8.11 シンタロウ・J・カワムラ
サクラと最後に話した時、サクラからこのエミュレータの外側の管理者になったことを聞いた。ノースは約束通り、もう俺たちのことに関わるのをやめたのだろう。
シンタロウはネブラスカの高校をやめて、正式にUCLに所属した。そして、今はメサの研究室にいる。アールシュの代わりにシンタロウが作り続けているエミュレータは未だに人類を移住させるレベルに達していなかった。ジャーナル・レコードはあれからデータを読み出すことが出来なくなってしまった。シンタロウはサリリサがノースに『あの日』のコードを外させることを合意させたのだと考えた。おそらく全てのエミュレータにもう『あの日』は訪れないのだろう。
シンタロウは外部との連絡係でもあった。ただし、ノア・バーンズがUCLー1とのインターコネクタを外してしまったので上位や同じ階層のどこのリージョンともつながっていない。だから、連絡係の役割とはサクラからの連絡を待ち続けているだけのことだった。サクラからはンジェアイの一件以来、一度も連絡が来ていない。あれから5年が経過している。コーヒーポーションをセットしながら、シンタロウはデスクの正面の壁を見るとそこには無機質な研究室に似つかわしくない、オリエンタルな作風のヴィシュヌ神のポスターが無造作に貼ってあった。
ヴィシュヌ神のポスターを張ったのはアールシュだ。そのアールシュはUCLを辞めた。データを流失させたことに罪の意識を感じていたようだった。そして、メシミニアの教祖であるハンター・ヒックスに自分がデータを流出させた本人であることを伝えた。
ハンターは自分の知らない上位のティアや『真実の現実』の情報を持つ元UCLの有名人であるアールシュを崇拝するようになった。ハンターの代わりにメシミニアの教祖となったアールシュは、引き続きエミュレータの有用性やその可能性を説き、人々を安心させるために布教活動を行っている。ライアン・ハミルはスカイラーを連れてメシミニアの集会に通っているようだった。その甲斐あってスカイラーは少しずつ精神が安定するようになっているという。
一度、アールシュがメサの研究室を訪ねてきたことがある。シンタロウはアールシュにノースから独立したことを伝えた。そして俺がエミュレータの中の管理者で、サクラは外側の管理者になり、俺たちのリージョンが今、『真実の現実』のハードウェア上で実行されていることを告げるとアールシュは何かを考えるように深くうなずき、神に祈るように手を合わせていた。
そして本当のヴィシュヌは俺とサクラだったのだなと言う。アールシュに言わせれば俺とサクラが、ヴィシュヌが意味する「守護者と維持者」なのだ。結局、君たちがいてこそのエミュレータ『ヴィシュヌ』だったと悟るように言う。アールシュは自分には自分の役目がある、そう自分を納得させるように言葉にすると、満足そうにメシミニアの本拠地であるオレゴンに帰って行った。
ンジェアイの17歳の誕生パーティーに呼ばれ、週末にシンタロウはバージニアにあるソフィアの実家のコールマン家に来ていた。ンジェアイがプールのそばのテラスで踊っている。ソフィアの父と母の両家の親族が集まり、華やかに着飾った群衆の前で、ひときわ美しく着飾ったンジェアイが踊る。ストゥルの成人の儀で踊った踊りを披露しているのだった。女性らしい、しなやかな体の曲線を際立出せる踊り。それはストゥルの言葉で再生を意味する踊りだった。シヴァは破壊とともに再生の意味を持つという。そしてラースヤは再生を意味する女性の舞踊だとアールシュに聞いたことがある。
振舞われていたシャンパンを飲んでいると、踊り終えたンジェアイがシンタロウを見つけ、拍手の中をかき分けてきた。
「シンタロウ。来てくれてありがとう。」
「誕生日おめでとう、ンジェアイ。ソフィアに頼まれていたコードを用意して来たよ。ヴィノのサクラが使っていたカスタマイズのOSとPA。もうンジェアイなら使いこなせるはずだよ。改良してあるから古さはないはずだし、きっと気に入ると思う。誕生日プレゼント何がいいかソフィアに相談したらコードだって言うから驚いたけどね。17歳の女の子だろ? ほんとにそんなので良かったの?」
「ありがとう、シンタロウ。最近ヴィノOSとPAのチューニングするところがもうなくなってつまらなかったんだ。で、ソフィアに話したら、昔、シンタロウがすごいOS持ってるの見たって言うから私も見てみたかったの。」
ンジェアイはそれとは別にシンタロウに話しておかないといけないことがあった。
「それでね。私、シンタロウのことで思い出したことがあるの。昔、アールシュを介してシンタロウとサクラが寝ていたところをみたの。シンタロウとサクラは『真実の現実』に行ったんでしょ?」
「そうだよ。確かに5年前に行ったよ。」
「その時に少しだけ2人の蓄積データをみせてもらったの。2人とも同じものを持っていたのよ?」
「それって、どういうこと?」
「私もまだ子供だったから、その時はよく分からなかったの。でもストゥルの私にとってはすごく珍しかったし、とても温かくて心地がよかったから大切に持っていたの。シンタロウとサクラの気持ちよ。シンタロウはもう持っていないみたいね。『真実の現実』でお互いの気持ちを伝え合うはずだったんでしょ? 結局どうなったの? まさか忘れてないでしょ? いいわ。私、今でも持っているのよ? 見せてあげるね。ねぇ見て、シンタロウ。」




