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令嬢達が出て行っても、まだシルヴァンが戻ってくる様子はなかった。こちらから声をかけに行こうと思っても、何処にいるのかセレスティアには分からない。どうしようかと悩んでいると、しばらくして扉がノックされた。使用人が扉を開け、用件を聞いている。会話を終えた使用人が、セレスティアの元までやってきた。
「セレスティア様、恐れ入ります。殿下からのご伝言で、別室に来てほしいとのことでございますが……如何致しますか」
迎えに来ると言っていたのに別室に来てほしいとは、シルヴァンに何かあったのだろうか。または大広間で何かがあったのかもしれない。セレスティアは心配になって、すぐに立ち上がった。
「参ります。どちらでしょうか」
「伝言の者達がご案内させて頂きます」
セレスティアはドレスの裾を手で軽く叩いて直し、休憩室を出た。
王城の廊下はそれだけで何かの芸術品ではないかと思う程華やかだ。一級の職人が手がけたに違いない均等に並んだランプがガラスに反射して、それが壁面の装飾を浮き出させている。
どれくらい歩いただろうか、随分と大広間から離れてしまった気がする。本当にこっちなのか、そもそもシルヴァンがセレスティアをこんなにも遠くまで呼び出すだろうか──疑問に思った頃、ようやく目的地に着いたようで、使用人達は歩みを止めた。
「こちらでございます」
「ありがとう」
それは何の変哲もない扉だった。いくつも並んでいるうちの一つといった様子だ。セレスティアは使用人達に礼を言う。使用人の一人が、軽く扉を叩いてくれる。
「──殿下、セレスティア様をお連れしました」
「通してくれ」
扉越しのくぐもった声は確かに男の人らしいもので、セレスティアは半分だけ開けられた扉から中に入った。部屋の明かりは灯されていなかった。窓のカーテンが開いていて、月明かりが眩しい程に差し込んでいる。そしてそれを背負って立って尚掻き消されることのない絶対的な存在が、セレスティアを出迎えた。
「こんばんは、今日は楽しんでるみたいだね」
逆光でも分かるにいっと上がった口角と細められた口元に、セレスティアは己の勘違いを悟った。殿下と言われてシルヴァンだと思ったが、冷静になればアンテノール王国には殿下と呼ばれる人物は三人いる。よりによって呼び出されたのは、最も会いたくない、二人きりにはなりたくない相手だった。逃げなければと思うのに、セレスティアは蛇に睨まれたカエルのように動くことも目を離すこともできない。
「──ベルナール、様」
セレスティアはその名前を呼んだ。喉が引き攣って、僅かに声が裏返る。ベルナールは壁沿いを大きく回るように歩いて、セレスティアとの距離を縮めてきた。後退りながら移動していくと、唯一の逃げ道である扉がどんどん遠くなっていく。
「俺の人形なのに、どうして誘いを断ったんでしょうか。人魚の涙などいらないと言われたのが、そんなにも嬉しかったとでも言うのですか?」
誘いとは、あの脅しのような非公式の書状のことだろうか。婚約を申し込んでくれている相手がいて、守ってくれる優しく強い味方がいて、あんな誘いに乗る筈がない。
「私は……もう貴方の人形ではありません。私は私の意思で、シルヴァン様と共に生きると決めたのですっ」
セレスティアは精一杯の力でベルナールを睨みつけた。しかしベルナールはそれすら面白いものを見るようにあしらっている。悔しいがセレスティアが今できる唯一の反抗は、ただ自身を貫き通すだけだ。
「へえ、そう。どうして君の決めた通りになると思えるのかな。俺には分からないですねぇ」
「それは──」
「反抗されると余計に欲しくなりますよ。君はどうして欲しいんだい? 優しくされたいのなら、首を垂れるのは今のうちですよ」
ベルナールが笑う。セレスティアはその理由の分からない自信に恐怖を覚えた。しかし扉は遠く、逃げ場はない。シルヴァンが気付いてくれないだろうかと淡い期待を抱いたが、ここは先程までいた休憩室からは大きく離れている。この部屋を見つけるのはいくら彼でも難しいだろう。
「私は……私は、誰のものでもありませんっ! もし私が今後誰かに囚われるとしたら、それはこれから先──ただ一人、シルヴァン様にだけですわ!」
悲鳴のような叫びと共に、セレスティアの瞳から涙が一粒溢れた。月明かりがその涙を輝かせる。真珠となったそれは、深紅の絨毯の上にぽとりと落ちて転がった。
「ふ……ふふ、はははははっ。面白い……やっぱり君は面白いよ!」
ベルナールはセレスティアに向かってまっすぐに歩いてきた。窓を背にしたセレスティアに、正面からベルナールが迫ってくる。ドレスから露出していた肌が、窓ガラスに触れてその冷たさに粟立った。
「どうして俺が君を尊重しなくてはいけないんだい? 分かっていないよ。君は何も分かっていない。か弱い君は何も選べないのです。選択は強者に与えられた権利で、弱者に選ぶことなんてできません。──大人しく俺に従っていれば良いのですよ!」
「そんなこと……そんなこと、ないっ!」
ベルナールとの距離がどんどん近くなってくる。あと少しで手が届いてしまいそうなその距離で、それでもセレスティアははっきりと反抗した。
瞬間、ベルナールの怒りに満ちた表情の後方から、大きな音と共にはっきりとした明かりが差した。月より明るいそれは、廊下の照明だ。セレスティアはそれに気付き──そこにいた人物に、ほっと肩の力を抜いた。




