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シルヴァンは客間の扉を閉め、横の壁に背中を預けた。慣らしているとはいえ、やはり気を抜くと痺れで足が縺れる。部屋の前に立って見張りをしていたアルマンが、驚いた様子でシルヴァンに駆け寄ってきた。
「ヴァン、どうした」
「紅茶に毒が入っていた。第三小隊で調査指示を受けた。隊を動かしてくれ」
アルマンは眉間に皺を寄せた。シルヴァンは気を抜くと荒くなる呼吸を抑える為に、ゆっくりと呼吸を繰り返す。命に別状はないとはいえ、何の影響も受けない訳ではないのだ。
「分かった。毒の心当たりはあるのか?」
「多分だが、クトニの根だな。無臭で苦味があり、麻痺と呼吸困難の即効性がある。私や陛下には殆ど効かないし、呼吸困難は持続しないから耐性が無くとも死にはしないが……脅しや警告には充分だ。──どこに毒が使われていたか、早急に調査し報告してくれ」
「ああ。──それよりヴァン。先にこれを飲め」
アルマンは上衣の隙間から薬包を取り出し、携帯していた水筒と共に手渡してきた。
「は……お前は本当に準備が良いな」
「何度こんなことがあったと思っているんだ。先に水と薬くらい用意するに決まってんだろ。ほら、早く」
非常時には使用人に頼んだ水すら信頼できない。アルマンはそれを分かって、先に用意していたのだ。シルヴァンは薬を口に含み、水筒の水で流し込んだ。少しずつ楽になっていく呼吸に、溜息を吐く。
「助かった。これなら痺れもすぐに引くだろう」
「とりあえず部屋に連れて行くから少し休め。調査の切りが良いところで呼ぶ」
「悪いな、アル」
「構わないさ。ほら、行くぞ」
シルヴァンはアルマンの言葉に頷いて、壁から背を離した。ここからなら、自室までそうかからないだろう。ぐっと背に力を入れ、見苦しくないよう真っ直ぐに立つ。アルマンが呆れたように小さく嘆息した。
「本当にお前は……」
「何だ。早く行こう、あまり客間を陛下達だけにしたくない」
アルマンの言いたいことも分かっている。シルヴァンを心配しての気遣いだろう。しかし今のシルヴァンにとっては、セレスティア達の安全が最優先だ。アルマンはシルヴァンを部屋に送るまで動かないのだから、少しでも早く自室に着く必要があった。
シルヴァンを部屋へと送り届けたアルマンは、すぐに第三小隊の騎士達を呼び寄せた。騎士達を伴い客間に行き、茶器とその場の紅茶、茶菓子まで、全てに持参した調査用の薬液を吹き付けた。これは毒物の性質によって色が変わる薬液で、細かな調査の前に簡単な検査が可能なものだ。
「──全員の紅茶から毒物が検出されていますね」
騎士の一人が顔を青くして呟いた。確かにその通りで、菓子や茶器から毒物は検出されていない。調べると、カップ以外に紅茶を注いだポットの中からも毒物の反応があった。無差別に全員を狙ったのだろうか。
「婚約の失敗が目的か……? いや」
アルマンは並んだ茶器の中から、一つだけ異なる反応をしているカップを見つけた。それはセレスティアが飲む筈だったもので、紅茶とは違う色の反応が、その持ち手から検出されているようだった。
「セレスティア嬢、畏れ入りますが、右手をお出し頂けますか」
アルマンの言葉に、セレスティアはおずおずと右手を前に出した。アルマンはその手に予告なく薬液を吹き付ける。セレスティアの手の平が、すぐに色を変えていった。
「え……?」
それはカップの持ち手と同じ色の反応だ。アルマンは無言のままセレスティアの手を消毒布で丁寧に拭って、そこに残る薬液と毒物を全て取り去った。
「失礼致しました、もう大丈夫でございます」
アルマンは一礼し、セレスティアから離れる。ロザリーがセレスティアを気遣うようにその背を撫でた。
「この中に犯人はおりません。使用人を調査させて頂きますが、すぐに特定することは難しいかと思われます。如何致しますか、陛下」
片膝をつき、見上げて言う。国王は小さく嘆息して首を左右に振った。
「これだけのことがあったのだ。今日の婚約式は──」
「お待ちくださいませ、父上」
入り口から入ってきたのはシルヴァンだった。背後には宰相を連れている。その顔色は良く、アルマンは安堵した。シルヴァンはそのまま真っ直ぐに歩いて、頭を下げるアルマンの横で国王に向かって片膝をついた。
「この毒物は、今日という日を壊そうという意図で仕込まれたものです。そしてこの場にいる者達が犯人ではないことも事実。──でしたら私達は今日、予定通りに婚約を行うべきです」
「私も殿下のお言葉に賛成でございます、陛下」
宰相がシルヴァンの言葉を後押しする。
「そうか。フランクール伯爵、貴殿はどう思う」
国王はアロイスに話を振った。アロイスは柔和に見える笑みを顔に貼り付けている。
「私としては、その犯人をさっさと突き出してもらいたいところです。──ですがこれでは仕方がありませんね。婚約さえしてしまえば、今日のような事件も繰り返されないでしょう。私達が、ただの脅しに屈することはございません」
困っているような表情のセレスティアの横で、ロザリーまでもが瞳を輝かせて頷いた。アルマンは、フランクール伯爵家の面々の好戦的な態度に驚きが隠せない。
「最初からそのつもりで宰相を連れてきたのだな? それで、書類は」
心から面白そうな顔で笑っている国王も珍しかった。この人はこんな顔で笑うのか。目を丸くしてしまったアルマンの横で、シルヴァンが満足そうに口角を上げた。
「既に宰相にお持ち頂いております」
「──シルヴァン、随分準備が良いな。では今から名を入れよう。よろしいですかな、セレスティア嬢」
「う、あ……はい」
セレスティアはこの面々の中にいて、戸惑いを隠し切れていない。騎士団にいるアルマンでさえついていけていないのだ。まして社会経験の少ないセレスティアには当然だろう。アルマンがセレスティアの反応を不安に思っていると、シルヴァンがセレスティアの方を振り返った。
「大丈夫だ。私が……私が必ず、貴女を守るよ」
アルマンはその甘い言葉に、思わず零れそうになる溜息を飲み込んだ。セレスティアは頷いたのだろう、国王が宰相から受け取った書類を、満足そうにテーブルに広げていく。
シルヴァンとセレスティア、国王とクレール、そしてアロイスとロザリーがそれぞれにサインを入れて、婚約証書が完成した。王家の者の婚約証書は中央教会に保管され、修正をするには教皇の承認が必要になる。その重要書類をくるくると丸めた宰相は、数人の騎士を連れてこのまま中央教会へと向かうそうだ。
こうしてシルヴァンとセレスティアの婚約が正式に成立した。




