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悲しみの人魚は黄金の瞳に囚われる  作者: 水野沙彰


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6-1

 それから数日後、王族を含めた王城内に、極秘でシルヴァンの死が伝えられた。国民の混乱を防ぐ為として、その死は一週間後に控えた建国記念式典まで城外の国民達には伏せられることとなった。

 王族のみを集めた会議室は、どこか沈鬱な雰囲気だ。式次第の確認を終えると、皆が口を閉ざしていた。シルヴァンの母親であるクレールもいるからだろう。ベルナールにはどうでも良いことだった。そんなことより、もっと大切なことがある。


「父上、そろそろ王太子位を定められた方がよろしいかと思いますが」


 ベルナールははっきりと言った。シルヴァンはもういないのだ。ならばもう争うこともない。ベルナールはジョフロワの方に顔を向ける。


「ジョフロワは興味がないのだろう?」


「そうですね。……どうでも良いですけど、研究の時間が無くなるのは嫌です」


 興味の無さそうなジョフロワの言葉に、ベルナールはにっと口角を上げた。殺さずに済んで助かった。元よりジョフロワは王になる器ではないと思って放っていたが、その読みは間違いではなかったようだ。

 ベルナールがずっと警戒していたのは、兄弟の中でもシルヴァンだけだった。幼い頃から自分よりも優れた剣の腕を持ち、多くの友人がいた末の弟。母と祖父から必ず王になれと育てられたベルナールにとって、彼は邪魔な存在でしかなかった。しかしそれも子供の頃だけで、年々ベルナールの周囲には有名な貴族や美しい女達が集まるようになっていった。自分は未来の国王になる男なのだ、それも当然だろう。より多くの人間を引き付ける為に、より多くの者の弱みを握り、より多くの金を集め、第一王子としての権力を盤石なものにしてきた。

 一方、シルヴァンの評判は散々なものだった。いつも市井に行き下々の者達と触れ合ってばかり。権力などなく、支持する貴族もいない人当たりの良いだけの第三王子だともっぱらの噂だった。その本来の能力を知っているベルナールがわざわざシルヴァンを王太子位から遠ざけようとしなくても、勝手に王太子位から離れていくような気すらした。一度はこのまま生かしておいてやっても良いかと思った。


 変わったのはいつからだっただろう。急に政務にやる気を出し、新興貴族を中心に派閥をまとめ上げ、ベルナール達に対抗する勢力にまで育ててしまった。その勢力は従来の絶対王政に歪みを招くもので、更に市井にまで拡大しつつあった。議会制を目指していたのだろうが、その在り方はベルナールが望むものとは違った。ベルナールが欲しいのは、絶対的な権力だ。


「ということですが、父上はどうお考えですか」


 ベルナールは畳み掛けるように身を乗り出した。迷うことなど何もない。ただ頷けば、父である国王にも安心した老後が手に入るはずなのだ。


「──暫し待て。私も考えてはいるのだ」


 国王ははっきりと明言せず、それきり黙ってしまった。こうなればベルナールとてそれ以上追求することはできない。あくまで今の最高権力者は国王だ。いや、それももはやベルナールの思い込みだろうか。


「分かりました。……失礼しました」


 三人の息子を争わせた国王でも、やはり息子が死ねば悲しいものなのだろうか。

 話は終わった。ベルナールは席を立って窓際に向かった。窓から外を見れば、王都の街を一望できる。色とりどりの街と、多くの人々。ここに広がっているものは、全ていつかベルナールのものになるのだ。


「今日はこれまでにしよう」


 国王が立ち上がって、真っ先に部屋を出て行った。王妃達がそれに続いていく。部屋にはベルナールとジョフロワの二人だけが残された。


「──ねえ」


 ジョフロワはベルナールの一つ下の弟だ。ふわふわとした掴みどころのない男だが、知識欲を満たすことのみに全力を注ぎ、他は全てどうでも良いと思っているということだけは確かだ。だからベルナールにとっても、悪い弟ではない。


「なんでしょうか、ジョフロワ」


 ベルナールは振り返った。ジョフロワはいつものようにあまり色のない表情で、ベルナールの双眸を見つめている。昔はこの目が苦手だった。何もかもを見透かすような、兄弟の中で最も澄んだ瞳。その目がすうっと細められた。


「シルヴァンを殺したの、ベルナール兄ぃでしょ」


 それは問いかけではなく確信のようだった。


「何を……言っているのですか。シルヴァンは私の弟で、同じ王族ですよ」


「兄弟なんて思ったことないのに。本当に面白いね、ベルナール兄ぃって。どう考えても兄ぃにとって、シルヴァンが一番邪魔な人間じゃない。あの部屋さー、仕掛けがあるんだよね。僕、前に気になって調べたんだ。城の中の隠し扉なら殆ど知ってるよ」


 ジョフロワはあたかもそれが当然であるように言う。それは相変わらずゆったりとした口調だったが、ベルナールは焦っていた。ジョフロワは研究熱心だ。特定の恋人も、仲の良い友人もいない。本は国の財産で、本人にとっての宝物はその知識だ。脅せるものが何も無かった。脅してどうにかできないのなら、やはり殺すしかないだろうか──そこまで考えたとき、ジョフロワはベルナールがこれまでに見たことがない程綺麗に笑った。


「取り繕わなくても良いよ。僕、誰かに言おうとしてる訳じゃないから。ただの答え合わせだよ」


「──そうでしたか。なら、無駄話をしていないで戻った方が良いのでは? 研究が途中でしょう」


 ベルナールはジョフロワの研究について詳しいことは知らない。ただ、研究は常に何かの途中であることだけは知っていた。


「そうだよねー……うん。おやすみ、ベルナール兄ぃ」


 ジョフロワは立ち上がると大きな欠伸をして、サイズが合っていないような緩い袖口で顔を覆った。もうベルナールに興味を無くしたように、一度も振り返ることなく部屋を出ていく。

 最後に残ったベルナールは、鼻を鳴らして湧き上がる笑いを堪えた。そうだ。ジョフロワはこういう人間だった。ベルナールが焦る必要など何もない。後は国王を説得し、建国記念式典までにベルナールを王太子にしてもらえば良いのだ。

 説得の為には何が必要だろうか。熱意ある態度か、弱みを突いた脅しか、はたまた情か。ベルナールは先のことを考えながら、空っぽの部屋を後にした。

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