虚無の深淵・後編
深淵は嘲るように蠢き、何度目かの私の文字を呑み込んだ。
黒の奔流はますます濃く、押し寄せる波が大地を軋ませる。
「っ……!」
リリィの声が震える。
「護りが……もう……!」
光の腕輪が明滅を繰り返し、頼りなく揺れている。
限界は近い。
⸻
「なら、俺が押し返す!」
ガルドが吠え、大剣を両手で振り抜いた。
その一撃は黒の奔流を裂き、道をこじ開ける。
「行けぇッ!」
ゼノが無言で続き、鋭い刃で霧を断つ。
その動きは迷いなく、ただ核を目指して一直線だった。
クラウスは戦場を観察しながら声を張る。
「やはり存在します、深淵にも核が! ですが、厚く覆い隠されている……!」
「核……」
私は唇を噛む。
「なら、暴き出すしかない!」
⸻
羽ペンを握り、ページに叩きつける。
『闇を束ねる核よ――その姿を顕せ!』
光が飛び散り、霧を裂く。
次の瞬間、闇の奥で赤黒く脈動する“核”が、かすかに浮かび上がった。
「見えた……!」
だが核はすぐに深淵の影に覆い隠され、再び姿を消す。
「まだ……足りない……!」
⸻
「時間を稼ぐ!」
ガルドが前へ出て霧を切り裂く。
ゼノが核の方向へ無言で駆ける。
リリィは震える声で詠唱を重ね、護りの結界をさらに強く張った。
「これ以上は……本当に限界です……でも、今だけは!」
クラウスが叫ぶ。
「今の一筆で手がかりは得ました! マシロ様、次で決めてください!」
「うん……!」
私は羽ペンを握り直す。
鼓動と一緒に、腕輪の光も強く脈打った。
⸻
『束ねる核よ――その力、再びは紡がれぬ』
私は再び、同じ言葉を刻んだ。
今度は光の文字が幾重にも重なり、鎖のように編まれて核に絡みつく。
深淵は咆哮を上げ、闇の奔流で振り払おうとする。
だが鎖は離れず、赤黒い核を縛り付けていく。
「今だ――砕け!」
魔王の声が響く。
黒炎が奔り、ガルドが大剣で叩き斬り、リリィが結界で最後の道を押さえる。
ゼノが無言で踏み込み、剣を核へ突き立てた。
赤黒い光が爆ぜ、深淵全体が悲鳴のように震え――やがて、霧散していった。
⸻
残ったのは、静寂と崩れ落ちた大地のざらついた音だけ。
私は羽ペンを握ったまま、膝から崩れそうになり、必死に堪えた。
「……終わった、の?」
自分の声が、信じられないほど弱く響いた。
「ひとまず、な」
魔王が応じる。
「だが深淵は……世界のどこかで再び芽吹くかもしれん」
クラウスが記録を閉じ、深く息を吐いた。
「ですが、今回の勝利で証明されました。マシロ様の筆は、深淵すら断ち切れる力を持つ……」
「……ふぅ」
リリィが杖を抱え、ようやく笑みを見せた。
「やりましたね」
ガルドが大剣を肩に担ぎ、豪快に笑う。
「ったく、とんでもねぇ戦いだったな!」
ゼノは何も言わず、ただ剣を鞘に収めた。
その片目が一瞬、こちらを見て――すぐに逸らされた。
⸻
私は息を整えながら、古書を抱きしめた。
(何度も失敗して……でも最後は、書ききった)
守られるだけじゃなく、仲間と一緒に勝ち取った。
虚無の深淵は消えた。
けれど――これは始まりに過ぎないのかもしれない。
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