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婚約をしてから、シルヴァンはよくフランクール伯爵邸へとやってくるようになった。それはセレスティアに会う為であると同時に、婚約をより広く知らしめるためでもある。
シルヴァンは紅茶を飲みながら、セレスティアと向き合っていた。セレスティアが少しでも自分に慣れてくれれば良いと思いこのような場を作ってもらっているが、相変わらずセレスティアはなかなか親しんではくれていない。気安く会話はできるようになってきているが、目を合わせてくれないのだ。
「いつも時間を取ってくれてありがとう。セレスティア、その……退屈をさせていたらすまない」
謝ったシルヴァンに対して、セレスティアは慌てて首を左右に振った。
「いえ、そんなっ! 違うのです……申し訳ございません」
「いや、私が──」
「いいえ、私が悪いのです。私が、シルヴァン様とお話するのに緊張してしまって、その……顔が見れなくて」
頬を染めたセレスティアに、シルヴァンは目を見張った。答えが予想とは違って、驚きが隠せない。
「え、そ……そんな理由だったのか?」
シルヴァンの言葉に、セレスティアは僅かに身を乗り出した。
「そんなとは失礼ですっ! 私はこれでも、とても悩んで……っ」
真っ赤になった顔を俯けて、恥ずかしそうに俯いている。その藤色の瞳が潤んでいるのが見え、シルヴァンは慌てて両手を振った。
「悪かった、悪かったよ! 待って、泣かないで。私が悪かったから」
焦るシルヴァンに、セレスティアははたと顔を上げて首を傾げた。何故シルヴァンがそんなに慌てているのか分からないのだろう。
「え、あの」
「そんな理由なんて言って悪かった。ただ……私だけが惚れているのではないと、確認できて嬉しかったんだ。私もここに来る時は、緊張しているから」
「──シルヴァン様も、緊張をするのですか?」
「当然だろ? やっと婚約できた貴女に、会いに来ているんだから」
「そ……そういう恥ずかしいことを、さらっと仰られると困ってしまいます」
セレスティアの言葉は焦りと喜びが混ざっていて、シルヴァンは思わず声を上げて笑った。その態度に、セレスティアも自然と笑顔になっていく。
和やかな雰囲気は、少し前の王城での婚約時とは大違いだ。やはりフランクール伯爵家には、優しく温かな、家族としての世界がある。変わらないそれがシルヴァンは嬉しかった。
「でも本当の気持ちなんだよ。──セレスティア、ここだけの話だけれど……聞いてもらえるか?」
シルヴァンは、覚悟を決めて思い切って口を開いた。これを婚約前に聞かなかったのは、ある意味では卑怯とも言えるだろう。しかしセレスティアの気持ちが分からない状況で、これまでは聞くのが怖かった。
「はい」
セレスティアはシルヴァンの真面目な声音に、正面から目を合わせてくる。シルヴァンは水面が揺れていることに気付き、紅茶のカップから手を離した。
「セレスティア、私は……」
一度目を閉じ、また開けた。当然だがセレスティアは変わらずそこにいて、シルヴァンの言葉を待っている。
「私は、ベルナールを国王にしたくないと思っているんだ。──この国では長子相続が基本だが、王家は少し特殊で。実は、王太子は兄弟三人の中でまだ決まっていないんだ」
「え……」
シルヴァンの言葉に、セレスティアが驚いたように目を見張った。
「まだ決まっていない、とは、どういうことでしょう?」
まだ続くだろうシルヴァンの話だったが、セレスティアは言葉を挟んだ。勉強はしているが、まだ国の情報には疎いのだ。突然の内容に、理解が追いついていない。
「この国、アンテノール王国の国王は一夫多妻でね。三人の王妃がいるんだ。それぞれの王妃が一人ずつ子を産んで、それが第一王子のベルナールと、第二王子のジョフロワと、第三王子の私の三人」
ここまではセレスティアも知っている話だ。素直に頷く。
「だけど、国王は王位継承権を生まれの順にしなかった。三人のうち相応しい者を、と決めたんだ」
セレスティアは息を飲んだ。それはつまり、次期王の座、王太子の位は兄弟三人で争えということだ。セレスティアの少し曖昧な記憶の中では、自身の兄弟達はいつも末の娘だったセレスティアに優しく、親切だった。王であった父も、王妃であった母も、皆が暖かく幸せだったように思う。家族で争うことなどなかった筈だ。
「ジョフロワは研究にばかり熱心で、王位には興味がない。私はどちらでも良いと思っていたんだけど──セレスティア、貴女と会って、気が変わったんだ」
「──私と、ですか?」
「ああ、そうだよ。私はこれまで、街で皆と触れ合うことが幸せで、そんな日々に満足していたんだ。でも、もしもベルナールが王になったら……あの時のような光景がこの国のどこかにあり続けるんだろう? それも、王の黙認の下で」
眉間に皺を寄せたシルヴァンは、きっとあの日のセレスティアを思い出しているのだろう。あの頃の自分は、希望なんて持っていなかった。ただ毎日何事もなく過ごすことが一番大切で、それ以外に大切なものなど無かった。
変わったのはあの日からだ。シルヴァンがセレスティアの名を呼び、連れ出してくれた日、ロザリーがセレスティアに自由を諭した日──セレスティアは未来をのぞむようになった。
「私はそんな国にはしたくない。その為にはベルナールではなく……私が、王太子位を得なければならないと思っているんだ」
シルヴァンの黄金色の瞳は真っ直ぐにセレスティアの瞳に向けられていて、そこに迷いはない。その為に必要な努力も、セレスティアを巻き込むことも、失うものも──全てを覚悟している強さだった。




