31、斜塔祭
31、斜塔祭
硝子の斜塔では、一年に一度、星が一際輝く時期に斜塔祭が行われる。
“悪魔”を塔から追い払う儀式だ。
半月前、その祭りは行われた。
大食堂のティブルには、眼に余るご馳走が並べられていた。
何段にも重ねられた、たっぷりと生クリームが塗られたケィキ。
青く透き通る硝子のお皿には、チョコチップや果実の練り合わされたクッキィが盛られ、こんぺい糖が爛々と弾けていた。
また別のお皿には色に咲く果樹園のようなサラダがボウルとなり、隣には熟れた果実が顔を揃える。
月を模ったバターパンは蜜を被り、硬く揚げられたシュトレーゼには、白砂糖が降り積もっていた。
「甘いものなんて久しぶりだな。」
向かいに座ったエルアが、ポタージュ・スープのスプーンを片手に、パンに噛り付いていた。
「見て、リラシーラ、パイがパリパリよ。」
ラズベリーのパイの包みに穴を空けながら、ルビーが言う。
「中々の味だわ。ほら、チルト。」
シュトレーゼを切り分けたリラシーラがフォークを差し出す。
先には、食べかけの、粉まみれのシフォンが芳醇な香りを放っていた。
心なしか、それを見つめるリラシーラの頬が綻んで見えた。
チルトは頬張ると、甘さが口に広がった。
「甘い、」
「どれだ、俺にもくれ」
エルアは卓を乗り出す。
「エルアは自分で取って。」
「酷いことを言う。」
「ほら、口を開けて。」
「お、ルビー。ありがとう。」
「何て。あ、甘い。甘い。甘すぎるわ、これ。」
「ほら、エルア。」
「俺の友達はお前だけだ、チルト。」
「何て。」
その日、チルトたちは一日中騒いでいた。
冗談を言って、笑い合った。
チルトたちだけでなく、他の生徒みんなが浮かれていたように思えた。
百の花が咲き連なる硝子細工で装飾された渡り廊下はシーソーとなり、上階はアスレチックのようだ。
足場となる棒が突き出ていたり、それが複雑に合わさったり、格子状になったりしていた。
そこを身体の軽いものは渡ったり跳ねたりして、飛び回っている。
様々なゲームが至る所で行われ、陽気に歌う生徒がいた。
中に何十もの露店が繰り出され、祭りの初めに配られた硬貨で、お菓子や小物を買うことができた。
硬貨は硝子ではなく、くすんだ銅貨だった。
珍しく、重たく綺麗で、使ってしまうのが惜しく思った。
あの時、チルトは一度三人とはぐれてしまった。
斜塔のお祭りの中を迷子のように彷徨っていると、あの少女が騒ぎの中でぼんやりと、眺めるように佇んでいた。
きちりと皺が伸びた制服、大理石のように白い肌、整った鼻梁。
首には、金色のペンダントが大切そうに提げられていた。
喧騒の中でなお、見繕いは保たれていた。
祭りに埋もれそうな彼女を、チルトは不意に手を取って引っ張った。
彼女は呆然とチルトに連れられたが、どんな態度でも、構う所ではなかった。
静かな斜塔の一角まで来ると、チルトたちは止まった。
その部屋では”空移し”が行われていた。
部屋一杯に水が張られ、澄明な天硝子に差し込む空の青を、水に移し取り、そこに硝子を浸して斜塔に青を取り込んでいるのだ。
足をくるぶしまで浸かった二人は、陽に煌めく海か、雲一つない空の中に佇んでいるようだった。
やがて近くの棚に腰掛けると、少女のペンダントが光って揺れた。
「今日ばかりは楽しむべきだと、先生に教わったの。それでお祭りを眺めてた。」
あの少女はそう言った。
この日ばかりは、上階に住む“幽霊”も遊んでいるという。
「楽しむ何て、わざわざ減らした体重を増やそうとする何て、おかしな行事。」
「そう思う、」
矛盾した行事だがそうすることで、“悪魔”は追い払われるそうだ。
「ぼくのこと、知ってる? クラスが同じなんだ。ぼくの名前は、」
「言わないで、」
少女は遮った。
「“名前を知ることは感情を知ること。その名前を知っているのと知らないのとでは、その存在が曖昧になる。”厭世科の一説よ。」
少女は度が抜けた優等生だと、チルトは感じたが、しかしそれがこの斜塔では正しいあり方なのだろう。
「ほら、これを。」
チルトはポケットから紙包みを取り出すと、開いた内から出てきた飴を一つ、少女に手渡した。
銅貨で買った丸い飴菓子だった。
少女はお祭りを眺めているだけだった。
楽しむと言ってはいたが、それは楽しむこととは違う。
お祭りを楽しむには、友達が必要だ。
一緒に感じる人がいてこそ、初めて参加できる。
少女は銀色のそれを、天硝子に透かして見る。
「月みたいね。」
「“銀月飴”ていうお菓子なんだ。」
チルトもそうして見ると、空の青に満月が浮かんで見えた。
「食べてみて、面白いんだ。」
彼女が噛むと、小気味良い音がして、表面が割れる。
中から銀色の糖蜜が溢れ出し、舌に溶け出す。
彼女は呟いた。
「甘い。」
「そうでしょう」
すると彼女は、すっと立ち上がった。
「硝子の国を、歩いてる」
聞いたことのあるフレーズだったので、チルトは自然と続きを口にしていた。
「そんなところ、よく立てる」
「いつもいつも」
「歩いてる」
「何度も何度も」
「歩いてる」
授業で扱う詩のひとつだった。交互に言い合って、彼女は水面を横切っていった。
「ここには絆がありません」
「だから我らは自由です」
「何て静かな世界でしょう」
「光は滔々と流れ落ち」
「無感情に、世界になれる」
「硝子の国を歩くこと」
「立ってるここちがしないのは、」
「生きてるここちがしないこと」
「死んでいるのに、歩くこと」
自由に円を描いた歩を止めると、彼女は仰ぐ。白磁の横顔に、チルトは見取れてしまった。
「――素敵な国……。」
「……本当に?」
チルトは聞き返した。彼女は、チルトの眼を見なかった。
そのあと、チルトは二人で斜塔祭を回ろうとしたが早々に三人と合流してしまったところで、彼女は消えてしまっていた。
残ったのは、いつの間にか彼女がチルトのポケットに入れてしまっていた銅貨が二枚。
その日以来、チルトはあの少女と話していない。
声をかけても取り合わず、眼も合わせてくれない。
ただ前と同じように、最前列の左隅で授業を受ける風景を、毎日見つめるだけだった。




