小さな修復
翌朝。
まだ慣れない魔王城での朝食を終え、中庭を散歩していた。
高い石壁に囲まれたその場所には、花壇らしき区画がある。
だが、そこに咲くはずの花はすべて首を垂れ、葉は黒ずみ、土は乾いていた。
魔国に来てから気づいたこと――花はどこも、ほとんど咲いていないのだ。
虚無が土と水を蝕み、命を根こそぎ奪っていく。
「……ここも、だめなんだ」
思わずため息が漏れる。
「書記官さま!」
ぱたぱたと軽やかな足音。
リリィが駆けてきて、小さなじょうろを抱えていた。
「あっ……見られちゃいました」
頬を赤くして、彼女は花壇の前で立ち止まる。
「ここ、わたしがいつもお水をあげてるんです。……でも、一度も咲いたことがなくて」
その声は少し沈んでいた。
「魔国の花はみんな、虚無のせいで枯れちゃうんです。……咲いたらきっと綺麗だろうなって思うんですけど」
私は胸がちくりと痛んだ。
この子は、咲くことのない花に、それでも水をやり続けていたのか。
気づけば、バッグから羽ペンと古書を取り出していた。
「リリィ」
そっと声をかける。
「……ちょっと試してみてもいい?」
「え?」
首をかしげる彼女に向かって、ページを開いた。
『枯れし花よ、陽を受け、水を吸い、再び芽吹け』
光の文字が土に刻まれる。
次の瞬間――黒ずんでいた花壇の一角に、わずかな彩りが戻った。
十数輪の花がふわりと顔を上げ、赤や黄色の花びらを広げる。
風に揺れ、ほのかな香りが漂った。
「……!」
リリィの瞳が大きく見開かれる。
「これが……花、なんですね」
その声は驚きと喜びで震えていた。
「ずっと絵や本でしか知らなくて……本物を見るのは初めてなんです」
胸がぎゅっと締め付けられる。
(この世界では、花すら虚無に奪われていたんだ……)
けれど同時に、リリィの顔に浮かんだ笑顔は、心の奥をじんわりと温めた。
自分の力で、ほんの少しでも希望を見せられた――それが嬉しかった。
……でも。
この力の源は、15歳のころの私が黒歴史ノートに殴り書きした言葉。
その軽率さが、この世界の混乱を招いたのかもしれない。
嬉しさと罪悪感が同時に押し寄せ、私は複雑に揺れる胸を抱きしめた。
「……救えるのは街だけじゃないんだな」
小さくつぶやいた声は、花と風に溶けて消えた。
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