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その朝、シルヴァンはアルマンと共に自警団の本部にいた。近衛騎士団第三小隊の面々も一緒だ。自警団は騎士だけでは守り切れない国民を守る為に組織されており、現行犯の場合には逮捕権が委譲される。
今回、奴隷商を検挙する為にシルヴァンは彼等に協力を依頼した。騎士団内部の人間は信頼できない。逮捕する前に情報が漏れてしまっては、ベルナールによって犯人を逃がされてしまう可能性があった。その点貴族達との繋がりが薄い自警団ならば、現行犯を捕らえるのに適しているといえる。実行犯には貴族と関わりのある人間も多い。柵のない人間の方が向いている。
「皆、協力ありがとう」
自警団の制服に身を包んだシルヴァンが、集まってくれた者達を見回して言う。同じ制服に身を包んだ第三小隊の隊員達だけでなく、街を守る自警団の者も有志で集まってくれていた。
「なあに、殿下のお願いなら俺達が聞かない筈ないでしょう」
「そうですよ、頼られて嬉しいです」
「それに奴隷商だなんて、そんなもん見過ごせないだろ」
「──ありがとう」
豪快に言う自警団の団長と、共に笑う団員達。シルヴァンは改めて笑顔で感謝の意を伝え、ぐっと顔を引き締めた。
セレスティアはその日も、いつも通りひらすらに涙を流していた。何度も同じことを繰り返しても、終わりのない日々。ただ毎日、滅んでしまった王国に想いを馳せる。かつて豊かだった美しい国。暴力によって奪われたそれらは、本の中の絵ではその美しさを損なわないままそこにある。
「お父様、お母様……」
もう十年も前に失った両親。セレスティアが誰かに庇護を求めても、無駄なことは分かっている。あんなにも恐ろしい男相手では、誰も今のセレスティアを守ってはくれないだろう。まして相手はこの国の王子だ。誰が逆らおうと言うのか。
「誰か、私を」
続く言葉は声にならなかった。助けて欲しいのか殺して欲しいのか、それとも愛して欲しいのか。それはセレスティアにも分からない。か細い声が、防音の分厚いガラスの向こうに届く筈もない。届いたところでそこにいるのは仮面を付けた下品な金持ちばかりなのだ。その姿を見たいとも思わなかった。あのセレスティアにも優しい不思議な男は夜にしか現れず、しかも数日の間、ここにはやってきていない。期待をするだけ無駄だと、分かっていた。
「──あれ、どうして……」
ぽとり、と涙が零れる。次から次へと溢れてくる涙の理由がこれまでと異なることに、セレスティアは動揺を隠せない。
「嫌よ。私……そんな」
本を閉じても涙は止まらない。無理に辛いことを思い出そうとしなくても、過去を懐かしまなくても、溢れてくるこの感情は何だろう。
会いたかった。恋しかった。不自由な自分が情けなくて、待つことしかできないことが苦しかった。本を抱き締めて目を閉じる。頬を伝っていく温度が、セレスティアをどこかで安堵させた。これだけ泣けば、きっと怒られることもないだろう。しかしそれすら悲しくて、感情の置き場が分からない。
だからだろう。ガラスの向こうの変化に、気付くのが遅れたのは。セレスティアがそれに気付いたのは、視界の端にいた仮面を付けた男達がすっかり消えてしまった後だった。
「──何が……何が起きているの」
顔を上げると、そこに広がっている光景は異常と言って良いものだった。簡素な剣を持った揃いの制服の者達と、姿を隠すようにして逃げていく仮面を付けた者達。捕らえられている者もいるようで、華やかな服の人間の中の何人かは縄で拘束され、仮面を剥がされていた。
どうやら揃いの制服の者達が、ここを利用していた者や営業していた者を捕らえに来たことは理解できる。しかし彼等がセレスティアにとって味方なのか、敵となるのか、それはまだ分からない。前の主人の元にいた時にそこから救い出してくれたと思った男は、あのベルナールだったのだ。瞬間、セレスティアのいる部屋の扉を、外から強く叩く音がした。
「きゃあっ」
それは強い男の力だった。繰り返し叩かれているようで、音は止まない。セレスティアは思わず両手で耳を塞いで、俯き目を瞑った。怖い。怖い。大きな音が、男が、暴力が怖い。
塞いだ耳の隙間から、がしゃんと金属が壊れる音がする。巻きつけられた鎖が壊されたのだろうか。セレスティアは俯いたまま、訪れる変化の時を待った。扉の開く音。部屋の外の怒号と喧騒。ブーツの踵が床を踏む音。奥のカーテンが開く音。布の掠れる音。近くで誰かが息を飲む音。
「──セレスティア」
名前を呼ぶ声は優しく、暖かかった。若さ故か低過ぎず、それ故に親しみ易さを感じる男の声。耳を塞いでいる左手にそっと触れた手は熱く、強い生の気配がした。
ほぐすように手を耳から離されて、セレスティアは顔を上げた。見たい。見るのが怖い。相反する感情に揺さぶられる心は、自分のものではないようだ。セレスティアと目が合って、男は顔を隠すように覆っていた布を外した。
「貴方は……」
明るい場所で見るとはっきりと緑が強く混ざった艶のある髪に、手よりも強い熱を宿した黄金の瞳。整った顔立ちはベルナールと何処か似ているような気もするが、他者に与える印象もセレスティアが抱く感情も、それとは全く異なっていた。
目を見開き、その姿を真っ直ぐに見つめる。驚きに何も言えなかった。ただその姿が夢のようで、知りたかった温度が、声が側にあって、セレスティアの身体は震えていた。




