第48話 元勇者、神を殺す
イナガミは騎士道精神のある魔物だった。
戦闘であれば相手に準備させるのは愚かなこと。
それでも、かの魔物はリュックをぶん投げ、狩猟刀を抜き、盾を構えるまで動かなかった。
それは強者ゆえの余裕、などではなく、正々堂々とした戦士の心である。
が、
「喰らえ!」
ボクにはそんなものはない。泥臭くても勝利したい。
それ以外には考えられない。
ということで初手から必殺の白焔玉を投げる。結果、威力を知られているのでかわされた。
熱風が花びらを焦がしている。
それでもイナガミは攻めてこない。
(首の毛が黒い。つまり一度目のは効いている……けど、致命傷じゃないのか)
城門をぶち抜いて、かんぬきまで溶かす白焔玉を受けても負傷程度。
さすがは魔物、とわずかに口元を緩めると、ボクは盾を正面に構えた。
白い稲妻のような速さが迫る。だが、正面に見えるのは攻撃でもなんでもない、ただの疾駆だ。
それでも弾かれ、一瞬で吹き飛ばされた。
レインは衝撃の瞬間に身体を浮かせる。
受け止められないと一瞬で判断した。なにせ盾を持つのもやっとだ。
「──ッ!」
宙でくるりと回転して盾を地面に押し当てる。
まるで子どもが坂道を板で滑るように滑って、盾の下の部分が木に当たり、ようやく停止した。
「──ぬぁっ!?」
イナガミは攻撃をゆるめない。
停止したと同時に前方に顔が見えた。大きく開いた口には鋭い牙が見える。
ボクは盾を起こすと同時に右足を引いてコマのように回った。
噛みつきは先程まで背にしていた大木を噛み砕き、倒木の音が森に響き渡る。
だが、
『フォン"……』
イナガミは苦悶の声を出した。
声だけではなく、右目からは赤き血を。
数百年ぶりの出血に、痛みと驚嘆の混じった声を漏らしている。
「へっへーん、さすがに目は硬くないよね。つまり刃を通さないのは体毛か」
レインはイナガミの口が迫った瞬間に、ベルトからナイフを二本抜いて、投てきしていたのだ。
刀身には血液の凝固を阻害する薬品──フローレア直伝──を塗っているので、この戦いの最中には回復しないだろう。
それからの攻防は単調なモノへと変わった。
攻めてくれば盾を使ってかわし、イナガミが距離をあけると破砕玉──当たると破裂して鉄釘を周囲に飛散する──を投げる。
どうしてもかわせない、となると白焔玉を使った。
そうした攻防の果て、残されたのはボロボロの盾とナイフくらいだ。
『ピィ? ピッピッピッ』
「うん。そろそろ限界。あとはソラに任せるよ」
ボクはソラを盾で叩き潰した。
もう盾を持つこともできない。両腕は紫色に変わり、指は赤黒く腫れ上がっている。
レベルとやらが上がって、盾をなんとか持てるようになったのに、相手がこんな化物では腕が限界だった。
(じゃあ、バトンタッチということで……)
ボクは腫れた右手を前にかざす。
「卑怯だ。なんて言うなよ? ボクは召喚師なんだから──召喚!」
足下から黒が広がった。
草を、花を、大地を飲み込んで広がり、とうとうイナガミの足元までたどり着く。
イナガミは黒を凝視する。その片方だけの黄金の瞳で。
「あぁ……痛い。あとは任せるよ」
とすん、と尻餅をついてボクは前を見る。
波打つ黒から現れるのは異形のドラゴンだ。
二体の巨獣は睨み合う。そして、
『グォォオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』
『フォォオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』
両者のあいだで風がうねりをあげた。
己が力を示さんとばかりの咆哮は、すべての音を掻き消して空気をも引き裂く。
それはまさしく神話の中に存在しそうな一場面であり、死闘の狼煙でもあった。
先制したのはドラゴンだ。
それは二本の鋭く長いツノを用いた突進であり、刺突。
しかし、それをさも当然の如くひらりとかわすイナガミは悠々と、そしてがら空きとなったその首に鋭い牙を食い込ませる。
『フォン!?』
されどイナガミもこんなことは想定していなかっただろう。ボクだってこんなことが出来るなんて、知らなかったのだから。
ドラゴンはソラであり、ソラはスライムなのだ。
その妖刀や魔剣のように鋭い牙が喰らいついた瞬間、飛び出たのは鮮血ではなく──。
それは、まるで強風が吹いて空から雲が掻き消えるように。
それは、まるで一つの空を描いた絵画のように。
それは、まるで──侵略であった。
じわりじわりと、白のうえに空色が拡がっていく。
既に神々しいまでの巨獣の上半身を飲み込んだ空色は、離れようとしない。
美しいとさえ思えた青空の一枚絵。
それは結構、いや、かなりえげつなかった。
空色のソレはイナガミの顔を包み込み、鼻と口から体内へと侵入したのだ。
如何に物理攻撃が無効とさえ言える体毛があっても、窒息にまで効果は発揮しない。
イナガミは苦しそうに転がる。
(……)
ボクは目を細めた。
しかし強すぎるがゆえに、ドラゴンもこの手段を選んだのだろう。
「……くっ」
だが、順調かに思えた攻撃は失敗だった。
召喚者であるボクの魔力が、もう底を尽きそうなのだ。
既に気持ち悪く、目眩も始まった。もはや残された時間は僅か。
(イナガミが、あとどれくらい持ちこたえるのか? それがわからない……)
鼻と口を押さえているだけではなく、体内に侵入しているのだ。
それはどれほどの不快感で、どれほどの苦痛なのだろう。
人間であれば数分が限界だろうか? ではこの大きなイナガミは?
わからない。わかっても、仕方がない。ボク自身、あと何分持つのかすらわからないのだから。
「ハハッ……行くしか、ないかぁ」
苦し紛れの笑いと共にボクはアーカーシャの剣を抜いた。
激痛にさいなまれながら、盾を置いて進んでいく。
眼前に見えるのは、苦しみに悶えている白き神獣。のし掛かるように蹂躙するのは空色の異形。
(まったく、どっちが悪者かわかんないじゃん)
ボクは胸の中でひとりごちた。
そうして激痛を我慢しながら──剣を降り下ろす。
──テッテーン
頭の中に聞こえる、間の抜けたような奇妙な音。
「撤退……ソラ、召喚」
ボクはその言葉を最後に、苦笑いを浮かべながら赤へと突っ込んだ。
◆
黒き獣たちは王の復讐をせんと血だまりに伏す子供に近づいた。
その時、空から声が響く。
「──待て」
空からホウキに乗った少女が降りて来た。
とても美しい少女だ。
黒き獣は少女を一目見ると、我先に逃げ帰る。
獣を見送る少女は、輝く銀の瞳と銀糸のような艶のあるシャギーボブの髪をしていた。
「うわぁああああああ! この魔物、我が欲しかったのに!!」
銀髪銀眼の少女は見た目に似合わず大声を出し、既に息絶えた白き巨獣を見て頭を抱えた。
『ピィ?』
「なんだお前? 我に気づいてずっと威嚇してたのお前だな? ヤメロよォ見てただけなのにさぁ~」
少女はイナガミに刺さった短剣を抜くとジーッと見つめ、
「わっかんね!」
と血を拭って腰の鞘に戻した。そして空色のスライムを見ながら心底楽しそうに笑う。
「おいスライム。こいつ、何者だ? というかお前も何者だ?」
『ピピピィ!』
「ん? あぁ、確かにこれじゃ動けないか。少しだけ魔力をわけてやる」
少女が指をパチンと鳴らすと、血だまりに伏した子供は目覚めた。
◇
吐き気と目眩がする中で目を開けると、真っ赤だった。
急いで顔をあげると自身に似た少女が立っている。
少女はこちらの顔を覗き込むと目を見て、「紫色なんだな~じゃあ我の勝ちだ」とかわけのわからないことを言うと、自己紹介した。
「我はフラーグン・エンソフ! 〈創造する者〉とか〈万物の始原〉とか〈偉大なる賢者〉とか〈魔導6杖〉とか~、まぁそんな風に呼ばれている。お前は?」
「……レイン・ヴィーシ」
「二つ名は?」
「無い」
「なに!? じゃあ我が付けてやるッ! ……なにか、いい案は無いか?」
「……」
くらくらする。正直なんでも良いし休ませて貰いたい。
そもそも今が夢か現実かすらわからない。というかあの時、魔力が完全に尽きたのだから起きているわけがないのだが。
「別になんでも」
もうろうとして、ひとつのおとぎ話を思い出した。
生涯で一度も負けなかった剣士の話だ。
子どもの頃は、その姿を思い描いて稽古していたような──。
「いや、不敗がいい」
「不敗? んー魔王に怒られそうだね。でも私もそんなのが良かったよぅ……」
「え?」
「あ、ワーハッハッハッハ! 我は急用を思い出したぞ。〈東方不敗〉よ、さらばだ!」
少女は楽しそうにホウキに乗ると、空の彼方へと消えて行く。
(……名前、なんて言ったっけ? フラ……フラッペ?)
どうせ夢だし、そんなことは大した問題ではない。
ボクは大の字に寝転がった。
「勝てたぁあああ……!」
『ピ~~~~ィ』
今度こそ力尽きて目を閉じる。
いつもみたいな気持ち悪さはなく、ただ疲れを癒すためだけに。
ソラもそんなボクを守るかのように寄り添って、一緒に眠る──。




