1・3 現状把握
扉から顔を出したのは、侍女頭のエッダだった。
「お目覚めでしたか、奥様――あ」
彼女は小さく声をあげたかと思うと、強張った顔で早足でベッドに近寄ってきた。
「いつの間に入ったのでしょう」
エッダが猫ちゃんを、よいしょっと重そうに抱き上げた。
猫ちゃんはやっぱり巨大で、三歳児くらいのサイズがある。
「申し訳ございません、奥様。猫がお嫌いだそうですね。すぐに廊下へ出しますから」
「待って、大好きよ!」
「え?」
猫ちゃんを抱えてよろよろとしていたエッダが、不思議そうな顔でわたくしを見た。
「ですが旦那様にお嫌いだとお話になったのでは? 使用人一同、けっして近づけないようにと厳命されたのです」
「嫌いではないわ。わたくしがレイモン様にケンカを売って、誤解させてしまったの。昨晩のことを謝罪したいのだけど、レイモン様にお会いできるかしら」
「旦那様は――」
ぼすっ、と猫ちゃんがエッダの腕の中から床に落ちた。
「猫ちゃん⁉」
猫ちゃんはぽてぽてと歩いてくると、億劫そうにジャンプして寝台にのぼった。
そしてわたくしの傍らで止まった。たぶん、おすわりをしている。巨大なおにぎりにしか見えないけれど。
「猫ちゃんのお名前はなんというの?」
「存じません。私どもはみな好きずきに呼んでいます。――というか奥様。猫が問題ないのでしたら、確認させてくださいませ」
エッダがいずまいを正す。
「ご体調はいかがでしょうか。医者によれば、過度の心労ではないかとのことですが」
「わたくし、医師の診察を受けたの?」
「もちろんでございます」
「意外だわ……」
わたくしはレイモンにかなりひどいことを言った。
彼が怒ったのも明らかだった。
それなのにレイモンはわたくしを案じて、夜中に医師を呼んでくれたというの?
「レイモン様は寛容なのね」
それはもう、とエッダが大きくうなずく。
「世間ではどのように噂されているかは存じませんが、使用人一同、旦那様を尊敬しております」
――なるほど。公爵家の使用人となれば、それなりにプライドもあるはず。
そんな彼らが、出自不明・養子に過ぎないレイモンを尊敬している。
ということは、レイモンは当主としては立派な采配を振るい、信頼を勝ち得ているということになる。
わたくしはそんなことも知らないまま、自分の都合だけで彼に暴言を吐いたのだわ。なんてひどい人間なのかしら。
そうだわ。挙式でも誓いのキスをきちんとしないで、誤魔化した。
その後のお披露目パーティーでもわたくしはレイモンと言葉を交わさず、視線を合わせてさえもいない。
本当に恥ずかしい。
「体調は問題ないわ。レイモン様に謝罪とお礼をしたいから、そのように伝えてくれる?」
了承したエッダが部屋を退出するさいに猫ちゃんを呼んだけれど、猫ちゃんは動かなかった。
わたくしのそばで(たぶん)丸くなっている。
「あなたはどうして、わたくしのそばにいてくれるの?」
話しかけても、反応はない。
「眠っちゃったの?」
少し迷ってから手を伸ばす。
「ご主人様の許可はまだいただいていないけど……撫でてもいいかしら?」
猫ちゃんの返事はなかったけれど、「どうぞ」とでも言うかのように耳が動いた。
そっと撫でる。ふわふわの毛と、やや高めの体温が心地よい。
「あなたを撫でていると落ち着くわ」
ひとりになったとたんに思い出す。
理不尽な婚約破棄。失恋。
意に染まぬ結婚。
突然よみがえった前世の記憶。
そして不治の病と余命。
「夢だったらいいのに。でも違うのよね」
あの日から何度もそう願ってきたけれど、いまだ夢から覚める日は来ない。
「……ああ、でも」
わたくしに婚約破棄を宣告したベルトランの顔が脳裏に浮かんだ。
あのときはショックが大きすぎて、冷静ではいられなかった。けれど今思い出してみると――
「あのときのベルトランの顔、醜悪だったわ。真実の愛の正当性を力説していたけれど」
お腹の底から、怒りが沸々と湧き出してくる。
「そうよ。ベルトランは最低な浮気男よ! 婚約破棄されて本当にラッキーだわ!」
すごくすっきりした気分だわ。あんなに苦しんでいたのが嘘みたい。
今のわたくしの憂いは、命があと半年しかないということだけ。
悲しいけれど、嘆いているヒマなんてない。
「これからは楽しく有意義に過ごすのよ」
いつの間にかわたくしを見上げていた猫ちゃんが、「にゃん?」と小首をかしげた。
可愛すぎるわ!
「――そうね、猫ちゃん。まずはレイモンに謝罪でしょ? そうしたら、彼がわたくしをどう扱いたいかを確認しましょう」
それによって、『有意義』の内容を決めよう。
関わりたくないと放置するのか。それとも世間体を気にして体面は取り繕うのか。
そんなことを考えていたら、ぴくり、と猫ちゃんが動いた。
「ん? どうしたの?」
猫ちゃんが答える代わりに、再びとんとんと扉がノックされた。「どうぞ」との声掛けに、寝室に入って来たのはレイモンだった。




