#26
その男……唐澤刑事と一緒にうちに来たあの若い刑事さんだ。そして唐澤刑事へと何か耳打ちする。
「タクマ君、黙っていて申し訳なかったが彼は今日ずっと君のことを尾行していたんだ」
尾行? ……俺を?
「すまんな。刑事ってのは疑うのが仕事でね……」
え……疑うってやっぱり……自分の中の何かが崩れてゆくのを感じる。
ガシャーン!
そう、まるでガラスのように簡単に割れ……え?
「唐澤刑事っ!」
若い刑事が叫ぶ。いま、なんかすぐ近くでガラスが割れたような音が……
「構え!」
その唐澤刑事が号令をかけると、あのごっつい警官隊の隙間から緑色の作業服みたなのを着た人たちが数人現れ、俺に向かって何かを構える……じ、銃? ちょっと待てよ。普通の大学生に向かって銃? 何かの誤解が、いや、そのまえにともかく撃たないでって。
「撃て!」
慌てて両手で耳を塞いで目を閉じた……。
…………目を閉じて、初めて気付く。妙に、寒いことに。なんだ、この寒気は……俺、撃たれて死んだのか?
「タクマ君、早くこっちに来るんだっ!」
唐澤刑事の叫び声が聞こえて目を開けると……透明な盾と警棒を構えた警官隊が、こっちに向かって突進してくるのが見えた。い、今、こっちに来るんだって言った? こっちって……この警官隊の中? 誰だって混乱すると思う。でも、その一瞬のやり取りをぼんやりと受け止めていただけの俺の左腕に、鋭い痛みが走った。
反射的に自分の腕のほうを見ると、そこには顔があった。燃えるように血走った目、皮膚は紫というか緑というかとにかく人間離れした色に爛れ、むき出しの歯茎から出た赤茶けた歯が、俺の左の二の腕に噛み付いている。いや皮膚というより靄に近いかも、なんて言っている場合じゃない。そのバケモノじみた顔があまりにも近くて、吐き気さえもよおすほど。強烈な寒さを感じるのはこいつからか?
なんなんだこれはという疑問と、早く逃げなくちゃという焦りとが、今の俺を閉じ込めている恐怖という名の檻の中で暴れる。本当に、わけがわからない。
ガーーーーーンンン!
バケモノに噛み付かれたせいで左腕で押さえきれていなかった俺の左耳に、すさまじい衝撃音が殴りこんできた。今のって銃声? そう考えたのと同時だった。俺に噛み付いていたナニカが遠ざかり、再びガラスの割れる音がした。ソイツは窓の外へと飛び出したのだ。その時に後ろ姿がちょっとだけ見えたけれど……なんだあれ……人……なのか?
その姿が窓の外に消えた後もしばらく呆然としていた。何が起きたのか、まったくわけがわからなかったんだ。
「落ち着いたかい?」
俺の前を歩く唐澤刑事が肩越しに振り返りながら俺の表情をうかがう。俺はため息を吐くようにうなずいた。
ガチャガチャと金属がこすれる音に囲まれながら、この廊下は音がよく響くな、なんて考える。ものものしい警官隊と麻酔銃を持った獣医さん達と俺たち……俺と青戸さんと山瀬と明里ねーちゃんとで一緒に病院内を移動するその目的地は、新病棟の地下にある会議室。あのバケモノはまた襲ってくると唐澤刑事は読んでいるっぽい。
まるでゲームか映画か何かのよう、そんな風にすぐ現実から逃げそうになる自分に喝を入れる。これは現実なんだ。整理しなきゃ。今、起きたことを、そして、今まで起きたことをも。
ズキズキと痛む左腕は、凍傷に近い状態だと言う。幸い、握力なんかは失っていないけれど……まだ……逃避ではなく現実問題として向き合っているのにまだ、さっきのあのバケモノのことを考えようとすると背筋がゾクリとして記憶が凍りつく。
もしかしてあれが、赤城を?
女性陣がトイレへと向かった隙に、唐澤刑事に小声で質問を投げかける。
「唐澤さん……あいつが……ひょっとして……」
「ああ。君の腕からあのウィルスが出た。連続殺人事件の犯人と断定して間違いないだろう……そして、おそらく君の家へ遺体の一部を運んだのも同じヤツだろう」
そうだ。遺体が見つかったんだっけ。
「あの、うちで見つかった遺体の一部ってのは……」
聞きたくはなかったけれど、知らないままでもいたくはなかった。
「以前、他殺体で見つかったとある被害者の、なくなったと思われていた腕だ。しかも赤城君と同じような……」
あの異様な赤い模様の腕を思い出す。びっしりといくつもの結晶がこびりついたような……
「何らかの原因で血液が凍り、その膨張した冷凍血液が血管を壊し、その後急速に乾燥された……そんな仮説が立てられている。君の腕が凍傷の一歩手前になったのを見ると、あの怪物信じがたいがそういう力を持っているということなのだろう」
俺の腕が……赤城の腕みたいになるところ……だったって?
(続く)




