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その日、私は——“もう一人の自分”とすれ違った。
一瞬、風が吹き抜けて、ふと、気配に目を向けた。その時、私は彼女とすれ違った。
ヒールの音が、一定のリズムで遠ざかっていく。視界の端で捉えたその姿を、私は知らないけれど、知っている。
——私が、選ばなかった方の人生。
それを、そのまま歩いてきたみたいな顔をしていた。
すらりと伸びた背筋。無駄のないシルエットの服に、さりげなく光るブランドバッグ。丁寧に施されたメイクと、キラキラのネイル。迷いのない足取り。
毎日が充実している人の顔をしていた。
ぞわり、と背中をなぞられたような感覚が走る。心臓が大きく跳ねて、立ち尽くす。
その瞬間、「ママ!」と後ろから声がした。振り返ると不満げな顔で私を呼ぶ、娘。
「もー!ママ!はやくきて!」
短い腕を一人前に組んで見せて頬をふくらませている。私にそっくりだ。
子どもを追いかけて走る私は、髪は朝慌てて後ろで一つに纏めたままで。何色のシュシュだったかな、いや、シュシュだったっけ?もしかしたら、ただの黒いゴムで纏めているだけかも。朝したはずのメイクは、おそらくほとんど残っていないだろう。鏡を見ていないからわからないけれど。
コンタクトを入れる余裕もなくて、今日もメガネのまま。仕事を必死に定時に終わらせて、職場から飛び出してきた。
———さっきすれ違った彼女とは、まるで別人だった。
別に、不幸なわけじゃない。夫は最近忙しくて、世界を飛び回ってはいるけれど、何かと気遣ってくれるし、娘は可愛いし、毎日はちゃんと回っている。
それでも。
ふとした瞬間に思ってしまう。この人生ではなかった可能性を。あの時、違う選択をしていたら———。
ヒールの音が、遠ざかっていく。
どちらの道が正しかったのかは、わからない。ただ私は、この道と、あの道のあいだで、
ほんの少しだけ、立ち尽くしていた。




