1/王国にて
「てまーね?」
昼食の後、その話は前振りなく始まった。
「何それは」
aの部屋へ向かう廊下で、ふたりしてオージサマを振り返る。
「テマーネ。この世界を決まった順路で一周する事だな」
「世界一周旅行? いいね、ヒマだったんだ」
「世界一周って…何日掛かんのよ」
aが冷静に突っ込む。Kとしては何日掛かろうがヒマが潰せるのなら望む処だ。
「でもほら、時越えできるから。え、使っちゃダメとかないでしょ?」
台詞の途中で驚いた気配を見せたシールを振り返る。
「あぁ。そんな制限は聞いた事はないが…」
では何に驚いたのか。aに視線を向けるが、aも首を傾げている。少しだけ困惑した様子だったシールはやがて「なんでもない」とだけ言って話を戻した。
「そうだな。時越えが使えるなら簡単だ。ケテルを入れて十国廻ればいいんだ。十日もあればいいだろ」
十日。という事は。
「ホントにこの世界国十コしかないの?」
「そういう事になってるな」
ここ数日、Kは図書館に籠って世界の勉強もしていた。このセフィロートは大体チキュウと同じ程度の星だと思われる。陸地面積も大体同じか、少し少ないくらいだろう。だがその陸地はチキュウのように分かれておらず、小さな島を除けば全て一続きの大陸らしい。その広大な地を、たった十の国が治めている──その広大な地が、たった十の国にしか分かれていないというのだ。
統治者のいない土地、最南の国マルクト。
法と宗教の支配する技術大国、イェソド。
女性上位の熱帯の国、ネツァク。
月を崇める神秘の眠る国、ホド。
世界の中心に位置し最も栄える商業国、ティフェレト。
岩と砂漠の続くケテルの従属国、ゲブラー。
神を忘れた医療先進国、ケセド。
巨大な塔が聳え立つ魔術師の国、コクマ。
穏やかな海に抱かれた国、ビナー。
そして、全国に対して強大な影響力を持つ武装大国、ケテル。
驚くべきは、この全ての土地で言語が共通であるという事。慣習や言い回しは異なるにしても、大体の処話が通じるという。つまり方言程度にしか違いがないのだ。その点で言えば世界旅行も比較的容易いだろう。
「いいじゃん。じゃあやろうよそれ。ねぇaさん」
「うん、いいんじゃない? アタシは時越えなんてできないからK一人で頑張ってね」
うわ。
「旅の内にaさんも覚えてよね! 疲れるには疲れるんだから!!」
そう。時越えを、マスターしたのである。この短期間で。とてもスゴイと思う、とKは自らを褒め称えた。
「あ」
ふと思い至りシールに目を戻す。
「心配してくれたんだ」
シールはまだKが時越えをマスターした事を知らなかったので、先日の惨状を思い出して心配してくれたのかも知れない。
「ああ、よかったな」
可愛げのない無表情でさっぱりと認めた。もう少し照れてくれれば楽しいのに。
「そうだね、やるにしてもいつ行く?」
aも乗り気のようだが、実行を決める前に聞いておくべき事がまだある。
「てか何するの? …どうするの? っつーか」
「あぁ、」
忘れていたと言わんばかりにシールが顔を上げた。
「各国のターミナルに寄っていくだけだ。テマーネを遣り終えたものには何かしらの恩恵があるというぞ」
恩恵。祈願成就、みたいな話だろうか。
「ターミナルって何?」
横からaが尋ねてきた。Kが図書館通いしている間、aは訓練所で楽しんでいたのだから仕方がない。
「ターミナルってのは、ワープゾーンみたいな奴だよね」
シールに確認を取る。
「…あー、各国に一づつある古代の遺物だ。どういった物かは実際見た方が早いだろ」
「そうだね。じゃあいこ。すぐ行こ。今行こ」
思い立ったが吉日だ。
「ならさしあたってはマルクトだな」
「マルクト、ね。なら場所は判ってるし、よ、と」
そのまま通りすがりの窓を乗り越えて空へ飛び立つ。大丈夫、墜落死はしない。フェニックス君に飛び乗っただけだ。
aが一人だけ何も解らないという顔をしていたが、とにかく三人は遠くの空へ向かい飛び発った。
上空から、落ちてきた時と何も変わらないその異様な光景を眺める。
「はぁ。マルクトってここかぁ」
Kたちの初期落下地点が、ちょうどマルクトの国土の中心に位置する湖だった。やはり原地の人たちは海扱いしているらしいが、湖なのだそうだ。
そしてその側に樹が──とてつもない大樹が生えていて、相対的にその九州一個分くらいありそうな湖が普通の大きさに見える。何だあの樹。
降下して、巨木の根元に降りた。
「でっけぇ~…」
呆れるほどに大きい。ここまで大きいと、ちゃんとこの土地の養分は足りているのか心配になる。
ポカンと天空へ続くその枝の先を見つめていると、シールガイドの解説が入った。
「これがこの世界の由来と言われる生命の樹、セフィロートだ」
聞きながら巨大な鱗のような樹皮を撫でる。デカイ、硬い。
「誰が数えたか忘れたが、枝は二十三本しかないらしい」
どっちが大地だか判らないような、太いというレベルではない大きな根に腰を降ろす。
「一年に一種づつ、十年で十種の実をつける。そこから暦が作られたらしいぞ」
実。つまり種。ならばこれは育てられるのか。
「コワ………」
「K? 顔が嬉しそうだぞ?」
「正確には『実』とは違うんだが。種ではなく土を肥沃にする成分が豊富に含まれているそうだ」
aの不審気なツッコミに加えてシール教授の解説により夢は費えた。それはそうだ。こんなのが複数生えてきたら土が死ぬ。世界の危機だ。それにしても。こんなに大きくなってしまったが故に、自分を生かすために自分で養分を作っているとは難儀な奴だ。興味深い。
「城戻ったら研究したい事メモっとこ」
取り出したメモ帳に書き込む。
──「き」、と。
「アレは…ほこら?」
aの不審気な視線を辿る。そこにあったのは…あれは………Kの記憶からそれに一番近いものを挙げるのならば、公衆便所だ。公園などの。
「………」
祠という言葉を当て嵌めたaに驚愕を覚える。Kにはピンチだったら駆け込んでいた自信がある。
「アレがターミナル。回廊への入口にして転送装置だな」
あれが──!?
「回廊って?」
ショックを受けているKをスルーしてaが話を続けるが、シールから返ってきたのは舌打ちだった。
「めんどくせぇ。歴史学ばせてから来りゃ良かった」
「しょーがないでしょー! 雇い主責任持って世話してよねー」
不承不承、説明を始めるシール。
「回廊ってのは~──あ────(略)地下にある古代遺跡だな。現在も使われる事もある広大な地下通路だ」
「ふ~ん」
地下というならば、ダンジョンのようなものだろうか。楽しそうではあるが、狭い所は気が乗らない。フェニックス君も使えないだろう。訊いた本人であるaも興味薄そうに聞き流していた。
「で、何すんの何処行くの?」
Kの言葉を合図に、シールがターミナルへ向かう。何事かぶつぶつと呟きながら壁に直進し、消えた。
「………」
消えた。壁が。
シールが通れる分だけの壁が一瞬消えて、迷いなくその中に進んでいった。呆気に取られたまま、Kもおずおずと手を伸ばしてみる。
──シャ。
「? ? ?」
手は壁に触れる事なく、その向こう側の空間へ届いていた。手を引っ込めると、またシャッと音を立てて壁が現れる。
「? ? ? ? ?」
意味が解らない。本当にどうなっているのだか、触れようとするとその部分だけ壁が四角くシャッと消えてしまうのだ。
メモ帳を取り出して書き込む。
──「かべ」っと。
気が付くとaがいなかったので、Kも頭だけを突っ込んで中を覗いた。
「どう?」
「全身で来い」
呆れ顔のaの背後でシールが何か触っている。ピ、という電子音に続いて読み込み中のカタカタいう音が聞こえてきた。
『マルクトターミナルへ ヨウコソ。 ゴヨウケンヲ』
Kは耳を疑う。
ピ、ピ、ピ と繰り返される電子的操作音。
「登録」
混ざって聞こえてくるのはシールの明瞭な声。
『ショウショウオマチクダサイ』
「って……、それ…」
おいおい、と目を見開く。ファンタジーな世界ではないのか此処は。
「コンピューター?」
しかもタッチパネル。
「こんぴゅーたぁ?」
なんだそれ、とシールが振り向いた。
「だよ。しかも音声認識システム搭載…」
「あ、ホントだ」
aとふたりで画面を覗き込む。タッチパネル式なんて、チキュウでも未だATMくらいでしか見た事がない。すごいすごいと言い合っていると、シールの憮然とした声が降る。
「だから、何だそれは」
「えぇ…? コンピューターってのは…ぁ──…、」
なんと言ったものか。上手く言葉で説明できない。なんとなく頑張ってはみたが…
「…よく解からんな」
伝わらなかった。
その間ずっとパソを弄っていたらしいaが驚愕の声を漏らした。
「…これ…いつからあるの? 他のターミナルとやらにもあるの?」
「他のターミナルは皆石碑だ」
なんだその文明格差は。
「どのターミナルストーンも…勿論それも、創国の時代に造られたと伝えられているから──とりあえず八百年くらい前から存在する。一度も修理や取替えはされていないらしいぞ」
「こんな高性能な機械がそんな何百年も昔から…? ……信じられない」
驚くaの横でタッチパネルを叩く。
「あっほんとだ、はやーい。すごーい。電気とかあってホント良かったー」
ベタベタと触りまくる。面白い。是非タッチパネル式のパソコンを研究・推奨しよう。
「電気か。ある事にはあるが、かなり普及してないぞ」
普及していないのは残念だが、それでも電気があるのならよかった。無いともう生活出来ない体になってしまっているし、研究にも支障がある。
「こんな機械があるのも、世界中で恐らくはこのマルクトターミナルのみだろうな」
なるほど。だが、ひとつでも「在る」という事は重要だ。
機械的なアナウンスが手続きの終わりを告げる。
「よし、全て終了しましたってさ」
「そうか。じゃあ早く発つぞ。次はイェソドだ」
「「はーいっ」」
シール先生の合図にふたりで元気に返事をして、
「──って、広ッ!!」
辺りを初めて認識した。内部は、無限に広がっていた。
「何この空間、出口ないよ」
「ああ…、これはな『ここから出よう』と思いながら歩け」
そう言いながらさっさと出て行くシール。なんという異次元空間。メモに変更が必要だ。→「たーみなる」と。
書き換えてメモをしまったタイミングで、シールが戻ってきた。出てそのままUターンしてきたとしか思えない。 非常に面倒そうな顔をして曰く。
「おい戦闘狂、出番」
そう言ってKを見る。大変遺憾だ。一体aに何を吹き込まれたのか。
「なに? なに?」
外を覗こうと首を伸ばすと、本当に首だけターミナルから出た。
「……………───」
直前。いや、顔面、眼前、真正面。とにかくものすごく近くにそれはあった。それがとんでもなく綺麗な人間の顔だと気付くのにかなりの時間を要してしまった。
人の顔。
「ぎょあ~~~ッ!!」
視覚に収めてから四秒後、正常に動作し始めた脳が『悲鳴をあげる』という行為の存在を思い出した。
「び…びびび・びっくりしたぁ~~~~」
後ろから「ビックリしたのはこっちだ」と言わんばかりのaの声が聞こえる。ただ正確に何を言っているのかは判然としない。シールとも何か話しているようだ。どうやら頭を外側に出すと、身体は内部にあっても内部の話は聞こえないらしい。
── side a ──
「…この世界には人型の生物が多々居るが、その中でもツェク・マーナと呼ばれる高山族・平地族・海洋族の三種は、俺たちホーマサス種を好んで喰らう傾向にある。まあつまり、天敵ってヤツだ」
Kの叫び声を聞いたシールがポツリと語りだした。それを今言うという事は…と、aは恐る恐る視線をKに──意識をその向こう側へと向けた。
── side K ──
顔を戻して、やけに青い顔のaに状況を報告する。
「やー、びっくりしたーぁ。いきなり目の前に顔があってさー」
「大丈夫だったか!」
aの声に混ざって、シールの声も聞こえた。先程からの話の続きだろう。
「その中でも人里近くに住むとされる平地族は」
とりあえずaに「ただの人だったよー」と返す。
「擬態が進んですげー美人だという」
…ぎたい? 何の話をしていたのか知らないが。
「あ、うん。すごくキレーな人だったー」
「そらどうも」
シャ、という不吉な音と共に、ごくごく近く、そう、Kの背後から男の声がした。
「────────」
無言で仰け反る。
「お、ええ反応やん」
少し長めの、乳白色の艶やかな髪に同色の長い睫毛。形のいい眉と唇。ヒトじゃないと言われても納得出来る。
「ここは狩場にはちょい不向きやなぁ」
「いぇ… か、狩りッ!?」
突然の単語に面食らう。aとシールが話していたのはこの事か。擬態とはそういう意味か。パチパチと理解が進み青褪める。
「いきなり狩るんならその擬態の意味は…!!」
どうにもKの頭は先程の驚きからパニック状態を維持し続けているらしい。
「なんや騙されたかったん? そら悪かったなぁ」
白い男は余裕気に自らの髪を撫でながら話す。チラリと視線を向けると、恐らく同じ点が気になっているのであろうaと目が合った。こっそりと、内緒話のポーズで互いに顔を寄せ合う。
「なんで西方喋り?」
「言語はひとつって言ってたけど、方言はあるんだね?」
やはりそれが気になっていた。
などとやっていた、その一瞬が隙だった。
「ほな、そろそろええか?」
「え?」
軽く掌をにぎにぎしていた男が表記しきれない発音で何か呟いた。
──ビキ、と空気が固まった。そんな錯覚。
肺は動いている。脳も眼球も舌も動く。だが、手足や首、胴体が動かせない。
「大概は魅了にしてから喰うんやけどな~。魅了できひん奴は緊縛で」
《《喰う》》…という事は、やはりそういう事なのだろう。人型の、人を喰う生き物がいるとは流石は異世界。
食人鬼はそのキレーな顔でふたりの正面からニッコリと微笑んだ。
「いや~、今日は大猟や」
ハートでも飛ばしそうなほどご機嫌だ。狩りが成功したのだから当然かも知れない。だが今、隣りで内緒話の姿勢のまま固まっているaとKの気持ちは多分同じだ。
即ち。
────いっ、嫌ッ!! こんな初っ端からゲームオーバーなんてッッ!
ご機嫌な食人鬼はルンタルンタと近付いてくる。Kとaは完全に金縛り状態。絶体、絶命──。
光が。
聞きなれない発音の、流れるリズムのような詩吟のような、呪文の詠唱と共に。
「──っ、ぉ」
前のめりに倒れかけて、慌てて体勢を直す。何かの砕け散るような音と共に放たれた閃光のあと、突然体が自由になった。食人鬼の舌打ちと共に「聖石か」という苦々しい声が聞こえた。
「聖石?」
この光の出所は…
「この辺りはツェク・マーナ種平地族の住処だからな。それなりの準備はしてある」
シールが突き出した掌からは、未だ砕けた聖石とやらの欠片が舞っていた。
「きゃ~、シールかっこい~~! 頼れるぅ──う!!」
小花乱舞で飛び跳ねながら、おいしい出方をしてくれた命の恩人を崇める。本人は相変わらず憮然としたようにしか見えない顔をしているが──ああそうだ。これは照れている顔だったっけ。思わず笑みが溢れる。
「さ、て」
aの怒気を孕んだオーラを感じて現実に引き戻される。これは恐ろしい。殺されかけたのだ。aに今、容赦という言葉が存在するのか楽しみだ。
「折角のチャンスでアタシを殺せなかったのは運の尽きだね」
フフン、と。背が明らかに自分よりも高い相手を見下すように顎を上げる。この挑発に、相手は見事に乗ってきた。
獲物、食材。そんな認識の相手にナメた態度を取られたら、捕食者として捨て置けないのは理解は出来る。Kは口内で暴れるタコやイカの事を考えていた。
「調子乗んな、ホーマサスごときがッ!」
だいぶ逸れていた思考を断ち切って、フェニックス君を喚び出す。
「なに死にかけてんだよ!?」
召喚早々怒られてしまった。
「悪かったよ! よかったじゃん生きてるんだから!」
適当に謝って、隣りに目を遣る。aは既にヤル気満々だ。
じゃあ、ちょっとお仕置きしてやろう。
◇◇◇
勝負はたったの二分でついた。
血だらけのツェク・マーナは戦意を完全喪失し、止めを刺されるのを待つばかりだ。
「ヒ…、」
彼はかなりボロボロだが、首より上に傷はない。そこは微妙な女心で。
一歩近付くと、怯えきった食人鬼は命乞いに出た。即ち、もう二度とKたちを狙わないから、助けてくれと。思わず唸ってしまう。狙う者は狙われる覚悟を持って生きよと教わらなかったのか。
視界の端に、何か考えている様子のシールが見えた。
いい加減聞き飽きた命乞いに終止符を打つべく、aとふたり、揃えて口を開く。
「「い──」」「いだろう」
「「えっ」」
…ヤだ、と、続けたかったのだが。途中でキレイに台詞をさらってくれたオージサマは、非難の視線もなんのその、言葉を続けた。
「条件は、俺に従う事」
「ちょっとシールッ! なに勝手に」
殺されかけた身としては納得のいかない処遇だ。怒りも露わに、aは雇い主に牙を剥く。しかしシールは再度Kたちの台詞を遮った。
「おまえらを」
人を従わせる事に慣れた、オージサマの瞳で言う。
「助けたのは俺だな? それを踏まえて、文句あるか?」
それを言われては弱い。まったく返せる言葉もなく押し黙る。
「どうする?」
いつも通りの顔で食人鬼に問うシール。髪にはケテルの王紋がしっかりと留められていた。
「し…従うッ」
彼は唯一血を流していないその顔を勢い良く振り上げて、見下すように立つシールを仰いだ。
「なら契約だ。ゼファルに誓え」
また解らない単語が出てきたが、その瞬間躊躇うように食人鬼は顔を伏せた。
「───────」
暫らく躊躇ったあと、更に深く俯いてぼそぼそと何かの詠唱を始めた。意を決したというよりは、諦めやヤケクソ感が強そうだ。
燐光が放たれ、静かに収束していった。
「うっわー光ったー…」
「今の呪文?」
よし、とKにはよく解らない納得をして、シールは新たな下僕を眺めている。
「ああ、誓約文だ」
そして漸くふたりを振り返り、何となく衝撃的な一言を放った。
「腕輪とか首輪とかサークレットとか持ってないか?」
「へ?」
aと目が合う。恐らくふたりとも同じような顔をしているだろう。苦いような、にやけたような。だって、「首輪」って!
ブスっとした下僕。結局流石に気が引けたので、チョーカー風に整えてみた。
「いや~、元の世界の物も取り寄せられるんだねぇ」
この発見は大変重要だ。これで少しは楽が出来る。
「一度取り寄せたら還せはしないみたいだけど」
aは赤い首輪を手に持ったまま嫌そうに見つめて、「…なんでホントに首輪入ってんの…?」などと呟いている。独り言のようなのでKは無視してシールを振り返った。
「そうだシール、それ何て呼ぶの?」
シールは考えてもいなかったらしく、呟くように「名前…」と繰り返してから、本人に訊いた。
「おまえ、何ていうんだ」
下僕はその分際を弁えずプイと顔を背けた。教える気はないらしい。
「じゃあグールだ」
Kが名付けてやる事にした。
『グール』というのは『アラビアンナイト』などの物語に出てくる人喰い幽鬼だ。つまり、人喰いだからという安直な名前なのだが。
「じゃあグールな」
由来も意味も興味はないらしく、説明反論他のアイデア何もなしで本案は可決された。
「よし、次はイェソドだって?」
「無理だろ今からじゃ」
話について行けていない、徒名を貰ったばかりの人喰種を残して三人は歩き出す。
「マルクトからイェソドまで五千㎞。歩いていく気か?」
先に説明しておいたのだが、マスターしたとは言っても力不足は否めず、時越えは一日一回が限界だ。故に今日はもう使えない。
「む」
Kが苦い顔をしていると、aが小首を傾げる。
「音速で飛べるっていってなかった? それなら間に合うでしょ」
それはそうなのだが、音速飛行にも問題はある。
「頭千切れんのは嫌だよ?」
「千切れんの!? 頭?」
「嵌りきらないと。失禁するのも嫌です」
aは渋い顔で首を振った。
「全然意味が解らないけど、止めた方がいいって言いたいのは解った」
それだけ伝われば十分だ。
「て事だから、今日はグールん家だね!」
「は!?」
そもそも話について来れていなかったグールは、突然振られて思った以上のリアクションを返してくれた。
「早く案内して」
誰一人異を唱える者のいない中、彼は必死に抵抗を試みる。
「アホか、村の宿とったらええやろ。うちはムリ…ッ!」
言い終らない内に、喉を掻き毟るようにして苦しみ始めた。
「…何したの?」
「どうしたの」ではない処がコワイ。
「首締め」
「なるほど」
首輪の使用方が判明した。そういう事なら、本当に首輪の方が良かったのかも知れない。なにせ今着けているのは紐状なので、食い込ませるとかなりキツイと思う。
息も絶え絶えに、人権とプライドを奪われた哀れな男は主人一行を家へ招待する事に決めたようだ。
「こ……、こちらですッ!」
やけっぱちという言葉以外思い浮かばない。
「うむ」
シールはシールで然も当然の態度である。
「明日は少し歩こうか」
「あ、うんっ」
aの提案に喜んで頷く。
空はもう陽の栄光を失って、途方もない虚像の粒が拡がる時間になっていた。異世界、なんて言ってもこの空は然して変わり映えもない。
「あれ、よく見ると月がある…? 満月なのに暗い」
その辺りを指しながら眼を眇める。
「え~、何処?」
aとあそこあそこ、なんて見えない月見をやっていると、シールがポツリと呟いた。
「あぁ、今は静天宮か」
「静天宮?」
「二つの月が共に輝く夜は煌天宮。二つの月が共に輝きを失う夜を静天宮。老月のみが輝く夜は湊月宮、煌月のみが輝く夜は輝月宮…」
要約すると──
この世界には二つの月がある。ひとつは、チキュウと同じような衛星、老月。チキュウのツキより少し大きく見える。もうひとつが煌月。煌月はこの星の内側──つまり大気圏内に存在するエネルギー塊だ。力の塊であるからには月より寧ろ太陽だと思うのだが「満ち欠けするから月」らしい。煌月はツキより少し小さいくらいだ。煌月は静天時、つまりチキュウでいう新月の時でも、うっすらとその影を残す。やはり近いから見えるのだろうか。その暗い藤色の淡過ぎる燐光が、どこか落ち着かなかった。
シールの講義を物珍しげに聴いていると、怪訝な顔でグールが訊いて来た。
「異世界人か?」
それ程、今シールが語った話は常識的な事だったのだろう。
「そうだよ」
あっさり認めるKとaに、グールはつまらない冗句がウケた時のような笑いを浮かべて手を振った。
「なんや、真顔で返さんといてや。冗談、冗談」
「………」
二人して真顔で見つめ返す。
「……え、マジで?」
肯きを返す。
「………はぁ」
グールは首の力を抜いて頭を垂らし、魂が洩れそうな顔で疲れた息を吐いた。
シールもそうだったが、グールも意外とあっさり受け入れる。この世界では異世界からの来訪者というのは稀にあるという認識なのかも知れない。
「さ、今日は早く寝たい。早く案内して」
誰かさんに殺され掛けたりして気持ち的にも疲れているのだ。グールの背をグイグイ押して急かす。
「あーもう解った! 観念したから! 押すな、触んな!」
不快げに牙を剥かれるが既に首輪のついた獣だ。恐いとは思わなかった。




