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「兄上、何をしているのですか」
シルヴァンは乱れた呼吸を出来るだけ隠して声を張った。セレスティアを迎えに行った先で不在を知らされ、それから王城内を探していたのだ。まさかこんなに離れた、随分前から使われていない客間にいるとは思わなかった。この客間は何年もの間閉ざされていた。王城は古い建物であるが故にそういった場所は多い。つまり、何らかの痛ましい事件が起きた場所だ。
「何って、少し話をしていただけですよ。弟の婚約者である彼女と……ね。普通のことだろう、シルヴァン?」
「それでしたら、何故こんなところに? もっと人目のあるところの方が良いでしょう」
「誤解を招くといけないからね」
「──そうでしょうか。誤解を受けないようにしたいのであれば、それこそ人目のある場所を選ぶべきでは? それも、あえてこのような部屋など選ばずに」
ベルナールが言っていることは全て詭弁だ。セレスティアを害そうとした証拠もない。ただセレスティアが怯えていることだけは確かだった。
ベルナールはいつもそうだ。悪事を働けば必ず残るはずの証拠が、一つも見つからない。権利を明確にする書類や、脅迫に足りるだけの情報があるのだから、破棄されていることはないだろう。ならば見つけられないようにどこかに隠してあるのだ。
三人しかいない部屋の中、それぞれの距離感がシルヴァンを緊張させた。ベルナールはセレスティアから離れて、シルヴァンの方へと一歩ずつ歩いてくる。
「いやいや、シルヴァンの言う通りだよ。次からは気を付けよう。ああ──次があれば、ね」
ベルナールが剣を抜いた。その切っ先はシルヴァンに向けられている。予想していなかったあからさまな態度に、シルヴァンは息を飲む。
「あ、兄上、ご冗談でしょう? 今は夜会の最中で、ここは王城です。落ち着いてください」
声が震えた。まさかこんなにも明確に敵意をぶつけられるとは思わなかった。
「──いい加減、目障りなんだよねぇ。何かと俺を調べて回って。証拠なんて一つも見つからなかっただろう?」
「何故──」
「どうして追ってきたんだい? この部屋に来なければ、シルヴァンも生かして使ってあげたのに。ああ、それでも俺のお気に入りのお人形を返してくれないのなら、結局は同じだったかなぁ」
ベルナールが剣を構えてシルヴァンとの距離を詰めた。しかしシルヴァンの方が動きは速い。飛び退り、咄嗟にデスクの上にあったランプをつかむ。シェードを外してしまえば、短剣程の長さの金属の棒になった。攻撃力は足りないが、身を守るにはこれで充分だ。
「貴方に殺されるつもりはありません」
シルヴァンははっきりと言い放つ。
「弱者の意見など聞いていないよ」
「いつ私が弱者になりましたか」
「証拠の一つも手に入れられない時点で、君の方が弱者だろう」
剣を下ろすことのないベルナールに対し、シルヴァンも警戒を緩めない。じりじりと少しずつ移動しながら、セレスティアを背に庇うように移動した。
「──証拠なら見つけました。この部屋……ここに隠してあるのでしょう。セレスティアをここに連れてきたことから考えても、おそらく隠し部屋か通路があるのでは?」
「本っ当に……君は、邪魔な男だねぇ!」
ベルナールがまたシルヴァンに斬りかかった。シルヴァンはランプの棒で受け、金具部分を鍔のように使って角度を変えて受け流す。
「邪魔なのは貴方の方では? 民を苦しめる政は、今は良くとも長くは続きません」
「知ったような口を……!」
「生み出す努力を怠っているのは、兄上だ!」
「きゃ……っ」
それから何度も繰り返しぶつかり合う金属の音に、セレスティアが悲鳴を上げた。
「生み出す努力? そんなもの、青臭い理想だねぇ。利益なしに動く者などいないよ。──それに」
ベルナールが剣を引いて、シルヴァンから少し距離を取った。
「いざというとき頼りになるのは、信頼できる傭兵だよ」
ベルナールの口元がにいっと上がった。その表情に不気味なものを感じる。
「──シルヴァン様っ!」
セレスティアが叫んだときには遅かった。首筋に、何か針のようなものが刺さった痛みがある。はっと振り返ると、天井板をずらした隙間から、吹き矢が覗いていた。
「私が何の対策もしていないはずがないだろう、シルヴァン? 先日の紅茶の毒とは違って、そいつは強力だぞ」
視界が揺れた。身体が思うように動かずに膝をつく。金属の棒が、からんと音を立てて落ちた。ここで倒れてしまっては、セレスティアがベルナールに連れて行かれてしまう。それだけは避けたかった。
「──……シルヴァン、様。シルヴァン様……っ」
ベルナールの笑い声が聞こえた。セレスティアが繰り返しシルヴァンの名前を呼んでいる。シルヴァンは首から針を抜いて、床と手の平の間に隠し持った。
「セレスティア、逃げ──」
「嫌、です……っ!」
「──頼むから」
「無駄ですよ。その毒はね、すぐに死ぬことはありませんが、何日もかけてゆっくりと命を奪っていくものなんですよ。珍しいものなので、解毒薬も用意していませんし……残念、でしたねぇ」
ベルナールの言葉に、セレスティアがシルヴァンの腕に触れる手に力を込めた。肌に当たって転がっていく真珠の冷たさに、セレスティアが泣いているのだと分かる。
「どうして……どうしてこんなことをするのですか!? 兄弟なんでしょう!」
「兄弟だから、ですよ。──さて、貴女はこのまま閉じ込めておきましょうか」
ベルナールがゆっくりと一歩ずつこちらに近付いてくる。シルヴァンは力を振り絞って、セレスティアを庇うように腕を伸ばした。




