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バー人生の交差点  作者: こうた


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第16話「離れられない夜」

人は時々、関係に名前をつけたがる。


恋人。


友達。


遊び。


家族。



---


でも実際には、そのどれにも当てはまらない夜がある。


マスターは、それを知っていた。



---


その夜、タケルは少し早く店へ来ていた。


理由は分かっている。


でも、認めたくなかった。



---


会いたかった。



---


たったそれだけのことを、自分の中で何度も遠回しにしていた。



---


カウンターへ座る。



---


マスターが静かに酒を置く。


「今日は早いですね」



---


タケルは苦笑する。


「……まあ」



---


マスターはそれ以上聞かない。



---


この店では、“待っている人間”は珍しくない。



---


タケルはグラスを持ちながら、扉を見る。



---


まだ来ない。



---


少し安心して。


少し残念だった。



---


その時。


扉が開く。



---


「やっぱりいた」



---


エリだった。



---


その後ろからエミも入ってくる。



---


タケルは、気づかないうちに笑っていた。



---


エリがそれを見逃さない。


「うわ、今すごい嬉しそうな顔した」



---


「してません」



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「した」



---


エミが静かに笑う。


「分かりやすいですよね」



---


二人は自然に隣へ座る。


もう、その距離感に迷いがない。



---


エリは髪をかき上げながら言う。


「今日、疲れてる?」



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「少しだけ」



---


「嘘」



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タケルは少し驚く。



---


エリはグラスを持ったまま、じっとタケルを見る。



---


「かなり疲れてる顔」



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エミも小さく頷く。



---


「無理しましたね」



---


タケルは苦笑する。



---


なんで分かるんだろう。



---


エリが少し身体を寄せる。



---


「ちゃんと寝てないでしょ」



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近い。


香水の匂い。


肩が触れる。



---


タケルの呼吸が少し浅くなる。



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エリはそれを見て笑う。


「また緊張してる」



---


エミが静かに言う。


「でも前より逃げなくなりました」



---


その言葉に、タケル自身も少し気づく。



---


最初の夜は、ただ圧倒されていた。



---


でも今は違う。



---


二人のことを知り始めている。


笑い方。


沈黙。


寂しそうな瞬間。



---


だからこそ、余計に惹かれていた。



---


二杯目。



---


店の空気がゆっくり深くなる。



---


エリが突然聞く。


「ねえタケルくん」



---


「はい」



---


「私たちのこと、どう思ってる?」



---


その質問に、タケルは一瞬止まる。



---


冗談っぽい聞き方。


でも、目は真面目だった。



---


エミも静かにタケルを見る。



---


逃げられない。



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タケルは少し考える。



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そして、正直に言う。



---


「……特別です」



---


空気が静かに変わる。



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エリの笑顔が少し止まる。



---


エミも目を伏せる。



---


タケルは続ける。



---


「なんて言えばいいか分からないけど」



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「二人といると、安心します」



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「ちゃんと自分でいられる感じがして」



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言いながら、自分でも驚いていた。



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こんなこと、普段なら絶対言えない。



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でも二人の前では、不思議と隠せなかった。



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エリが小さく笑う。



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その笑い方は、少しだけ切ない。



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「危ないなあ、それ」



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「え?」



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エリはグラスを見つめる。



---


「そういうこと言われると、離れられなくなる」



---


沈黙。



---


エミが静かに続ける。



---


「私たち、そんなに器用じゃないから」



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タケルの胸が少し苦しくなる。



---


今まで、二人は“大人”に見えていた。


余裕があって。


強くて。



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でも違った。



---


エリも。


エミも。



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ちゃんと不安だった。



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エリが笑いながら言う。



---


「年上ってさ、強そうに見える?」



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タケルは頷く。



---


「見えます」



---


エリは少し笑う。



---


「演技上手いだけ」



---


エミも小さく笑う。



---


「本当は結構怖がりです」



---


その言葉に、タケルはゆっくり二人を見る。



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そして自然に言っていた。



---


「……じゃあ、俺が隣にいます」



---


空気が止まる。



---


エリが目を丸くする。



---


エミも驚いた顔をする。



---


タケルは言ってから、自分で顔が熱くなる。



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「いや、今の変な意味じゃ」



---


エリが吹き出す。



---


「ほんと、ずるい」



---


そのまま彼女はタケルの肩へ額を預ける。



---


「そういうの、真顔で言うんだ」



---


タケルは完全に言葉を失う。



---


エミも少し近づく。



---


静かに、タケルの腕へ触れる。



---


左右から伝わる熱。



---


鼓動が速い。



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エリが小さく囁く。



---


「ねえ」



---


「はい……」



---


「今日、帰したくない」



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その言葉が静かに胸へ落ちる。



---


タケルは返事ができない。



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でも、逃げなかった。



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エミが優しく笑う。



---


「顔に全部出てます」



---


マスターは静かにグラスを磨いている。



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そして低く言う。



---


「人は、“必要とされた温度”を忘れない」



---


三人とも、一瞬だけマスターを見る。



---


店内は静かだった。



---


もう遅い時間。



---


でも、この夜がまだ終わってほしくないと思っているのは、きっと一人じゃなかった。



---


外へ出る。


夜風。


街灯。


静かな道路。



---


エリが自然にタケルの腕へ絡む。



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エミは反対側へ並ぶ。



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タケルは少し困ったように笑う。



---


「近いですって」



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エリが笑う。



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「今日は甘えたい気分なの」



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エミも小さく言う。



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「私もです」



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その声が、妙に胸へ響く。



---


交差点。


赤信号。



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三人並んで立つ。



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エリが前を見たまま言う。



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「ねえタケルくん」



---


「はい」



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「もし、この関係に名前つけるなら何?」



---


タケルは少し考える。



---


でも答えは出ない。



---


恋愛。


それだけじゃ足りない。



---


寂しさ。


それだけでもない。



---


だからタケルは、正直に言う。



---


「……まだ分からないです」



---


エリは笑う。



---


「それでいいかもね」



---


エミも静かに頷く。



---


信号が青になる。



---


三人は、また同じ方向へ歩き出す。



---


マスターは店へ戻り、空になったグラスを見つめる。



---


「名前のない関係ほど、深く残ることがある」



---


このバーでは、言葉にできない感情が、夜の間だけ確かに存在している。

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