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サイラスとアデル  作者: バラモンジン


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19/25

19.サイラスとアデルの旅路


 馬車はのどかな田舎道を走っていた。


 ベルトラン侯爵家の領地に向かうサイラス、アデル夫妻の馬車である。後ろには侍従や侍女たちの乗った馬車や、たくさんの荷物を載せた馬車が続く。



 アデルは最初、これから何時間もサイラスとふたりきりで並んで過ごすと思うと、緊張していつもより口数が少なくなった。見慣れた王都の街並みもどこか現実味がなく、ふわふわとした気分で馬車に揺られていた。


 それというのも、先日のレース工場見学で見たサイラスの姿に、心ならずもときめいてしまったからだ。

 

 アデルは知識を得ることが好きだ。そして自分の質問にスラスラ答えてくれる人を尊敬する。さらに、アデルの苦手分野を難なく理解してしまう人に憧れる。


 アデルは、模様のあるレースを編む織機の仕組みについては、間近に見せてもらったこともあり、なるほどと納得した。しかし、蒸気機関の機構については、中を見たわけではないので、どうにも理解が及ばなかった。それをサイラスは次々と質問を繰り出し、その改良の過程から最新技術の内容まで理解してしまった。


 そんなサイラスの姿が、アデルには素敵に見えた。


 これまでもサイラスの顔やスタイルの良さ、所作のスマートさについては、きわめて客観的に素晴らしいと認めていた。しかし、中身でそう思えたのは初めてだった。


 そうしたら今度は外見まで格好良く見えてきて、まともに目を合わせるのが恥ずかしくなってきた。ダンスの時、自分はなぜあれほど冷静にサイラスの顔を観察できたのか、目鼻立ちに黄金比を見つけて喜んでいられたのか、自分で自分が信じられない。アデルは、過去の自分に呆れて、心の中であたふたしていた。



「アデル、どうかした? 具合が悪いのなら、馬車を止めようか?」


 サイラスはアデルが馬車に酔ったのだと思い、そう声をかけた。顔を覗き込んでくるのは止めていただきたい。アデルはそれとなく視線を外し、平静を保って答えた。


「いえ、大丈夫です。ここから先は行ったことがないので、早く見てみたいです」


 無理をしているように見えたのかもしれないが、早く先に進みたいのは本当だった。



 ベルトラン家の領地は王都より北にあり、アデルの実家のユベール家の領地は南にあった。なのでアデルは、王都より北の地域については、地図や書物上の知識しかなかった。アデルは実際の様子を知識と照らし合わせて見ることをとても楽しみにしていたのだ。


「まだ先は長いから、辛かったら言うんだよ」


 サイラスは、アデルの空元気だと思ったのか、なおも優しいことを言う。アデルも次第に落ち着いてきた。


「ありがとうございます。それにしても、ベルトラン家の遠出用の馬車は立派ですね。私がユベールの領地に行くときに使っていた馬車とは大違いです」


「侯爵家の家紋を入れている以上、それなりの見映えは必要だからね」


「外見だけではありません。内装も立派ですし、どうしてこんなに揺れが少ないんでしょう。実家の馬車なんて、思い出しただけで酔いそうです」


「サスペンションの工夫で、昔よりずいぶんマシになったからね。とはいえ、ここから先は石畳もないから、車輪が轍にはまったり、石ころを踏んだりして大きく揺れることもあるよ。気をつけてね。

 それにつけても、ここも早く鉄道がほしいよね」


「予定はあるのですか」


「国を挙げての事業だからね、うちの一存では決められないな。いつになることやら」


「完成したら、すぐに乗りましょう」


「そうだね。領地まで一日で行けるようになるかな」


 そんな話をしているうちに、アデルはいつの間にか普段の調子を取り戻していた。





 天気も良く、旅は順調に進んだ。


 初日は、侯爵の知人の屋敷に宿泊させてもらうことになっている。


 アデルはこれまで領地と王都を行き来する途中で、他の貴族の屋敷に泊まった経験がなかった。それで事前に義母である侯爵夫人から、訪問した際の挨拶についてや、滞在している間の振る舞い等々、気をつけるべきことを教わってきた。



 教えを乞うた時、侯爵夫人はクスクスと笑って、


「素直でよろしいわ。知ったかぶりをして陰で笑われるよりずっといいと思うの。だけど、もっと自然体でも良いのよ。相手への敬意を忘れずに言葉を選んで行動すれば、誠意は伝わるものよ」


と、何でもないことのように言った。


「でもそれには、相手の善意を期待しないといけないと思うのです。それに加えて私の場合、事前の評判が芳しくないので、マイナスからのスタートになります。そこを何とかしてプラス寄りに持っていくのが、私の目標です」


「まあ、アデルさんたら、どうしてそんなに悲観的なのかしら。侯爵家の親戚や親しくお付き合いしている家の方には、王宮の夜会で挨拶を済ませているでしょう? 悪い感触はなかったと思うのだけど」


 侯爵夫人は小首を傾げて優雅に微笑み、先を促した。


「夜会では侯爵夫妻が前にいらっしゃいましたから、私への評価もだいぶ底上げされていたのではないかと思うのです。貴族夫人の本心は、笑顔の下に隠されていると聞きました。真意を見分ける術があれば、教えていただけないでしょうか」


『知らないことはとにかく聞け』という父ユベール子爵の教えが、いまだにアデルの中に生きていた。


 夫人は小さく吹き出して、アデルの後ろに控える侍女のエリザを見た。


「ねえ、エリザ。あなたの目から見たアデルさんはどう? ひいき目なしで教えて」


「はい。マナーについては不足はないと存じます。外見につきましても、私たち侍女の全身全霊をもちまして完璧に整えておりますので、心配はご無用にございます」


「そう、それは心強いわね」


「ただ、最近はいささか物語の読み過ぎで疑心暗鬼になっていらっしゃるようでして、言葉の裏を読むことに熱意を燃やしているように見受けられます。それが自縄自縛となり、自信喪失に繋がっているのかと推測する次第です」


「硬いわ、エリザ。言葉も、表現も、硬すぎる。エリザまで染まっているのではなくて?

 アデルさんは、他の貴族との付き合いに気を張り過ぎだと思うの。先様だって高位の者にあまり慇懃な態度を取られたら、その上をいく丁寧さで応えないといけなくなるでしょう。ほどほどで良いのよ」


「でも、失敗したらと思うと・・・」


「困ったらサイラスに丸投げしなさい。社交はあの子の得意分野なんだから。夫を立てる振りで後ろに隠れてしまうのも処世術の一つだわ。ねえ、アデルさん、もっとサイラスを信用して、頼ってあげて。そうしたら張り切って実力を発揮すると思うのよ。おだてに弱い子だから」


 そう言いながらも侯爵夫人は、アデルの要望通り、女性の表情や仕草で見極めるポイントと、立ち寄る貴族家の情報、こんな場面ではこんな話題を、ということまで詳しく教えてくれたのだった。



 そんな風に準備万端整えていたこともあり、翌朝アデルとサイラスが屋敷を辞する時には、


「サイラス君も、似合いの素晴らしい奥方を迎えたね。君の代の侯爵家も安泰だろう。期待しているよ」


と、お褒めの言葉をいただいた。そしてアデルは義母の教えの通り、これを素直に受け止めることにした。過度な謙遜は禁止、と自分に言い聞かせて。




 サイラスとアデルは上機嫌な主人夫妻に礼を述べ、再び馬車に乗り込んだ。


 旅の二日目だ。


 馬たちが緩やかに歩き始めた。


 アデルはようやく緊張を解いて、背もたれにもたれかかった。そしてサイラスに問いかけた。


「サイラス様、私、どうでしたか。慎ましく貞淑な若妻のイメージで臨んだのですが、上手くできていたでしょうか」


「そういうテーマの演技だったの?」


「はい。サイラス様の横に並ぶに相応しい姿が、素の私と違うような気がいたしましたので、役者のつもりで振る舞いました」


「そうか、昨日はずいぶん控えめで淑やかだと思ったら、そういうことなんだ」


「ええ。繰り返すうちにこなれてくると思いますので、しばらく猶予をください」


「いやいやいや、それではアデルが疲れるだろう? いいよ、いつも通り興味のあることは話に入ってきてよ。聞いてみたくてウズウズしている時もあっただろう?」


「あら、気付かれていましたのね。面目次第もございません」


「俺はいつものよく喋るアデルの方がいいな。領地でも猫を被る必要はないから、今から普通にしていてよ」


「そうですか。上達してゆく過程もそれはそれで楽しめそうに思ったのですが、分かりました、見当違いの努力は止めておきます」


「向上心があって結構だけど、それはまた別の方向でお願いするよ」



 それからしばらく二人は車窓から、なだらかな牧草の丘陵地や、南向きの斜面に広がる葡萄畑などを見るともなしに見ながら、黙って馬車に揺られていた。



 点在する羊も、農民も、皆美しい風景画の一部に見え、アデルはこの牧歌的な世界に、サイラスとただ二人で存在しているような錯覚を覚えた。



「そう言えば、イブリンさんには、今回の領地行きのことを話してありますか」


 窓の外を見たままアデルが聞いた。不意に頭に浮かんだ問いだった。今頃彼女は何をしているだろうか。


「ああ、しばらく会えなくなるからね」


 サイラスの答えはそれだけだった。いつ、どれだけの時間、イブリンと過ごしたのだろう。アデルは今まで気にならなかったことが急に気になりだした。


 イブリンといる時のサイラス、自分の知らないサイラス、それは今ここにいるサイラスとどう違うのだろう。妻として自分は大事にされていると思う。でもそれは、イブリンのように愛されるのとは違うのだろうか。得体の知れないもやもやとしたものが、心の中にわだかまった。



 一方のサイラスは、急にイブリンの話をされて焦った。焦る必要はないはずなのに、正妻から面と向かって愛人のことを話題にされるとヒヤリとする。だから、聞かれたことだけに最低限の答えを返した。そのことが余計にアデルを不安にさせるとは思ってもいなかった。


 同時にサイラスは、いつかアデルが跡継ぎを産んだ時、イブリンはどう思うだろうと心配になった。最初からイブリンとの間に子は持たないということは確認し、納得してもらっている。だからと言って、悲しんだり悔しく思ったりするなとは言えない。精一杯のフォローはするつもりだが、果たしてお互い今まで通りの気持ちでいられるだろうか。



 サイラスは今、アデルにもイブリンにも負い目を持っている。学生の頃は、これこそが男の理想だと思っていたが、自分にはそれだけの器量がないかもしれない。サイラスは未来に漠然とした不安を覚えた。



 アデルもサイラスも、心の中に相手に言えない思いを抱いて、ベルトラン家の領地に向かう馬車の中で並んで座っていた。




読んでいただき、ありがとうございました。

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