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11話 フェルタニア港の視察(2)


 視察でわかったことは多くは無かった。ただ、やはりロフォース共和国の繊維製品の値下がりがあちこちで密かに話題になっている。放っておけば数週間としないうちに帝都まで噂が届いて宮中でも知られるようになるだろう。共和国行きの船に潜入させたイザークの子飼いたちはともかく、私とシリウス様の散策は───無意味とは言わないけれど、一皇子がワザワザ足を運んで得た成果としてはやはり物足りなかった。


 夕日が照らす港町を2人連れ立って歩いて行く。そろそろ戻らないとロベルト卿が業を煮やして捜索隊を放つだろう。

 石畳の道で互いの靴音が重なる。シリウス様が私の歩幅に合わせてくれているのだろうか。遅い歩みにも文句一つ言わずに私の腕を組んだままエスコートしてくれる。そんな彼の小さな優しさが狂おしいほどに嬉しい。


 終わってしまう。この夢のような時間が。


 コツ、コツ……と靴音が時計の針のように無人の街道に響き渡り、一音一音、絶望的なまでの現実が私に迫ってくる。


 嫌……まだ、まだ帰りたくない……


 そんな切実な願いを嘲笑うように夕日は海に沈んでゆく。傾く太陽に促されるように、殿下が私に目を覚ませと現実を突きつけてきた。



「……アリア、ロベルトに訝しまれるとまずい。其方は先に戻っていろ」


「……ッ」



 唐突に夢の終わりを告げられ、思わずシリウス様の腕を握る力を強めてしまう。胸元に抱いた彼の逞しい腕から感じる強い鼓動はどちらのものだろうか。その暖かい脈動は、夢の終わりにうなされる幼子をあやす子守唄のよう。

 だが2度目の夢幻への誘いを、現実は許してはくれない。



「ア、アリア、そろそろ腕を放せ。もう恋人の演技をする必要などないぞ……?」



 少し引きつったような声で私に離れろと言うシリウス様。主命だ、従わないといけない。でも、ただ腕を放すだけでも、それがどれほど残酷な命令なのか彼は知らない。

 知られては、ならない。


 ……私が最初から、恋人の“演技”などしていなかったことなんて。



「……ま…まだ、人がおります……」



 何か言わなくてはと開けた口から零れたのはあまりにも苦しい言い訳。その甘えるような声色に、私は驚愕した。何てことを口走っているの、私は。こんな言葉を言われて、この想いに気付かれたらどうするの。


 おねがい……気付かないで……


 神にも縋る気持ちで恐る恐る隣のシリウス様の顔を見上げると……何やら挙動不審でしきりに私が抱きしめている自分の腕を気にしていた。

 一体何を……?



「その、え、演技は結構なのだが……そ、其方の腕の組み方は、いささか……」


「……組……み方……?」



 あまりに見当違いなことを言われて頭が混乱する。

 腕の組み方?放せと言われたけれど、それはただ演技を止めろという合図だけではなかったのだろうか。



「い、いや確かに身分を隠すためではあるが……何も、む、胸を押し付けてまで恋仲を表現せずとも良いのだぞ……?」


「……え?」



 私は一瞬何を言われたのかわからず、シリウス様の腕を抱きしめている自分の胸に目を向けた。

 そこには、見事に彼の腕の形に歪んだ、私の膨らんでいるブラウスの胸元があった。



 あ……




「────~~~ッッ!?」



 声にならない悲鳴を上げて、組んでいた腕をバッと放す。羞恥で顔が燃えるように熱い。目がチカチカするほど血が頭に上り前後左右の区別すらつかなくなる。


 わっ、私は今まで何て非常識なことを……っ!


 知らずの内に、まるで色街の破廉恥な娼婦のように殿方の腕に自分の胸を押し付けながら街を歩いていたなんて。



「ご、ごほん!し、しかしあの“美貌の一族エスターラント”の姫にあれほど蟲惑的な誘いを受けたのは世界広しと云えども私くらいのものだな!実に鼻が高い!は、ははは…」


「ぁ……」



 顔を熱していた私の血が、まるで津波の後ように引いていく。違う、誤解なのに。私はシリウス様を誘ってなどいないのに。

 殿下が私に────女性に男女の関係を迫られることを何よりも嫌っていることはわかっている。私だって、どれほど自分の想いに呑み込まれそうになっても、絶対に彼に対して思わせぶりな振る舞いをしてはならないと何度も自分に言い聞かせてきたのに。色目を使うなと彼に何度も遠まわしに言われていたのに。

 それが、私が唯一シリウス様の側にいることを許されていた理由なのに……



「……もっ、申し、申し訳ございません……っ!わた、私は……決して、決してそのような、はし、はしたないマネは…………決してあなた様を、誘うようなつもりは……」



 ああ、どうすれば……


 自分の致命的なまでの過ちに気付き目の前が真っ暗になる。何とか誤解を解こうと言葉を捜してみても、口から出ること全てが彼への言い訳のように聞こえてしまう。吐きそうなほどの焦燥感に苛まれてどうしたらいいのかわからない。

 シリウス様の側にいられなくなってしまう。そんなことになったら、もう、私は───




「───リア!アウレーリアっ!」


「……ッ!」



 突然大声で本名を呼ばれハッとする。俯いていた頭を上げると目の前に、いつも私の心臓を困らせるシリウス様の端整な顔が飛び込んできた。彼の宝石のような蒼い瞳に情けなく目元を赤らめた私の顔が映っている。

 引いたはずの熱の波が節操なく、また頬に顔に耳に押し寄せて来た。



「……アリア、許せ。只の冗談だ。其方を傷つけるつもりはなかったのだ。……頼むから泣かないでくれ」



 まるでダンスのペアのような距離にシリウス様の顔がある。心配そうな表情で私の目を覗く彼の手にはハンカチが握られていた。

 濡れる目元が優しく拭われる。このまま彼の胸に体を預けられたらどれほど幸せなことか。

 だけど、その滑らかなナザレア帝国産の絹の肌触りが自分の成さねばならない事を思い出させてくれた。

 身を切るような思いでシリウス様の温もりから体を引き剥がし、優秀な側仕え“アリア”の仮面を被り直す。



「……お見苦しい所をお見せしてしまい大変失礼致しました。ご命令通り、私は先に公爵邸に戻り本日のロフォース共和国の絹布価格調査の報告書をまとめて参ります」


「え……?あ……い、いや、しかし───」


「───それではお先に失礼致します」



 突っぱねるように暖かい掌から逃れて足早に去る私は、彼の目には随分素っ気無い冷たい女に見えるだろう。もっとも、そう見せたい身からすればこの上ない成功なのだけど。

 シリウス様の優しさを受け取ることは出来ない。私にはその優しさをあなたに返すことが許される女ではないのだから。



「…………今日は連れ回してすまなかった」



 だと言うのに、耳に届いたその言葉は意地悪な風の戯れ。振り返り誤解を解くことの出来ない私は、聞こえなかったフリをしてシリウス様を背に公爵邸への道を立ち止まることなく歩み続ける。裂けるような胸の痛みに耐えながら、気丈な後姿に見えるよう顎を高く上げた。天を向く私の顔は、零れ落ちそうな涙をせき止めてくれた。



 この日の幸せな思い出は、私の一生の宝物だ。



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