19 自分の心は近くて見えにくい
私たちは、遠くの景色や他人の欠点には敏感に気づくことができます。
しかし、いざ「自分の心」のこととなると、霧の中に迷い込んだかのように何も見えなくなってしまうことがあります。
それは、心が自分自身にとってあまりに近く、密着しすぎているからです。
例えば、手に持った本を顔にぴったりとくっつけてみてください。
文字はぼやけ、ただの黒い斑点にしか見えません。
内容を理解するためには、腕を伸ばし、適切な「距離」を取る必要があります。
心もこれと同じです。不安や焦燥感に飲み込まれている時、私たちは心という対象に顔を押し付けすぎているのです。
「どうして自分はダメなのだろう」と苦しむのは、自分の心と一体化しすぎている証拠でもあります。
人生の気づきは、常に一歩引いた視点から生まれます。
自分の感情を「私のすべて」ではなく、「今、目の前を通り過ぎている景色」として眺めてみてください。
「今、私は悲しみという本を顔に近づけすぎているな」と気づくだけで、心にはわずかなゆとりが生まれます。
そこにこそ、自分を癒やすための呼吸が流れ込みます。
自分を客観視することは、自分を突き放すことではありません。
自分を正しく愛するために、あえて適切な距離を保つという知恵なのです。
見えないのは、暗闇にいるからではなく、あまりに眩しい自分自身の中心に近すぎるからです。
少しだけ深呼吸をして、心から一歩下がってみましょう。
そこには、これまで見落としていた穏やかな光が必ず映し出されているはずです。
〈ユーモアまとめ〉
自分の心が見えないのは、性格が変だからではありません。
「近眼」ならぬ「心眼」が近すぎるだけです。
例えるなら、携帯を顔面に密着させて「画面が見えん!」と騒いでいる状態です。
少し腕を伸ばせば、そこには絶景が広がっています(たぶん)。
たまには自分から一歩引いて、心の「ピント合わせ」をしてみませんか?




