五時限目 会長さんに出会いました(その2)
本日更新分2話目
「あ――」
「――あ」
声が重なった。
吹き込んだ風に彼女の長い黒髪が大きく靡いた。少し釣り上がった彼女の大きな眼がひどく印象的だった。
「お? おおおおぉぉぉっ!?」
仰け反り過ぎたせいで椅子のバランスが崩れた。彼女は手を必死に振り回してバランスを取ろうとしたんだが、まあ重力には勝てないよな。
ガッシャーン!という盛大な音を立てて椅子ごと背中から床に倒れた。舞った書類がヒラリ、と彼女の顔に乗っかった。
「あいたたたたた……」
「だ、大丈夫ですか……?」
「あ、ああ。問題ない……」
頭を軽く振りながら俺が差し出した手を取って立ち上がると、スカートに付いた埃を払って、コホン、と軽く咳払いをした。その顔は少し恥ずかしそうに赤くなっていた。
「失礼。恥ずかしいところをお見せした」
「はあ……」
立ち上がった彼女の姿を改めて見た。
身長は俺の口あたりまであるから女子にしてはやや高いくらいだろうか。他の女子生徒に比べて顔に化粧っ気は無いが、少し釣り上がり気味の大きな眼と長い眉毛は意志が強そうだ。大き過ぎず小さ過ぎない口と鼻といい、俺自身はとても人の容姿を評価していい立場では無いが、十分過ぎるほどに美人と言っていい。
とそこまでつい観察してみて気づいた。
(ってこの人昼間の――!)
窓から飛び降りた女子じゃねぇか!
スカートから覗く黒いタイツの包まれた脚は細く長いんだが、この足の一体何処にあれだけの脚力があるのか。実に謎だ。そしてぱっと見いいとこのお嬢様っぽい雰囲気も醸しているんだが、何処に何のためらいも無く三階から飛び降りる程のバイタリティがあるのか、それも実に謎だ。
だがそれ以上に謎なのが――
(――でかいな)
彼女の胸だ。自信あり気に張られた胸は、彼女が何か仕草をする度に大きく揺れて俺の眼を捕らえて離さない。別に俺は女性の胸に特別な興味を示す性癖があるわけでは無いが、そんな俺でもつい不躾な視線を送ってしまうほどだ。ブラウスはボタンがはち切れそうなほどに膨れ、胸元のネクタイが浮き上がるくらいに主張している。アメリカでも胸の大きい女性は眼にしてはいたが、一体何をどうすればここまで大きくなるのだろうか、実に――謎だ。
「? どうした? 私の胸に何か付いているか?」
「い、いえ……」
いかん、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。思わず俺の顔も赤くなってしまって、彼女からつい顔を背けてしまう。
「と、ところで、ここが生徒会室でいいんですよね?」
「む? ああ、そういえば自己紹介がまだだったな」
そう言うと彼女は机に向き直って散らばったプリント類を掻き分けると腕章を取り出して自分の腕に幾つもはめていった。
「私が稜明高校生徒会の会長兼副会長兼書記兼会計の河合・陽芽だ」
(――!?)
会長兼副会長兼書記兼会計……?
「……えっと、確認なんですが」
「何だ? なんでも聞いてくれたまえ」
「会長は……」
「私だ」
「副会長は……」
「私だ」
「書記……」
「それも私だ」
「会…計……」
「もちろん私だ」
「つまり……?」
「うむ。君の考えている通り、生徒会は現在私一人で成り立っている」
ぷるん、と胸が揺れた。いや、そんなに堂々と言われても。
「……それで成り立ってるんですか?」
「ふむ……成り立っていると言えなくもないな。というのもまだ生徒会自体が発足して間もなくてね。生徒たちの不満の解消などに役立てないかと思って四月に私が立ち上げたんだが、どうにもまだ誰も何も言ってこないのだよ。
私自身一年この学校で過ごしてきて物申したいことが山ほどあって、しかし誰に申し上げればよいものか分からなくてな。その橋渡しみたいな事を出来たらいいと思って作ってみたのだよ。
しかし同じように他の生徒たちにも色々と言いたいことあるように思えたのだが、一体どうしてなのだろうな?」
「俺に聞かれても……」
それじゃ今は何をしてるんだ?
「私としても伊達や酔狂で立ち上げたわけではないからな。何か役に立てる事は無いかと先生方に相談したところ、生徒に関わる仕事なら、ということでこうして部活の予算の配分やチェックを任せてもらっている」
「へー……」
だがいいんだろうか?
「ん? 何がだ?」
「さっきから踏んでますよ」
「ぬおっ!?」
仁王立ちの先輩の上履きの下でクシャクシャになってますが。
「す、すまないが集めるのを手伝ってくれないだろうか!?」
「まあ、いいっスけど」
やれやれ、何とも不安な会長さんだ。
しかしこの学校は今まで生徒会というものが無かったのか。てっきりどこの高校どころか中学校にでもあるもんだと思っていたのだが。
そう思ったが、学校の空気を考えてみればそんなもんか、という気もしないでもない。
やる気は無く、やる事といえば勉強くらい。後は息抜きレベルでの部活動。まあ、とても生徒会を必要とするほど活気があるとは思えないな。
「ところで、君は初めて見る顔だが、もしかして武内・直クンで合ってるかな?」
「え? あ、はい。……どうして俺の名前を?」
まだ自己紹介もしてないはずだが。
「ふふふ。あまり私を侮らないでほしいな。これでも私は会長だぞ? 生徒の顔と名前くらい全員分覚えているに決まっているだろう」
「……」
何か今、サラッと凄いことを言った気がするんだが。
「……本当に全員分覚えてるんスか? 一年生から三年生まで全員?」
「当たり前だろう? 生徒会会長だぞ? トップに立とうという人間がたった数百人程度の生徒を覚えられなくては話にならんだろう」
「いやいや! 普通全員なんて無理ですって!」
「本気になれば大抵の無理は引っ込むものだ。それに私とてそれなりに努力はしたのだぞ? 最近は何と言ったかな? 個人情報の取扱に関する規制が厳しくてな、私一人では生徒の個人情報には触れる許可が得られなかったから小野塚先生のアカウントのメモをこっそり拝借して夜中にこっそり忍び込んで学校のデータベースにアクセスしたりだとか、顔写真と名前のリストをプリントアウトしたりしたんだ。うん、校務員さんの眼を盗んでのスニーキングミッションという奴は中々スリリングな体験だったな」
「堂々と犯罪を暴露しないで下さい」
「しかし夜な夜な寝る間を削ってデータを全て頭の中に叩き込む作業が一番きつかったな。何せ覚える作業をひたすら夢の中でも繰り返していたからな。必要な事とはいえ、数学教師の授業に耐えるのと同じくらい入学してから最大の苦行だったかもしれん。
ああ、もちろん生徒の住所も全て覚えているから、もし君が異性に告白したくなった時は遠慮なく頼ってくれていいぞ。その子の自宅前までナビゲートしてやろう」
「いえ、結構です」
何だこの人。
昼飯の為に二階から飛び降りたり生徒の名簿全部記憶したりだとか絶対おかしいぞ。いくら生徒会長(自称)とはいえやることが突拍子も無さ過ぎる。
(これは早々に退散した方がいいかもしれん……)
この人に付き合っていたらどんな犯罪に付き合わされるか分かったもんじゃない。さっさとプリント拾い集めて撤収するに限る。
「――ん?」
そう思って先輩と紙束を集めていた俺だが、ふと筆算が所狭しと書かれていた紙を見て気づいた。
「先輩、この計算、間違ってますよ」
「ん? どこがだ?」
「ここです、ここ。経費の所は消費税が内税のものと外税のものが混ざってるんで……ああ、これ最初にリスト作った人も気づいてないな。全部外税で計算しちまってる。だから、えーっと……サッカー部の収入は月々の部費に保護者会の分を足して、んで経費は備品購入と遠征費用と……先月分で六万千二百二十九円だから三千とんで十九円の赤字ですね」
これでも計算には自信があるからな。もう一度パッと眺めて検算してみたが、まあ間違いないだろう。
と、答えてしまって俺は気づいた。
「あ……」
世の中、まずいと思った時には大抵はすでに手遅れになるもんだ。
この場合も例に漏れず、紙から顔を上げたら、目の前で先輩が眼をキラキラさせながら俺を見つめていた。
「あ、じゃあ俺は忙しいのでこれで……」
「まあ待ちたまえ」
そそくさと退散しようとしたが、俺の腕を先輩はがっちりとホールドすると俺の体を持ち上げた。
「おおおおぉぉっ!?」
低い天井スレスレを頭が通過して俺を椅子に座らせ、瞬く間に机の上の紙束を片付け始めた。
「実はだね」
三角錐の役職表示札を机に叩きつけ――
「こう見えても私は計算が苦手でね」
三角柱の名前表示札に達筆で俺の名前を書き――
「君の様な人物を待ち望んでいたのだよ」
驚くべき速度で腕章を腕に巻きつけた――。
「おめでとう! 君を我が生徒会の副会長兼会計に任命する!」
「はああぁっっ!?」
何言ってくれてんの、この人!?
「いやいやいや! 無理ですって! 俺は今日編入してきたばかりなんですよ!?」
「大丈夫だよ。会計業務は数字の計算だけしてくれればいいし、副会長の仕事に関しては私の補佐をやりながら少しずつ慣れていけば問題ないさ」
「そういう問題じゃないですよっ! だいたい俺はまだ生徒会に入るとは一言も……!」
「直は」
異を唱えかけた俺だが、先輩は言葉を遮って俺の名前を呼ぶと同時に顔を見上げてきた。
「生徒会に入るのは嫌なのか……?」
「うっ……」
拗ねた様に口を尖らせながらも何処か泣きそうな表情で俺の眼を覗きこむ先輩。勝ち気そうな瞳が潤んでその中に言葉に詰まった俺の顔が映った。
「そういう訳じゃ……」
「じゃあどういう訳なんだ……!」
じわっ、と先輩の瞳に涙が滲み始める。
うう、気まずい……。女の人の涙には弱いんだよなぁ……。
「せっかく後輩が出来ると思ったのにな……」
「……」
残念そうに呟く先輩。潤んだ眼を見てると、こう、罪悪感がものすごくこみ上げてくる。なまじ美人なだけに尚更だ。
断りたい。けど断れない。確かに先輩一人だけっていうのは寂しいだろうし、生徒の役に立ちたいっていうのは本当のような気がする。その心意気は尊重するべきだし、手伝ってあげたいとも思うしな……
「……」
先輩は尚も黙って俺を見つめてくる。
うう……
「……な、なら、仮入部で……」
「本当かっ!?」
結局俺が折れた。
途端に先輩は一気に破顔して、俺の手を握ってブンブンと上下に振って喜びを露わにする。そしてイタズラっぽい笑みを浮かべると、急にご機嫌に鼻歌を歌いながら入部届けに光の如き速さで俺の名前を書き終えた。
まさか……
「もしかして今の……演技ですか?」
「ふっふっふ! もう言質はとったからな! もう今更取り消しは出来んぞ!」
「ズルいっすよ! ウソ泣きまでして人を騙して恥ずかしくないンすかっ!?」
「何を言う。女の涙というのはそれだけで武器だからな。目的を達成するのに有効だと分かっているものを使わずしてどうする? せっかくの有望な生徒なのだからな。私は全力を尽くしたまでのことだ。恥じることなど一片も無いっ!!」
くそっ、堂々と言い切りやがった。なんて人だ!
俺の名前が書かれた入部届を見せびらかし、俺は頭を抱えた。
「確かに泣いてみせたのは演技だが……」
彼女の声に右手で頭を抱えたまま、俺は顔を上げて先輩を見た。
「直が入ってくれて嬉しいというのは演技じゃなくて本当なんだからなっ」
そこにあったのは先輩の満面の笑顔だった。
まさに「花が咲いたような」という表現がピッタリとハマるような一点の曇りもない微笑み。思わずその顔に俺は見とれ、自分の顔が熱くなるのを感じながら髪を掻き毟った。
「あー、もうっ……」
そんな風に笑われちゃ何も言えないじゃないか。赤くなった顔を先輩に見られないよう手で覆いながら、俺は自分の敗北を悟った。
「時にだ、副会長。さっそくなんだが」
「あー……、なんスか?」
「生徒達の不満だとか困っている事を広く集めたいんだが、何か良い方法はないだろうか?」
「急に言われても俺も困るんスけど……目安箱でも置いといたらいいんじゃないスか?」
実際に不満があるかは知らねーけど、本気で困ってんなら投稿場所さえ設けときゃ勝手に集まってくんだろ。
そんな感じで適当に答えただけだったんだが、先輩の方は感心したように声を上げた。
「なるほど、目安箱か……かの吉宗公が民の意見を聞くために設置したというものだな。温故知新というわけか。うむ、歴史から古き教えを学ぶというのは良い考えだ」
いや、そんなに大層なもんじゃないんだが。そんな内心を知る由もなく、先輩はうんうんと何度も頷いていた。
「分かった。では……」
「陽芽!」
話してる途中で突然バァン!と勢い良くドアが開いて、バスケウェアを着た女子生徒が入ってきた。
「梨花か。どうした?」
「練習試合をしたいんだけどメンバーが足りなくって! 入ってくんない!?」
「承知した! すぐに行く!」
先輩は嬉しそうに大きな声で返事をすると、出て行った生徒の後を追いかける様にして部屋を飛び出していく。
「あ、ちょっと! 先輩!」
「目安箱は私の方で作っておくからもう帰っていい! ああ、君の入部届は私の方で先生に出しておくから! それではまた明日な!」
一方的にまくし立てると先輩は廊下だっていうのに砂埃が見えそうな勢いで走り去っていった。慌てて俺も追いかけて部屋から顔を出してみるが、すでに先輩の姿は無くて呆然と見送るだけだった。
「……はぁ……」
誰も居ない廊下を眺めて俺は肩を落とした。
参ったな。先輩は期待してくれてるみたいだが、少なくとも先輩ほど本気で活動に取り組む気は無いんだが……
まあ、いいか。ちゃんと仮入部って言ってあるし、事情を話せば先輩も分かってくれるだろう。
そう独りごちた俺だが、不意に俺が入るって言った時の先輩の笑顔が頭を過る。改めて思い出しても惚れ惚れする笑顔だが、その顔が曇ってしまうかと思うと言い出しづらいな。
「とりあえず……」
バイト行くか。
溜息混じりに腕時計を見て、俺は問題を棚上げすることに決めた。
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