花冷え(2)
大井中佐は、意外なことを口にした。
「このいくさの行く末、どうなると思う」。
静かな口調で、しかし眼だけは炯々と光らせて大井中佐は尋ねた。
「行く末ですか。」
三井大尉は、全く戸惑ってしまった。
今でこそ海軍士官の軍服を着て、海軍の枢要といえる場所にいる。
しかし、自分が生粋の軍人ではないということ。そのことは、予備士官になるうえでの訓練、そして艦隊や部隊の勤務で感じさせることがあった。
だから、うかつな物言いは出来ない。
この戸惑いの感覚は、軍人としての感覚ではない。特高警察や隣組の目を恐れるような、むしろ市井の一般人の感覚に近い。
三井大尉は、言葉、自分の立場、そういうものを一瞬で計算しながら、意識してゆっくりと答えた。
「兵力は、充実しています。」
一瞬、大井中佐から目をそらすと、向き直って続けた。
「第一護衛艦隊、第二護衛艦隊は、徐々に充実しています。現段階で約24ハイのフネ。今年の春、それぞれ2個海防隊が配属されます。
決して十分な兵力とは言えません。しかし、順次増強される海防艦で、通商路は何とか守っていけると思います。」
あえて、彼の職掌内で答えた。
勿論、戦争全体についての意見はある。しかし、それを口にするのは、自分の地位と立場ではあまりに危険に思えた。だから、自分の職掌の話に、すり替えた。
「そんなに緊張せんでいい。」
苦笑したような表情を浮かべて、大井中佐は言った。
小さなため息交じりに、続ける。目線を窓の外に向けた。
「残念だが、海軍は君が思う程、合理的で物分かりのいいものばかりじゃない。」
夏場、生ゴミの容器をそれと知らずに開けたときのような表情で、言葉をつづけた。
「命をかけていくさをしている。しかし、勝つ以外のことにこだわってものを考える奴だって、たくさんいる。」
苦身を含んだ表情から微笑したような表情を笑顔にして、大井中佐は言った。
「君はいろいろ言ってくれて、助かっているんだ。」
三井大尉は、務めて平静を装っていた。
要するに、動揺していた。
正規の士官でない自分に、人のいないところでこんな話をする。
一体、何なのだろうか。
沈黙を続ける三井大尉に、大井中佐は畳みかけるように言った。
「だから、大学出で一般社会をよく知っている、君に聞いているんだよ。」
大井中佐は、海軍(というよりやや侮蔑的に軍隊内)で一般社会を指す「娑婆」という言葉をあえて使わなかった。念を押すように、問うた。
「君には、いろいろアイデアを出してもらっている。だから、聞いているんだ。」
確かに、と三井大尉は思った。
海上護衛総司令部で行われている業務を手伝ううち、どういうわけか、大井中佐から、いくつかの助言じみたことを求めては答えていた。
といって、大した内容でもない。中学以降、特に高校や大学での学習内容はどんなことを学ぶのか、とか、(海軍士官は、中学在学中に兵学校へ合格し、そのまま中学を中退する場合が多いので、中学以上の学制には疎い)先輩などの就職の状況など。(地方都市のいわゆる高等学校から東京の大学に籍を置いた三井大尉にとって、ようするに先輩とは、官庁や企業の幹部候補生である。そのような人物が何を学び、どのような生活をして、どんな意思決定をする傾向など。
ただ、こうかけばものものしいが、言ってしまえば「世間」というもののありようである。
(言おう。)
三井大尉は腹を決めた。
あるいは、大井中佐なら信じていいかもしれない。
彼なりに、この戦争において果たしたい役割はあった。
「戦争全般のことでしたならば、厳しいと考えます。米国の生産力は我が国と比較になりません。ガダルカナルで敗けた、ということは、豪州を米国と遮断し、かつ、インド洋で積極的に通商破壊戦を行い、英国の屈伏を図るということができなくなったことを意味します。」
だいぶ不味いことを言っているな、と自覚しながら、しかし言葉は選ばなかった。何と言われるか。
「続けてほしい」
真剣な表情で、大井中佐は言った。
「続けてほしい、とはどういうことでしょうか。」
「今の話は、結論まで出ていない。つまり、この戦争の終わりだ。」
(言わせるのか)と三井大尉は思った。
意図してであるが、結論から話していない。このこと自体、海軍、分けても士官であればとがめだてされるものの言い方である。
三井大尉、言い方は、日本の敗戦をにおわせている。
大井中佐はまさか、貴様神州不滅の精神は云々、等と言い出して、殴ったりはしないだろう。
だが、果たして一介の大尉、しかも出自が予備士官である自分がそこまで口「を」出して、いや、口「に」出していいのだろうか。
いや、しかし。
三井大尉は、務めてゆっくりと言葉にした。
「海防艦などの護衛兵力の増強が、いずれ追いつかなくなると思います。少なくとも、ニューギニア等の遠方の補給線の維持は早晩不可能となります。
そして、そこで兵力を消耗すれば、国力維持のための通商保護ができなくなります。」
「つまりは?」
大井中佐がのぞき込むような眼をしていった。
「敗けます。」
三井大尉は、そこは軍隊らしく短く結論を言った。




