第47話 元勇者、決意と一騎討ち
血の海だ。それ以外の言葉では言い表せないように、戦場には赤が敷き詰められている。
戦いの跡にしては一方的で、赤に伏しているのは人間しかいない。
相手はたったの一頭だった。
まるで自身こそが災害であるかのように振る舞う白き獣は、暴虐を顕現したのだ。
(あぁ……)
グラハイムは前を眺めた。もはや前なのか後ろなのか、あるいは左右なのかもわからないが、そちらを見て、
(こんなの、勝てるわけねぇ……)
と悟った。
必死の抵抗を物語る、周囲の有り様が美しいとさえ感じる。
勝てるはずのない生き物を相手に、ここまで抵抗したのだから。
嵐を前に剣を振るう者がいれば、笑われるだろう。それでもこの戦いを笑う者などいない。
全員が全員、全力を出して、全員が全員──倒されたのだ。
「最期に一杯、飲んどくか」
などと言って腰の水筒に手を伸ばしたとき、だった。
ナニかが空から舞い降りたのだ。
風が一瞬だけ霧を吹き払い、その向こうに光沢のある青が見えた。
「助太刀いたす!」
可憐な声が聞こえる。と同時に、
──ジュオッ
火のついた棒を水に押し当てたような音が聞こえた。
橙色の発光が獣の輪郭を白いヴェールの向こうから際立たせる。
激しい炎は獣の首辺りから華を咲かせたように四方に散り、光の色が黄色から白の閃光に変わった瞬間、絶叫が響いた。
『フォオ"オ"オオオオオオオオオオオオオオオオオン』
あれほど苦戦し、負傷すらさせられなかった巨獣が地面に転がる。のたうち回る。
閃光が消え去ったとき、獣が逃げ去ったのだとわかった。
「魔法使い」
言葉が自然と口から出ていた。
こんな芸当が出来るのは魔法使い以外にはいない。それも、かなり高位の魔法使いだろう。
しかし詠唱がなかったのはどういうことか。
「──いやぁ~、効いてよかった。でも、これ使うの、あっつぅいから嫌なんだよなぁ~」
魔法使いが発したと思われる声は幼い声だった。
声だけで美しいのだとわかるような、可憐な声。そのあるじはゆっくりとこちらに近づいてくる。
白のベールは薄絹のように薄くなり、魔法使いの輪郭も露になった。
「……レイン?」
少女は頭にスライムを乗せている。確かにこの少女は召喚師、つまり魔法使いだ。
ボクはくんくんと臭いを嗅いだ。
周囲には肉を焼き焦がしたような臭い。
刀剣や矢弓の類いが効かないと聞いて用意した、『白焔玉』が効果を発揮してくれてよかった。
ドワーフの秘法の一つ、白焔玉は籠城をしている城の城門、そのかんぬきを溶かすために造られた物だ。
〈忠義の剛槍〉モルは、それを対魔物用に改良した。
改良、などと言っても、エルフが獣を保護するために使用する粘着矢の矢尻をガラス玉に取り付けただけなのだが。
つまり、この武器は仲の悪いモルとフローレアが共同開発した物。
摂氏二千三百度の高温はドラゴンの鱗すら溶かしてしまう、強力な武器である。
ゆえに、投てき者は熱さに苦しめられた。
「ぷはー」
そんな凶悪で危険な武器を残り二つも腰につけている少女は、受け取った水筒の酒を飲み干した。
「……ちょ、ちょっと……だけ、残ってます。ごめんなさい」
「い、いや」
グラハイムは困惑した。
少女、レインが霧の向こうから現れたときは信じられずにいた。幻覚か、夢でも見ているのだろうと。
それでも、こうやって飲み干された水筒の軽さは夢でもなんでもない。
「なんで、ここにいるんだ?」
聞きたいのはそんなことではなかったが、口から出たのはその言葉だ。
「え? さっき言ったじゃないですか。助太刀いたす! って。あとこれ、どうぞ」
白焔玉をひとつ渡すと、グラハイムは怯えたように受け取った。
「それは敵に当たれば、燃えます。まぁ近くにいたら、グラハイムさんも焼けちゃいますけど。……気をつけて使ってください」
「あ、あぁ」
レインはとことこと歩くと倒れている人々を見て回る。
倒れてはいるが、全員が死んでいるわけではないようだ。
事実、イナガミは牙や爪を使っていない。そういった『攻撃』を一切行っていないとすら言える。
かの魔獣がやったことと言えば、『前に進む』『前足で払う』その程度だった。
『ピィ?』
「うん、そうだね。えっとグラハイムさん」
「なんだ?」
「生きてる人を治療します。殺さないであげてください」
グラハイムは、なにが起こったのかわからなかった。
霧に包まれてから、そして少女がやって来てから、わからないことずくめだ。
それでも、どこからかスライムが現れたことに比べれば些細なことだろう。
数百の空色のスライムは倒れている人々にくっついて、あるいは乗って傷を治していく。
「あっ、これ、いいな。借りていきますね」
少女は落ちていた盾を拾いあげると、重そうに呻きながら霧の中へと進んでいく。
もはや姿は見えない。
グラハイムは止めることを忘れてしまっていた。あんな少女が化け物に勝てるはずがないというのに。
でも、止めることが出来なかった。
◇
グラハイムと別れてから数分後。
ボクはイナガミと対峙した。
「──見つけたぞ、イナガミ!」
ソラを頭に乗せたボクは、まるで亀の甲羅のように丸い大盾を背負っている。
足元には白い花が沢山咲いていた。小さな花びらが可愛らしい花だ。
そうなると前も後ろも左右も、そして上下すら、白に包まれていることになる。
(さて、霧が濃い方に来たら見つけた。イナガミの周囲には霧がある。つまり、霧は──魔法だ)
レインは冷静に判断すると、彼我の戦力差を考える。
武器となる白焔、破砕玉は二つずつ。
アーカーシャの剣は刀身が短いが相手を斬れる。
昔のように拾った盾はなかなか頑丈そう。
周囲には霧。地面にはぬかるみなどはない。
爪は岩をも切り裂く。
逃走の速度はブラックホーン以上。
大きな体躯はそれだけで武器。
霧は魔法。
他の魔法にも注意。
などと一瞬で判断すると、大きく息を吸う。
(霧にも毒性はない。むしろ涼しくて美味しい)
イナガミは攻めて来なかった。
一騎討ちを望んでいるのか、周囲に控えているブラックホーンを下がらせすらした。
強い魔人や長く生きた魔物は人間よりも知能がある、とはアルカの談。
『フォン』
突如、イナガミを中心にして霧が晴れた。
まるで台風の目の中みたいに花畑の外には白いベールが壁のように残っている。
「いいね。一騎討ち、ボクも望むところだ!」
そこはまるで、隔絶された神域かのように。
神聖さと荘厳さと、少しばかりの演出過多な場所だった。
神話の一場面を描いた絵画を見ているように、胸の中で沸き立つものがある。
冒険者仲間を助けるのは既に終わっている。ならこれは、なにか。なぜ戦うのか。それは──、
「どうよ、ソラ」
『ピッピッピッ……ピェィ!』
「だね。勝てたら、面白そうだ!」
ボクはリュックを下ろすと、中にソラの王冠を入れて茂みに向かってぶん投げた。




