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悲しみの人魚は黄金の瞳に囚われる  作者: 水野沙彰


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1-5

「ねえ、セレスティア。気分はどう?」


 にいっと口の端を上げた男が、こつり、とブーツの踵を鳴らした。セレスティアは何も言えないまま、目の前に立つ男の顔をじっと見上げる。男は相変わらず豪華な服を着て、まるで飾り物のように磨かれた剣を腰に差していた。蛇のような笑顔が、じっとりと絡み付いてくるようだ。


「ほら、君のご主人様が会いに来てあげたんだ。人形でも感謝の言葉くらい言えるでしょう?」


 男は喉の奥でくつくつと笑う。整った顔だが目に表情が無いのが不気味で、気持ちが悪い。セレスティアはゆっくりと一礼した。


「こんばんは、殿下。座ったままで失礼致します。──本日は、お越し頂きありがとうございますわ」


 顔を上げると、男は数歩進んでセレスティアとの距離を一気に詰めてきた。左手がセレスティアの頤に掛けられ、力づくで上向かされる。その指先が触れた場所にぴり、と痛みが走る。爪が掠ったのだろうか。


「何度も言っているでしょう。俺のことは、ベルナール様と呼びなさい」


 急に近付けられた顔が、それ以外を見ることは許さないとばかりに視界を埋める青い瞳が、セレスティアの身体を縛り付けた。ぐいと伸ばされた首が苦しい。


「──ベ、ルナール……様」


 絞り出した声が弱々しく響く。


「人形は人形らしく、素直に俺の言うことを聞いていなさい。それすらできないのなら、壊してしまっても……良いのだよ?」


 歪んだ唇がセレスティアのそれに近付けられる。閉じられないままの瞳が恐ろしい。拘束などされていないのに、何かに強制されているように、男──ベルナールが心を雁字搦めにする。

 瞳から勝手に涙が溢れてくる。思うようにならない身体、所有されているという心の鎖、人形でしかない自分。溢れた雫が床に落ち、ぽとりと小さな音がした。その小さな変化が、唇が触れる直前にセレスティアを現実に引き戻す。思い出したのは、ベルナールとは対照的な黄金色の強い瞳。


「いや……っ」


 咄嗟に両手を伸ばし、セレスティアはベルナールを拒絶した。それは大した力ではない。ほんの少し身体を押し戻す、その程度の力だ。だがベルナールには予想外であったようで、セレスティアから手を離した。


「なんだ、人形が心を持ったか? ──面倒な自尊心だな」


 金属の擦れる甲高い音が響く。変わらない笑みのまま、引き抜かれた剣が照明に照らされその存在を主張している。


「あ、も……申し訳ございません……」


 その金属の冷たい質感に身体が震える。既に背中は壁に付けてしまっていて、これ以上退がることはできない。狭い部屋に逃げ場はなく、薄いレースの夜着では何も守ることができない。

 剣先が、セレスティアの夜着の裾を裂いた。


「謝るのなら初めからしなければ良いのだよ。ふっ、安心しなさい。俺の美しい人形を、俺が傷付ける筈がないでしょう?」


 何度か先を当てては離れていく剣が、夜着を次々に裂いていく。それは少し動けば肌に当たりそうで、セレスティアはただ悲鳴を噛み消してじっと堪えるしかできない。震えるのすら恐ろしく、床に触れている両の手をぎゅっと握り締める。それは何度も繰り返され、剣はついにセレスティアの胸元を裂いた。堪えていた悲鳴が漏れる。剣が離れた瞬間、セレスティアは両手で自身を抱き締めて身体を隠し蹲った。次々と涙が落ち、真珠が床に散らばっていく。


「その涙さえ無ければ、君はもっと早く命も純潔も失っていただろうねえ。本当に、運の良い人形だよ」


 ベルナールは剣を鞘に戻して、態とらしく深く嘆息した。その呼吸すら恐ろしい。ぽたりぽたりと落ちては転がる涙の音が、敗北を示しているようで悔しかった。初めから、何にも勝ってなどいないのに。


「はあ、これでは会話にならないね。君、俺の物だって自覚があるのかい? ──次はもっと良いもてなしを受けられることを期待してるよ」


 ベルナールは何人もの男達を連れて扉を開けて出て行った。丁寧に入り口に鍵を掛けられ、明かりが落とされる。一切の物音が消え、ベルナール達がその場を去ったと確信できるまで、セレスティアはその場から一切動くことができなかった。





 シルヴァンは物陰からセレスティアとベルナールの姿を見ていた。その間、今にも飛び出して行きたい気持ちを全力で堪え──握り締めた拳からは、爪が食い込んで掌から血が出ていた。ベルナール達が去り、一人泣き崩れるセレスティアを遠くから見つめる。


「──くそっ」


 壁を殴って目立つ訳にもいかず、シルヴァンは右腕を左手で力一杯握り締めた。飛び出して行ったところで、ベルナールの連れていた騎士に斬られるか、または先の作戦を気付かれ、握り潰されるのがおちだったろう。確実に作戦を成功させる為に、今ベルナールにシルヴァンがこの奴隷商を知っていることを知られてはいけないのだ。理性を総動員して堪えたが、蹲って泣いているセレスティアにかける言葉は見つからない。


「必ず、助け出す。待っていてくれ」


 シルヴァンはそのままその場を離れた。裏口を出て、王城までの道をあえて遠回りで帰る。ベルナールに出会ってしまっては、隠れていた意味もなくなってしまう。

 月が明るい夜だった。星達は控えめに輝き、夜空を彩っている。寂しくない筈の夜空が、シルヴァンの心を揺らした。セレスティアはこの夜空すら見ることができず、今はあの狭い世界で泣いている。自由にしてやることができたら、もっと沢山のものを見せてやりたい。華やかな夜空や、夜の街の騒めき、人の間にある暖かさ。そしていつか、彼女も誰かを愛することができれば良い。

 シルヴァンは自己嫌悪を引き摺りながら、王城への道を急いだ。ベルナールを殺してしまいたい衝動をそれまでにどうにか落ち着けようと、足音を一つずつ、意識して丁寧に数えながら。

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