二十七時限目 店に襲来されました(その3)
毎日更新五日目。
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「まったく……何だってんだ、アイツは……」
店内の床にブラシを掛けながら俺は知らず独りごちていた。
頭の中を占めるのは昨晩のあの我が家の惨状だ。何とか壊れた瞬間湯沸器の如く沸騰した頭を落ち着かせてアストレイから行った事情聴取の結果を鑑みるに、どうもヤツの言葉どおり、ウチを破壊してやろうという悪意は一片の欠片も無かったらしい。
ただ純粋に俺や雅を喜ばせようという一心でアイツはまず部屋の掃除に取り掛かり――リビングの惨状を作り出したようである。
何をどうやったら掃除を試みてあそこまで散らかすことが出来るのかは全く以て理解できない。だが悲しいかな、事実としてウチの家がああなってしまったわけである。
話を聞くに、掃除機を掛けようとしたが使い方が分からず、アレコレしているウチにスイッチを押したのだろう。突然音がして掃除機が暴れだした――というのはクソ外国人談である。当たり前の話しながら掃除機が勝手に暴れるはずもないので暴れたのはおそらく驚いたアストレイだろう、と思っている。
奮発して買った、軽量ながらも吸引力が変わらないただ一つの最新式掃除機なのだが、どうやらそれが裏目に出たらしい。軽量ゆえにビビったアストレイに放り投げられて時計を破壊し、強力な吸引力ゆえにアチコチ手当たりしだいに物を吸い込み、更に慌てたアストレイと組んず解れつの取っ組み合いを行ってしまった。そう俺は聴取結果から理解している。繰り返すがどうしてそうなったかは俺の理解の範疇外である。
思い返せば、そういえば一昨日にウチに連れてきた時もテレビが映っていたことに驚いていたな。
その時の反応もまるで、文明の進んでいないアフリカやアマゾンの秘境にすむ部族が初めて日本の電化製品を見た時みたいだった。いや、ちょっと違うな。どっちかというと、「存在を知ってはいたが実際に見るのは初めて」って方が近いかもしれん。
ともかく、そうして掃除は途中で断念。ならばせめて、とばかりに料理に取り組み始めたわけだ。
アイツの記憶は失われたままではあるが、それも何から何まで無い、というわけではないらしい。
名前を覚えていたように幾つかの断片的な記憶はある様で、知識も歯抜けではあるが残っている。電車とかバスとかも知っていたし、日本におけるある程度の常識とかも分かってはいるようなのだが、それはさておき、その残った知識の中にある故郷の料理作りに挑戦したのだ。
勝手にキッチンを漁って道具を取り出したのは、百歩譲って許してやろう。だがまともに使ったことのない道具を使って、しかもうろ覚えの知識で自らの実力も分からずに料理に取り掛かろうとしたそのチャレンジ精神を俺は絶対に許さない。
かき混ぜ用として電動泡だて器を使って中身をあちこちに飛散させ、濡れた手でボールを持って手を滑らせ、IHコンロを見て火が点いていないと思ってタオルを置いて火災を発生させ、フライパンでフランベをしようとして大量に投入した料理酒に直接火を付けて天井を焦がした。
その時に髪に火が移って、慌てふためいて暴れまくり、テーブルの上のもんをしっちゃかめっちゃかにしながら転げまわっていって、出来上がったのがあの素晴らしく前衛的で芸術的な部屋だ。
幸いにして途中で雅が帰宅して一緒に料理をしていたようなのだが、風呂掃除とかでちょっと眼を離した隙にああなっていたらしい。焦げ臭い匂いに慌てて部屋に駆け込んだが時既に遅し。燃え盛るフライパンの傍で呑気に水道で自分の髪を消火しているアストレイを蹴り飛ばして部屋の消火に当たらせたが、その時に消火器の噴射をもろに食らってしまった。後は真っ白な雅と部屋のデコレーションが完成に至る、というわけである。雅を泣かさないと誓ったあの言葉は一体何だったのか。よくあの場でアイツの尻の穴を増やすのを我慢出来たと自分の鋼鉄ばりの自制心を褒めてやりたいものだ。アメリカの時だったら親父の拳銃で確実にケツの穴を増やしてやっただろう。まあ当然頭を小突き回してはやったが。
「おや、今日はずいぶんと掃除に力が入ってるね。何かあったのかな?」
「昨日頭でお湯を沸かし損ねたんで、その時の熱がまだ頭ん中に残ってるだけですよ」
あの野郎の頭を殴り倒しただけで怒りが完全に治まるわけもなく、その怒りを掃除にぶつける俺はきっとイエス様も泣いて喜ぶ聖者だろう。怒りをぶつけられているモップくんにはたまったものではないだろうが。
「君がそこまで怒るとはよっぽどの事があったんだろうね。目つきに似合わず意外と心は広いからね、直は」
「それ、褒めてます?」
「さて、どうだろうか? それよりももうモップ掛けはいいよ。夕方の営業を始めるから」
「分かりました。じゃあ洗ったカップを棚に戻してきます」
「ああ、それはこっちでやっとくよ。あんまり待たせると怒られるからね」
「誰にですか?」
尋ねるとミケさんは親指で通りに面した窓の方を指した。
振り返ってみると――
「おヒメ様に、ね」
窓に顔を押し付けて膨れっ面で店を覗きこんでいる先輩の姿がそこにあった。
☆★☆★☆★☆★☆★
「お待たせしました。本日のブレンドコーヒーです」
昨日と同じように先輩の前に香り芳ばしいコーヒーを置く。先輩は静かにカップを手にとって昨日と同じようにまずは香りを吸い込んだ。眼を閉じて、まるで上質を知る人の様に鼻でまずコーヒーを味わっていく。
そして一口。少しだけ口に含むと口内に広がる豆の香りと苦味、酸味、コクを存分に堪能して、眼を開いた。
「いい香りだ。今日は……キリマンジャロとブルマン、モカだな?」
「いえ、コロンビアとモカマタリ、サントスになります」
さながら、昨日の焼き直しである。
先輩は眉間にシワを寄せて「むぅ……」と小さく唸ると触り心地の良さそうなストレートの髪を掻き毟った。
「やはり難しいな。昨晩本を買って帰って勉強したんだが」
今度の興味はコーヒーですか。どっちかっていうと俺のイメージだと先輩は紅茶派っぽいんだが。
「うむ。元々は紅茶派だったんだが昨日ここで飲んだコーヒーが美味しくてな。是非とも家でも再現してみたくて、それにはまず豆の違いについて勉強しようと思ってさっそく本とミルとかを買って淹れてみたんだ」
「いきなり熱心ですね」
「根を詰めすぎるのは悪い癖だよ。十何杯も飲んだおかげで昨晩は殆ど寝付けなかった」
飲み過ぎだ、それは。
「一晩じゃ利きコーヒーは幾らなんでも無理ですよ」
「しかし深音は見事に当ててみせたじゃないか」
「アイツはたまに不明な実力を発揮しますから。参考にしちゃダメですって。
あ、いらっしゃいませー」
客が入ってきたので先輩への対応を中断して席を離れる。新たな客はどうやら外国人らしく見覚えの無い客だ。薄い褐色の肌だったので一瞬アストレイかと思ったが、違った。目深に被った帽子の下から覗く髪色もアイツと一緒だから、同じ国の人間だろうか。
そんな事をつらつらと考えながら席に案内するが、日本語が分からないのか、それとも元々の性格なのか愛想の一つも無く俺をジロリと見ると、「カフィ……」とだけ告げてソッポを向いてしまった。
少しムッとするような態度だが昨日のアストレイ事件(仮)に比べりゃ大したことない。今ならコーヒーぶっかけられたって笑って許せる気がする。
「ところで、直」
「なんスか?」
伝票をミケさんに渡したところで先輩が声を掛けてきた。
「昨日の話なんだが」
「ああ、アストレイの件ですね」
「うむ。やはり本人から話を聞かねばならんからな。直にも出来る限り話したのだろうが聞き手が変われば新たな情報も出てくるやもしれん。もちろん昨日直が言った通り本人が了承してくれれば、ではあるのだが」
「それでしたら今日ここに来るように伝えましたから。協力してくれるなら喜んで会ってくれるそうです」
本当は少し渋っていたんだが、昨日散らかした代償として無理やり命令したんだがな。最後にはアイツも乗り気だったし、問題ないだろう。
「五時過ぎくらいには来れるって言ってたからたぶん……」
カラン、と入り口に吊り下げられているベルが鳴った。そしてドアの奥から見慣れてきた褐色の肌のイケメン外国人。
「来るんじゃないかと思ってたんですが、ちょうど来たみたいですね」
「あの方か?」
アストレイは店に入ってくるとキョロキョロと不安そうに周囲を伺っていたが、俺の姿を見つけると嬉しそうに破顔して小走りで走り寄ってきた。
「ああ、直! 良かった、辿り着けて。しかし君の描いた地図は芸術的すぎて分かりづらかったよ。もうちょっと素人にも分かりやすい絵を心がけるべきだと思うんだ」
「余計なお世話だ」
俺ももっと絵が上手くなりたいもんだがね。こればっかりは才能が無いと諦めているが。
「それで、そちらの女性が手伝ってくれるという人かい?」
「そうです。初めまして、河合・陽芽です。よろしくお願いします」
先輩は立ち上がってアストレイに握手をしようと手を伸ばす。
が、アストレイは先輩の顔をじっと見つめたままだ。
「どうかしましたか?」
「いえ……失礼だが、何処かでお会いした事はありませんか?」
「いや……貴方とは初対面だと思うが……もしや記憶が?」
「ああ、いえ。そういう訳では無いのですが、なんとなく会ったことがあった気がしまして……そう、ですか。失礼、どうやら勘違いだったようです」
「ふふ、別に構いませんよ。探し人もそうですが、アストレイさんの記憶が戻るのも大事でしょうから。
来て早々で恐縮ですが、それでは話を聞かせてください」
そう言って先輩は微笑んでアストレイを席に座らせると一拍遅れて優雅な仕草で自分も座る。
なんつーか、ホントこういう時は先輩って仕草がお嬢様っぽいよな。人をもてなすのに慣れてるっていうか、目上の人と話す時にも物怖じしない。俺も気後れしたりはしないんだが、俺とは違って気品があって……上手くは言えないが、お嬢様って言うよりも「女王様」って感じか。女王様って言うと何かエロい響きがあるけどな。とてもあんなボロ屋に住んでるとは思えん。
「あーっと、ミケさん」
「あー、いいよいいよ。昨日と同じ感じで。事情は知らないけど訳ありなんでしょ?」
「すみません……」
「その代わり給料差っ引いとくから」
「……売上が伸びたって事で何とかなりませんかね?」
「他の客の倍飲んでくれたら考えてやるよ」
「よしお前ら、たっぷり飲め。今すぐ飲め。胃をコーヒーで満たせ」
特にアストレイな。部屋の修繕代で今月は大赤字だ。ションベンがコーヒー色になるまで帰さねぇぞ。
念押しすると、苦笑いしながらアストレイは事情を陽芽に話し始めた。
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