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「私はしばらくの間、この部屋から出ないよ」
シルヴァンはセレスティアを抱き締める腕を緩めてそう言った。アロイスとアルマンもそれに頷く。
「そうだな、それが良いと思う」
「アルには手間をかけるが、引き続き捜索を頼むよ」
まだ少し身体は重い。丸四日も寝込んでしまっていたのだ、当然だろう。できればここで少しでも身体を動かしておきたいが、室内だけでは限られるだろうと思い、シルヴァンは小さく嘆息した。
セレスティア達のお陰で解毒をすることができたが、この毒は本来簡単に手に入るものではない。幻と言っても良い海藻を解毒に使うのだ。それがまだ幻ではなかった頃にいた昆虫の血液を使用しているらしい。アンテノール王国では絶滅寸前のその昆虫は、国営博物館の標本から乾燥した血液を採取するか、他国から取り寄せるしか手に入れる方法はない。他国でも珍しいものを手に入れるのだ、必ず証拠が残る。
「いや、これは好機だ、ヴァン。私は気にせず、大人しく部屋で死にそうな振りをしていてくれ」
「そうだぞ、シルヴァン。アルマンの言う通り、お前の仕事はここにいることだ」
アロイスがアルマンの言葉に同意して頷く。シルヴァンも分かってはいるのだ。簡単に解毒できない毒、それを血中に打ち込んだのだから、まさかベルナールもシルヴァンがのうのうと生きているとは思わないだろう。これを利用しない手はない。
「──分かってるさ。今なら兄上の周囲も警備も手薄になっているだろう。……あの部屋はどうだった?」
セレスティアが連れ込まれた部屋。ベルナールの口ぶりから、シルヴァンはそこに何らかの仕掛けがあると思っていた。
「おそらくビンゴだ、シルヴァン。あの部屋には血の制約を使った隠し扉があった。それを利用していたのだろう。まだ開けられてはいないが──」
「なんだ、それなら持っていけばいいだろう」
シルヴァンは寝台に腰掛け、その横にあるチェストの引出しを開けた。そこから銀のペーパーナイフを取り出し、カバーを外す。躊躇いなく左手の指先に滑らせて、溢れてきた血を近くにあったハンカチに染み込ませた。
しばらくして赤が広がってきたところで、ハンカチをアルマンに渡す。まだ血が流れている指を咥えて軽く吸った。放っておけば血は止まるだろう。
「助かった。使わせてもらうよ」
「勝手に持って行って構わなかったが」
「毒で寝ている王子から血を取っていく趣味はないからな」
シルヴァンはアルマンの軽口に笑った。アルマンが血の付いた面に触れないように、ハンカチを内側に折り込んで胸ポケットにしまう。寝台が揺れて、シルヴァンは驚いた。視線を向けると、セレスティアが手をついて上半身を乗り出している。
「──シルヴァン様、大丈夫なのですかっ?」
それまで会話に参加していなかったセレスティアが、慌てたようにシルヴァンの左手を掴んだ。先程ペーパーナイフで切った傷を気にしているようだ。傷口は血が滲んでいるが、騒ぐほどのものでもない。
「この程度なんともないよ。大丈夫だから、心配しないで」
シルヴァンはセレスティアが気にしないようにと、手を離してひらひらと振った。別にシルヴァン自身気にしていないのだから構わないのだ。しかしセレスティアはぎゅっと表情を歪めてシルヴァンの瞳を覗き込んでくる。その藤色の瞳が責めるようにシルヴァンを見た。
「心配くらい、させてくださいませ。血がでたら、痛くて当然ですっ!」
赤く流れる血は、セレスティアにとっては見慣れないものだったのだろうか。よく見れば少し顔色が悪い。
「す……すまなかった。ごめんな、セレスティア」
シルヴァンが慌てて謝ると、セレスティアは目を閉じた。
「左手を、見せて頂けますか」
シルヴァンは今度は素直に左手を差し出した。セレスティアはその手を両手で捕らえるように握って、まじまじと傷口を観察している。
「セ……セレスティア?」
「アルマン様、清潔な布や消毒液はございませんか」
「あ、ああ。それならここに」
アルマンも驚いたのか、部屋に備え付けている救急箱を持ってきた。セレスティアはその見た目とは不似合いな程慣れた手付きで、シルヴァンの指を消毒し、軟膏を塗り、細くした包帯をくるくると巻いていく。
「……手慣れているな」
「見慣れておりますので」
セレスティアの冷たい声が、シルヴァンの鼓膜を揺らした。何故見慣れているのか──少し考えてすぐに理解する。セレスティアは奴隷商に捕らえられていた。それ以前には悪徳商人に、もっと前には海を縄張りとするならず者達に。
シルヴァンの指に巻き付けられた包帯は端を結ばれ、飛び出た布もハサミで綺麗に切り揃えられた。医官がやったような仕上がりだ。尤も、医官はこの程度の傷ではここまでしないだろうが。
シルヴァンは自身の失敗に気付いた。よく見ると、セレスティアは明らかに怖がっている。それは癖なのか、強がりで弱音を隠しているが、きっと本当はショックを受けているのだろう。
「分かった、次からは気を付ける。ありがとうセレスティア。心配してくれて嬉しいよ」
セレスティアの頭を優しく撫でると、やっと表情が柔らかくなってきた。安心して、シルヴァンは目線をアルマンに向ける。アルマンと無言で会話をすると、アルマンは部屋を出て行った。すぐにでも隠し扉を検証するのだろう。アロイスが寝室の端で、無言のまま存在感を薄くしようとしているのが可笑しかった。しかし今は嬉しい心遣いだ。シルヴァンはセレスティアの絹糸のような滑らかな髪を堪能する。気持ち良さそうなセレスティアが可愛くて、こんな状況でも幸せに心が満たされていくのを感じていた。




