ご挨拶(2)
「兄さん!」
「ご機嫌よう、お義兄様。」
先ほどまで完全にに二人の世界に居たはずだが、アイリスよりも先に反応したのはアルディーンとルナリアだった。
「義姉上、あちらが、義姉上の夫となる僕の兄、グレン=オル=ラカントです。」
「あの方が……」
アルディーンとグレンは二人とも目は金色だが、髪の色はアルディーンが金色で、グレンは黒かった。それに、アルディーンの髪は短いが、グレンの髪は長く、一つに結って左の肩から流されている。その上、彼の右目は長い前髪で隠れていた。それは、意図的に隠しているようにも思えた。
グレンは自分の妻になるアイリスがいるにも関わらず、全く彼女の方を見ようともせず、ただアルディーンを睨んでいる。
それでも。
「綺麗……」
それでも、アイリスは彼を美しいと思わずにはいられなかった。
「は、はじめまして。フィジーライルから参りました、アイリス=レアナ=フィジーライルにございます。」
見惚れている場合ではない。アイリスは自分に言い聞かせ、グレンに向かって挨拶をし、お辞儀をした。
「…………ああ。」
アイリスは勇気を振り絞って言ったのだが、グレンは彼女を一瞥してそう短く返事をしただけだった。
「もう、兄さんってば照れてないでちゃんと挨拶しなよー!」
「そうですわお義兄様。妻となる方から挨拶をされたのですよ? きちんとお答えなさいませ。」
アルディーンとルナリアに言われ、グレンは視線をそちらに向けた。
「……名前ならもうお前が言った。それに、返事もしたつもりだが。」
何が悪かった、とでも言いたげな表情で言うと、グレンは再びアイリスを見た。
「俺が、どんなふうに噂されているか知っていてここへ来たのだろう。」
「えっ…、あ、それは…………、はい。」
どう答えて良いか分からなかったが、嘘をつくこともできず、アイリスは結局正直に答えた。
「だったら話は早い。俺から要求することは一つだけだ。――俺に構うな。」
「えっ…?」
一瞬なにを言われたのか分からなかったアイリスだったが、すぐに悟った。
――自分はこの人に、必要とされていないのだ、と。
「あとは、外に男を作ろうと、宝石を買いあさろうと、俺はなにも言わないから好きに過ごせば良い。」
「に、兄さん! 何てことを…!」
「お前の言う公務がこの事なら、俺は帰る。俺とて暇ではない。」
「でも、だって…! そうでも言わないと、兄さん来てくれないでしょう? せっかくだから、義姉上と仲良くなって貰おうと思って。」
「いらん世話だ。」
二人の会話が、耳を通り抜けて行く。
「私……私は、」
(大好きだったお父様に、必要とされなかった。)
その上、夫にも、必要とされていない、ということ。
ラカントに来れば居場所があるかもしれないと思った自分が、馬鹿みたいだと思った。
――『アイリスは、生まれてこなければ良かったんだ。生まれてこなければ…っ、』
目を背けてきた、父の言葉が蘇ってきた。忘れていたかった、言葉。
グレンと幸せな家庭を築くと決めていたことが、独りよがりだったと分かり、アイリスは目を伏せた。
「お義姉様…?」
様子が変わったアイリスに気付き、ルナリアが心配そうな声を出した。
「どうなさいましたの、お義姉様、顔色がよろしくありませんわ。」
「ごめんなさい。……少し、気分が悪いの。」
アイリスが言うと、グレンとアルディーンも彼女を見た。
「大丈夫ですか義姉上。無理をさせてしまってすみません。今日はもう、お部屋に戻られますか?」
「……ごめんなさい。せっかく、準備して下さったのに……」
「お気になさらないで。お義姉様の御身体の方が大事ですわ。」
「……ありがとう、ルナリア様。」
アイリスは弱々しく微笑んだ。
「では、お義兄様がお部屋まで送って差し上げたらどうでしょう? お2人は今日から同じ東の宮に暮らされるのですし、お義姉様は今侍女を連れておりませんもの。」
「あぁ、流石僕のルナリア。それは良い考えだ!」
「なっ…」
グレンが断ろうとしたが、その前に、アイリスが口を開いた。
「大丈夫です。」
その声は、部屋に響いた。凛とした声だった。
「お義姉様、大丈夫ですの…? 無理はなさらないほうが……」
ルナリアに言われたが、アイリスはグレンの顔を見て、もう一度言った。
「……大丈夫です。」
グレンは眉間に皺を寄せ、アイリスを見た。しばらく、2人の視線は交わったままだった。
「お心遣いありがとうございます。でも、私は一人で大丈夫です。」
アイリスはルナリアを見ると、微笑んだ。
今はまだ、どうしても、2人きりになりたくなかった。現実を受け入れてからでないと、きっと笑えないから。
グレンに必要とされなくとも、アイリスは、彼の前では明るい笑顔でいたかった。
「でも、義姉上……」
「……本人が言っているんだ。好きにさせればいいだろう。」
「兄さん!」
「大丈夫ですわ、アルディーン様。ありがとうございます。……ルナリア様、私でよければ、またお茶会に誘っていただけると嬉しいです。」
「もちろんですわ、お義姉様……」
アルディーンとルナリアに笑顔を向けると、アイリスは部屋を後にした。
彼女に、グレンの目をもう一度見る勇気はなかった。
「お義兄様! どうしてそう冷たく接されるのですか、あんまりですわ!」
ルナリアが言うと、グレンは全く感情のこもっていない表情で言った。
「俺がどういう存在か忘れたのか? 本当なら、結婚自体するべきではないものを。」
アルディーンが口を開きかけたが、グレンの表情を見て、なにも言えなくなってしまった。
「……それに、変に期待させたほうが可哀想だろう。あれで良かったんだ。……俺は部屋に戻るぞ。」
グレンの背中を見送ったアルディーンは、やるせない思いになり、ため息をついた。
「兄さんの人間嫌いがなおるきっかけになればなぁって思ってたのに……兄さんに無理をさせて、義姉上に辛い思いをさせて……僕、なんてことしちゃったんだろう。」
ルナリアは、うなだれるアルディーンの肩にそっと手を置いた。
「アル様。……アル様がご自分を責められることはございませんわ。それに、お義姉様はきっと、そんな弱い方じゃありません。お義兄様と上手くいくことをお祈りしましょう。」
「ルナリア……」
顔を上げたアルディーンに、ルナリアはためらいがちに言った。
「それで、あの……思ったのですけれど、お2人の為にも、お義兄様の事……お義姉様にお話してみてはいかがかしら。」
ルナリアの言葉に、アルディーンは目を見開いた。




