第一話 拒絶
森が、静かすぎる。
本来ならこの季節、街の近場の森では魔物の気配で満ちているはずだった。
しかし…近頃、魔物どころか鳥の羽ばたき、小動物の足音一つさえ聞こえてこない
街の住人たちは、魔物に襲われないことに一様に安堵しながらも、どこか言いようのない不安げな表情を浮かべていた
自然が息を潜めたかのような、この異質な静寂――。
「すまないが… 今回も頼んでいいかい、レスカ」
「任せておきな。あんたらの代わりにその依頼引き受けてやるよ」
街の長の話を聞き終えて席を立ち上がり、赤く染まった短めの髪が、首元でふわりと揺れる。狼耳をぴくりと動かして、【レスカ】は軽やかに微笑んだ。街の集会所に集まった人々から緊張がほぐれた表情が次々と垣間見えた
狼獣人である彼女は、冒険者組合でも『面倒な依頼を断らない』ことで知られるほどのお人好しだった。
レスカの姉御気質は、困っている住人を放っておけない性分から来ていたのだが、今回もその彼女の底知れぬ頼もしさに、街の住人は救われようとしていた
「それじゃ、あたしは支度があるから、のんびり過ごして待ってな。」
彼女は振り返らず、背中越しに手の甲だけ見せて、ひらひらと振った
借りている宿の自室に戻り、装備を整えた。手には皮革のガントレット、肩掛けの茶色いコートを羽織り、その下はデニムのショートパンツ、引き締まりながらも肉づきのいいお腹が、無防備なまでにあらわになっていた
「これでよしっと、にしてもあの魔物すら住み着かなくなるなんてな、呪いでも住み着いたか?なんてな…」
そんな独り言を冗談交じりに呟いていたレスカだが、今回のような異例な事態は初めてだった。尻尾はいつもより遅くユラユラと揺らして、無意識に言いようがない不安を感じていた
そのまま、宿を後にしてレスカは現地に向かった。
森の中はやはり異様だった――
風がなびく音、枝をミシっと足で踏んだ音……レスカが移動する以外の音は何も聞こえず、生き物の気配も一切しない。自然の真っ只中だというのに、何もない荒野に立たされている感覚に陥るほどの虚無だった
森を進んで数分経った、レスカの視界には依然として変化は訪れなかった。だがレスカはすぐに気が付いた。奥に進むにつれて、匂いがする……しかも血の匂いだった
「………っ…、なんだ、この血生臭さ、魔物の割に血の匂いが濃すぎる」
レスカは無意識に駆け足で向かった、急ぐ理由は本来ならないはずだった。レスカの今までの経験上、 この血の匂いの濃さから判断できる状況は、『戦闘が終わり、何かが生き残った』もしくは、『お互いに死に絶えている』のどちらかしかなかった
前者だった場合でも、生き残ったのが人間だったことは一度もないのだから…
それでも小さな希望にかけて、レスカはいつも非常時は走っていた。誰かが生きている可能性を信じて――
ようやく辿り着いた場所は、洞窟だった
静寂に見舞われた洞窟の内部を見回しながら進んでいく、天井の岩肌から水滴がポタッと落ちる音が響いた。この洞窟の最奥のドーム状に広がった空間には…
魔物の死骸がそこにあった、かち割れた頭蓋骨、中途半端に腹を割かれ、内臓を晒した胴体、股関節から引き裂かれた足、数体の魔物の部位が転がっていた。レスカは思わず息をのんだ
「な、なんだよ…これ…」
この街の森に出現する魔物はほとんどがゴブリンやワーウルフなどの、素材としての価値すらない弱い魔物のみ。にもかかわらず、今はこの場にはその魔物たちが素材すら剝ぎ取られず、死骸の状態であまりにも無惨に死に絶えている。まるで恨みでもぶつけられたかのようだった
そして死骸と魔物の血の踏みしめて、かいくぐった最奥には、一人の男が冷たい岩壁に背中を預けて腰を下ろしていた
「お、おい、あんた!」
レスカは駆け寄って声をかけながら男の状態を確かめた。腕も胴体の革鎧もかすり傷、片手に持たれていた剣も返り血を浴びただけで折れてすらなかった。だが男の目には生気が感じられなかった…さらに
「誰だか知らないが、帰ってくれないか」
ようやく見つけた生き残りの人間から発せられた一言は、拒絶の言葉だった




