でモンスターを討伐していただいたことがありまして。当時のことは今も鮮明に覚えているのですよ」
そこで話を区切ると、俺たちの正面の椅子に座りじっとこっちを見ている。……こちらの反応を確かめるかのように。
「噂の五英雄か。ダリルイもそんなこと言ってたな」
「ええ。あの子は五英雄に助け出されましたからね。今でも憧れの対象なのですよ。黒髪の大剣使い。白き髪の乙女。儚げな聖職者。色彩豊かな髪色をした美しきエルフ。そして、神の使い。まるで、物語から飛び出したかのような五人の若者に目を奪われるばかりでした」
ほう、と大きく感嘆のため息を吐くゲクリスの目は遠い過去を見ていた。
「そりゃ、えらく目立つご一行だな」
「それはもう。遠くからでもすぐにわかりましたからね。全員が二十歳にも満たない若者に見えたのに、実力は国内で及ぶ者がないと噂になっていました。実際、村の心配事もたった半日で解決する実力でしたよ」
記憶の糸をたぐりつつ熱く語っている。
その目は五英雄を語るダリルイの目と似ていた。
「なんで、そんな話を俺たちにするんだ」
「なぜか、皆様を見ていると五英雄様のことを思い出してしまったのです。髪色も姿も年齢もかけ離れているというのに」
「そりゃ、光栄なこった」
「あの方々がご存命であるなら、今は三十前後でしょうか。今頃どうしておられるのでしょう」
「さーてな。案外、元気でやってるんじゃねえか」
それ以上、五英雄について深く聞き出す必要もないので、適当に雑談をして俺たちも床につくとことにした。
ゲクリスに通された部屋には大きなベッドが二つあり、掃除は行き届いていたが生活感がまるでない。
「この部屋は娘たち……孫の両親の部屋だったものです。今は客間として使っているのでご遠慮なくお休みください」
「両親はどうしたんだ?」
「十年前の一件で犠牲になりました。息子は魔法を使えたのですが力及ばず……。だからこそ、孫は両親の敵を討ってくれた五英雄を尊敬して憧れているのでしょう」
あれほどまでに五英雄を盲信している理由が判明した。
憧れの存在、か。
パンの焼ける匂いに促され目が覚めた。
見慣れない室内の景色に違和感を覚えるが、ここはダリルイの両親の部屋だったな。
大きなベッドが二つあるのだが、一つは俺が寝て、もう一つにはスマイルとリトルが一緒に寝ている。
残されたバージンは床の上で熟睡中だ。
ちなみに強引に俺がベッドを独占したわけではなく、こいつが寝るとベッドが壊れそうだったので、自ら床で寝ることを提案してきた結果こうなった。
「早起きは年寄りの特権なんだが、寝過ごしちまったか」
ほとんど馬車に揺られているだけだったとはいえ、それだけでも疲れを感じる体になってしまった。つくづく情けない体になっちまったもんだ。
普通ならとっくに引退をして悠々自適なご隠居生活を楽しむべきなんだが……。
何度周囲の人に「落ち着いた生活をしたらどうだ」と言われてきたことか。
無茶をやっていることは俺も仲間も承知している。ハンターを辞めることは簡単だ。若い頃に活躍したおかげで蓄えもあるから、老後の心配はない。
あの馬車を家としてどこかに落ち着くという手もある。
だけど、誰もそれを良しとしていない。俺たちには目的……やるべき、やらなければいけないことが――。
まあ、今は何よりも朝食を平らげて、食後に生活習慣病を予防する苦すぎる薬を飲んでからの話か。




