10. 救出
椅子に縛り付けられたままナイフを片手に目の前に立つ彼に震えが止まらない。
切っ先を頬に当てられると溢れ出る赤を見て楽しげに笑っている。
誰か助けて
一瞬そう思ってしまったが、私を助けたいなんて思う人がいるはずもないじゃないか。
この状況を受け入れ、訪れる死を待つしか無い。
せめてナディア様を裏切らないよう、何をされても口を噤み続けよう。
そう誓って彼を見据えると笑みが消えたのがみえる。
「君のその瞳、腹が立つんだよねぇ。ナディア・プレイステッドのことを話すつもりはないって顔に書いてあるんだから。いいよ、それなら話したくなるほど痛めつけるだけだし。」
手のひらにざくりと刺されたナイフに声をあげるが、口に当てられていた布によって吸収されたようだ。
「痛そうだねぇ。でも、これはまだ序の口だよ。次は何処が良いかな。」
「次なんてないけど。」
いきなり聞こえてきた声に驚いたライアンが視線を彷徨わせると誰も居なかったはずの窓枠に腰掛ける男の姿。
黒髪に真紅の瞳。
彼が只者じゃないと本能が警鐘を鳴らしている。
「お前は誰だ!」
「人間如きに教える名はないよ。それより、ハンナ。大丈夫?」
ゆったりとした足取りで彼女に近付くと思っていた以上に酷い有り様に彼の纏う雰囲気が変わっていく。
自分の前では気丈に振る舞っていた彼女が痛みで目を閉じたまま肩で呼吸をしているのだ。
口元の布を外すとやっと目を開け、驚いた表情を見せる。
「…ニコライ…どうして…。」
「俺のだって言っただろ。ハンナが何処に逃げても必ず探し出してみせるよ。」
血の溢れる手を取りペロリと舐めると全身を駆け巡る高揚感に笑みを浮かべた。
しかし、これが自分以外によって施されたものだと思うと久々に腹が立つ。
「俺を怒らせるなんて馬鹿な人間。こんな事しなかったら安らかに眠れたのに。」
何もない空間から巨大な斧を出すと彼へと向き直った。
その表情は悪魔そのもので、目の前にいたはずのニコライが一瞬にしてライアンの後ろに現れる。
「まずは左腕から貰うね。」
斧を振り下ろそうとしたニコライに届いた声にその手を止めた。
「止めて…。」
「なんで?こんなゴミ庇う必要ないじゃん。」
「彼は侯爵家の人間。揉め事の元になるし…。」
「侯爵家だろうが、俺には関係ないね。ハンナに手を出したんだからそれなりの報復は受けてもらわないと気が済まない。そうだな。この町の人間、一人残らず両腕切り落とすとかどう?」
「ひぃ!」
「怖がるハンナの手のひら傷付けておいて自分は平気で逃げるとか本当にいらつく。やっぱ殺そう。」
「それなら私を…!」
「ん?何言ってんの?この人間を庇うってどういうこと?」
ゆらりとこちらへ歩いてきたニコライに今だとライアンが持っていた剣を突き刺したが、血が出るどころか何も反応無くその首をありえない方向に向けてニンマリと笑みを浮かべた。
「血を飲んだ状態の俺にそんなの効果ないけど?」
「ば、化け物!!」
「お前の方が余程化け物だろ。人間のくせに人間を襲う。止めなかったらすぐにでも殺すのになぁ。仕方ないしお前にいい夢見せてやるよ。」
瞳孔が細くなると彼に幻惑を見せたようで絶叫しながら走り去ってしまう。
何が起きたのだと目を白黒させるハンナを抱き上げると山奥の廃城へと戻っていった。
ベッドに下ろし手のひらの手当てをしてから怒りをその瞳に宿したまま彼女に向き直る。
「逃げるなって言ったはずだよね。」
「了承した覚えは…ないし。」
「あの時、俺が来なかったらどうなってたと思う?」
「…それは…来てくれて…嬉しかった…。」
小さく溢したその言葉に大きなため息を溢したニコライだったが、満更ではないようで。
頬を赤く染めながら彼女を後ろから抱きしめ首筋に噛みついた。
いつもなら抵抗されるのだが、彼女は微動だにせずただぼーっと扉を眺めている。
「怖かったんだろ。泣いてもいいよ。」
「…っ。」
「我慢する意味有る?ここに居るの俺だけだよ。人間一人が泣いてるの見たところで、自分より弱い存在だから当然だとしか思わない。」
「…それ、でも…やだ。」
「仕方ないなぁ。」
そう言ってぐるりと身体を反転させると自らの胸に彼女の顔を押し付け、これなら見えないでしょとそう溢せば冷たい感触。
弱るハンナを見るのは初めてで優越感に包まれながらヨシヨシと頭を撫でるのだった。




