魔王城会議
花壇の一角に咲いた花は、城中の話題になった。
ほんの十数輪――それだけでも、魔国にとっては十分な奇跡だったのだ。
そして私は、広間に呼び出された。
魔王を中心に、クラウス、ガルド、リリィ、ゼノが長い黒檀のテーブルに並んでいる。
張り詰めた空気に、自然と背筋が伸びた。
「……まず確認しておきましょう」
クラウスが冷静に口を開いた。
「救世の書記官様が本物であることは、もはや疑いようがありません。街の再生、そして花壇の修復――その力は伝承そのものです」
少し安堵しかけた私に、しかし彼は続けた。
「ですが――その名を明らかにせぬまま、“救世の書記官”と呼び続けることは危うい」
「……どうしてですか?」
「人間諸国には救世の書記官を祀る神殿が存在します。彼らが黙っているはずがない。
横やりを入れてくるでしょうし、場合によっては“真偽を確かめる”という名目で誘拐や拉致もありえます。
あなたが信仰の対象である以上、熱狂も狂信も、すべてがあなた自身の身を脅かすのです」
喉がひゅっと鳴る。そんな危険が――。
クラウスの瞳がさらに鋭さを増す。
「加えて……魔国が救世の書記官を抱え込み、世界を我が物にしようとしていると――疑念を持たれるでしょう」
広間に静かな緊張が走った。
だがクラウスは小さく眼鏡を押し上げ、淡々と続ける。
「……もっとも、他国にとやかく言われる筋合いはありません。
何しろ、この救世の書記官様を呼び出したのは――我らが魔王陛下なのですから」
「……呼び出した?」
思わず声を漏らす。
「どうやって……?」
クラウスは一度魔王を見やり、答えた。
「古代の預言書に記された、最後の召喚の儀式。
救世の書記官を呼び戻すことでのみ、この世界は再び繋がれると……そう記されていました」
魔王の金の瞳がわずかに光る。
「人間どもは躊躇した。滅びに怯え、手を汚す覚悟を持てなかった。
ならば我が手で行うまでだ」
「……そう、なんだ」
胸の奥で、奇妙な納得が広がった。
あの頃の私が、物語の余白として雑に書き残した設定――
“救世の書記官は、必要とされれば呼び戻される”という一文。
(もし、あれがなかったら……この世界は今頃もう滅んでいたのかもしれない)
くだらないと思っていた黒歴史が、実際には最後の綱になっていた。
罪悪感よりもむしろ、背筋を伸ばさなければと思わせる重みが、静かにのしかかる。
ゼノが短く言った。
「名を名乗れ。それが最低限だ」
リリィも小さく頷いた。
「そうですね。わたしも、書記官さまをお名前で呼びたいです」
逃げ場はない。
深く息を吸い、私は言った。
「……私は、藤堂 真白です」
沈黙。
クラウスは頷き、記録用の羊皮紙にさらさらと書きつける。
「――承知しました。では今後は“マシロ様”とお呼びいたします」
「マシロ姉御か! いい名前じゃねぇか!」
ガルドが豪快に笑った。
「ましろ様……」
リリィは小さく繰り返し、頬を緩める。
「素敵なお名前です」
そして魔王。
金の瞳が鋭く光り、ただ一言。
「――マシロ」
肩書でもなく、役割でもなく。
たった一人の人間として名前を呼ばれた瞬間、胸が大きく跳ねた。