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33、硝子の斜塔

33、硝子の斜塔(グラス・バベル)

 


 大きな階段が斜めに伸びていた。

 チルトは差し掛かった階段を上りきると、折れたところに再び長い階段が続いていた。

息切れしつつも次の段に踏み出そうとすると、ひび割れたと思った瞬間に一段の底が抜けた。

反射的に足を引っ込める。

「脆い、」

 まるで砂のお城にでも入り込むかのような脆さだった。

 それは、ここから先がさらに世離れした領域であることを意味していた。

 しかし、このままでは進めない。

チルトの体重は重すぎた。

「そうだ、」

 抱えきれずにバケツに入れていたものを取り出す。

「“特別な”硝子の靴、」

 支給品の靴を脱ぎ捨て、エルアから押し付けられたものに、チルトは履き替える。

 途端、チルトは身体が羽毛のように軽くなるのを感じた。

まるで世界に足がついていないような、種を失くした綿毛のように、宙を漂い続ける感覚。

心地よい反面、どことなく気持ち悪さが隠れていた。

 矛盾した感覚に浸りつつ、チルトは足を踏み出した。

 軽やかに、眠り時計(スリープ・クロック)の回廊の時のように、駆け上がっていく。

 すでに陽は暮れている。

 取り囲う青と翠のグラスがその色を宿して明かりを映した。

チルトに掛け合わされた色が重なる。

その色に、チルトは何故か、久しく見ない月を思い浮かべていた。

 四角く切り取られた空洞を避けて、階段をさらに折れると、ホールにあるような、幅広の大階段が現れた。

しかし幅広く、長い段組の羅列は、斜塔の頂上へと続いていた。

 その先に、チルトは人影を見つけた。

「待って、」

 咄嗟にチルトは叫ぶ。

 あの少女は振り返る。

 眼が合うのは三度目だった。

 表情には驚きがあった。

しかしすぐに向き直る。

 手に僅かに光る何かを持っていたが、見取れなかった。

「君の名前を知ってる、ディーラだろう、」

 進もうとした少女は再び立ち止まった。

 チルトは言いながら、心の準備を整えていた。

「ぼくは、ぼくの名前は、」

 続けて声を投げようとすると、女の子(ディーラ)は階段を駆け出した。

「言わないで、」

 チルトも駆けて追う。

 逃げるようなディーラは先の小部屋に消えた。

 チルトは硝子箱(キューブ)が散らばる部屋を出る時に、エルアがした話を思い出していた。

候補生の樹のことだ。

 あの樹になった“果実”は儀式のために用いられる。

最上階で行われる、“幽霊”になるための、硝子の斜塔との契約に。

彼女が手にしているものは、オレンジの実ではなかったか。

階段をチルトは上っていく。

ルビーは言った。

選ぶべきだと。

エルアは立場の危ういこんな状況でまで、チルトを後押しした。

“幽霊”の女性は、中途半端ならやめなさいと言った。

しかしルビーやエルアの言葉と行動が、もう迷いだ何て断ち切って、チルトに決断させていた。

リラシーラが落ちていく時に見せた表情も、何だかもう不思議じゃない。

彼女はきっと不器用だ。

恐ろしいほどに不器用だ。

だからお願いも一方通行になって、ろくに会話も交わさない。

その上斜塔で学んだことがより彼女を歩ませて、誰も彼女に届かない。

彼女は名前すら教えない。

柵の上も次々飛び跳ねて、チルトにはついていくのがやっとだった。

そんな彼女のもとに、チルトは駆けていた。

 チルトは長い階段を駆け終えた。


 硝子の斜塔(グラス・バベル)は先に近付くにつれて細くなっている。

 先端には、小さな部屋が一つばかりあった。

先には幾何学紋様の窓が開け放たれ、紙のように薄い(フロア)があった。

上には吹き抜けの天蓋があり、涯てには北極星が煌々と光を零していた。

 生命(いのち)の欠片もないような、硝子の斜塔(グラス・バベル)の最上階だった。

 その真ん中にディーラはいた。

 手には暖色に輝くオレンジの実。

熟した果実は魅力を含んで、ディーラの両手に保たれていた。

 不意に踵を返す。

 ゆっくりと一歩ずつ歩んでいく。

「来ないで、」

 拒む言葉にも関わらず、チルトは言う。

「ぼくの名前は、」

「言わないで、」

 チルトは言葉を紡ぐ。

「ディーラ、きみは軽い。あまりにも軽い。それは巡り合わせなのかもしれない。誰も、君のことを思ってこなかったかもしれない、もしくは、誰かが思っても、誰も辿り着けなかったかもしれない、きみは次々に、階段を上っていってしまうから」

 ディーラは歩みを止めない。

「だけどもう、きみはどこにもいかれない。ここはもう、薄情の階段を、上り切った場所だから。」

ディーラは歩みを止めない。

「ペンダントを見せてもらった。からっぽだったよ。」

「だったら、」

 ディーラの声が張り裂けた。

「ここにいる私の気持ちは分かるはず。あなたも同じような境遇なら、“幽霊”になりたいと思う私の気持ちが、分かるはず。」

 ディーラの声はすぐに澄んでいった。

 チルトは答える。

「ぼくには分からない。何故ならぼくには母親がいたから。」

「ならどうして、」

 チルトを背に、ディーラは項垂れる。

「だからぼくは、きっと人を思えるんだと思う。」

 チルトは言った。

「ぼくはディーラを思ってる。」

 ディーラの足が止まった。

 しかし、こちらを向こうともせず、彼女は微動だにしなかった。

躊躇しているようだった。

 チルトは何か口を開こうとした時、彼女の言葉が紡がれる。

「私は、」

 突然ディーラの足が、再び前に進み始めた。

 意思なのかと思うと、しかし彼女は狼狽している風だった。

よく見ると、足が勝手に進んでいる。

硝子の靴が、まるで勝手に歩かせているようだった。

チルトは思い巡らした。

ルビーの言葉が浮かび上がった。

 “斜塔には意思がある。”

 “硝子の斜塔(グラス・バベル)の硝子は、全て自身のもの。”

「硝子の靴だ、」

 部屋も細工も、そして支給品の靴も、全ては斜塔の硝子。

「靴だ、靴を脱ぐんだ、」

 チルトは訴えるが、ディーラは抗う様子もなく、身をまかせ始めた。

「ディーラ、」

 チルトは無理矢理にでも止めようと走る。

 しかし、一瞬に(フロア)から生え広がった硝子の壁に阻まれて手が届かなくなる。

硝子を手で叩くが割れない。

ポケットからペンシルを取り出して突き立てるが、ペンも硝子だった。

 正面の開け放たれた窓から、候補生の樹になった“果実”を捨てることによって、契約は完了する。

 儀式が終われば、彼女は正式に“幽霊”となり、エルアが言うように、硝子の斜塔(グラス・バベル)に囚われてしまうのだろう。

 チルトは自分を阻む壁と、抵抗しないディーラに苛立って、手にしていたペンダントを投げつけた。

 すると硝子は砕け散り、金色のペンダントはディーラへぶつかる。

破片とともに彼女の傍らに落ちる。

 拍子に蓋が開く。

 内に何も飾られていないペンダントを眼にして、急にディーラは靴を脱ぎ始めた。

 チルトは硝子に開けた小さな穴を、一瞬呆然と見つめた。

 “私のもの(マイン)”でなら壊せる。

 左手に提げたバケツを握り締めて振り下ろす。

叩きつける。

壁となる硝子が大きく崩れて飛散した。

「きみの返事はどうなんだ、ディーラ、」

 進もうとすると、しかしまた新しい壁が構築されていく。

 ディーラは一つ靴を脱ぐことができたが、もう一方の靴から硝子が伸びて絡みつき、すぐに脱げなくなる。

 手にしていた実を斜塔に転がそうとするが、硝子が腕まで蔦のように絡まり、手から離せなくなる。

 窓枠へ達する。

 ここは何百階もある塔の上。

 地上が遠く広がる。

「ぼくの名前は、チルト。」

 床に亀裂。

チルトは連続で叩き割る。

硝子の()が連なって、チルトは突き進んで駆け寄った。

 ディーラはオレンジを窓の外へと翳し、そして手を離した。

「ディーラ、」

 最後の硝子を潜り抜けて、チルトは言い放った。

「どうしてぼくの眼を見ない、」

 ディーラは虚を突かれたように振り返った。

 チルトは彼女の青い瞳を見た。

「好きなんだ」

 返事を言葉にする必要はない。

 感情は重さになる。

 斜塔の端で床の硝子が砕け散る。

瞬間、どっと凍えるような冷気が吹きつけた。

硝子の破片が飛び散って、凍てついて吹きすさぶのを感じる間もなく、二人は夜空へ落こっちた。

 制服のブレザーやスラックスが風になびく。

髪が吹き荒らされて、伸ばした手が触れ合う。

 チルトはそのままその小さな手で、ディーラを抱きしめた。

 眼を上げれば、そこは見渡す限りの星空だった。

 幾千の光が瞬き、北極星を中心に星たちが回っていた。

 眼下で地平線まで広がる街でもまた、灯りが星のように煌いていた。

 空中で、明かりを放つオレンジを拾うと、二人で支えあった。

 自由で、異質で、特別だという“硝子の靴”が重さを消す中、二人は夜空を漂って、やがて地上へ降り立った。

 石畳にへたり込む。

 背後を見上げると、天高く伸びて北極星に届きそうな、“硝子の斜塔(グラス・バベル)”の姿があった。

 不意にオレンジ色のバケツを覗き込むと、“北極星のしずく(ポーラー・ドロップ)”の水面がまだうっすらとだけ残っていて、ほんのりと星の色を宿して光っていた。

 手が触れ合って、もう一度ディーラと眼が合うと、チルトは急に恥ずかしくなった。

しかしチルトは立ち上がると、そのまま恥ずかしさを隠すようにして、もう一度ディーラを抱きしめた。

その時チルトは何だか震えていた。

すると今度は彼女が、チルトを抱きしめ返した。

 チルトは“特別な”硝子の靴を、ディーラは片方となった靴を脱ぎ捨てる。

 彼女が立ち上がると、 二人は裸足で、しっかりと地に足を着けながら、手を繋いで歩き出した。 





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