21
ユグドラシル樹海。
世界樹にほど近い、美しい泉。
鏡のような水面に、裸の少女が赤毛を漂わせながら浮かんでいる。
ときおり吹く風が草葉をかさかさと揺らし、泉を渡って彼女の頬を撫でる。
「はー。いい気持ちー」
ぷかりぷかりと浮きながら、ポポンはため息を漏らした。
思いついたように右手の小指を耳に突っ込み、抜いた小指を眺めて顔をしかめる。
「やだなあ。まだ泥が出てくる」
小指の泥を泉で洗い、青空を見上げる。
「水浴びもいいけど、久しぶりに熱ーいお風呂に入りたいなあ。……ここってお風呂ないのかな?」
ふと、相棒のエルフのことが頭をよぎる。
「……リィンはお風呂どうしてるんだろ」
ポポンは、彼が水浴びに行くところを見たことがなかった。かといって、何週間も風呂に入らないタイプだとも思えない。
「リィンのことだから、自分専用のお風呂とか持ってそう。きっと窓際にあるよね、リィンの家って景色良いから。……ようし、行ってみよっと!」
ポポンは体をひっくり返し、激しい水しぶきを上げながら岸辺へと泳いで行った。
陸に上がると急いで体を拭き、服を着る。
そしてその足で世界樹を上り、リィンの暮らすペントハウスまでやって来た。
バルコニーに人影はなく、小屋の中にもリィンの気配はない。
「リィーン、いるー?リィーン?」
繰り返し声をかけるが、やはり反応はない。
「いない……留守かな?」
背伸びして窓から小屋の中を覗いてみるが、リィンの姿は見えない。
「留守じゃ仕方ない。帰ろ……」
世界樹の幹に巻き付くように設置された螺旋階段へ、ポポンはとぼとぼと歩き出す。
だが階段を下りる一歩手前で、ピタリと足を止めた。
「もしや……これはチャンス?」
ポポンはにんまりと笑うと、勢いよく階段を駆け下りて行った。
◇ ◇ ◇
「よいしょ、よいしょ……ふう、到着!」
再び階段を上って姿を現したポポン。
彼女の肩の上には、彼女自身がすっぽり収まるサイズの大鍋が担がれていた。
そしてそんなポポンの後をえっちらおっちら上ってくるモール族達。
彼らは揃って日光対策のサングラスをかけ、手には普通サイズの鍋が握られている。
鍋の中には泉から汲んできた水が、なみなみと満ちていた。
「お嬢、ほんとにやるんですかい?俺達までリィンの旦那に叱られやしませんかね?」
「バレなきゃ平気だよ。心配性ねー」
ポポンは大鍋をバルコニーの端の、とりわけ見晴らしの良い場所に固定した。
「じゃあ皆の衆、よろしくー!」
「「へーい!」」
モール族達はリィンの小屋へと入り、かまどに火を起こした。そうして一つずつ鍋を火にかけ、沸いた湯をポポンの大鍋へと移す。
モール族達が湯気の立つ鍋をせっせと運ぶうちに、大鍋の半分ほどが熱い湯で満たされた。
「おっけー!残りは水のままで持ってきて!」
ポポンは湯加減を見ながら、モール族の持ってきた水を大鍋に足していく。
「このくらいね……じゃあ皆、回れー右っ!」
モール族が指示通り背中を向けたのを確かめて、ポポンはその場で服を脱ぎ去った。
そして大鍋の縁に手をかけ、湯の中へ飛び込む。
「……ぷはーっ!ふひー、極楽、極楽!」
ポポンは顔を湯で洗い、景色に目をやった。
眼下には樹海の緑がどこまでも続いている。
いつの間にか日は傾き、空はオレンジ色に染まり始めていた。
モール族のリーダー格が言う。
「こいつはいい景色だ。展望風呂ってやつですな」
「最高の気分だよ!私の後で悪いけど、皆も入ってね」
「いや、それは……あっしらは風呂とか入らねえんで」
「そういえば入ってるの見たことないかも」
「モール族ってのはそういうもんでさあ。生まれてこの方、水浴びさえしたことねえ奴もいるくらいで」
「そうなの?……前々から臭うな、とは思ってたのよね。おいで、洗ったげる!」
「ええっ!?遠慮しまさあ!あっしはちょくちょく拭いてやすし!」
「ちょくちょくってどのくらい?」
「あー、えーっと」
「最近拭いたのはいつ?」
「先週、でやしたかねえ……」
「……本当は?」
「……先月。いや、先々月だったかな?」
「やっぱり!ほら、おいで!」
ポポンは立ち上がり、リーダー格のベルトをガシッと掴んだ。
「お嬢、見えてる!胸、見えてやすぜ!」
「もういいよ。あんた達に見られたって減るもんじゃないし」
「減るほどないでやすしね」
「……」
「……」
「言ったなー!おりゃー!」
「うわーっ!すいやせん、口が滑りやしたっ!」
リーダー格の謝罪に聞く耳を持たず、ポポンはリーダー格を大鍋へ引きずり込もうとする。
「ぐうっ、相変わらずなんて馬鹿力……ほら、リィンの旦那が来る前に片づけなきゃなんねえでしょう!?」
「リィンなんて私がガツンと言えばそれまでよ!さあ、さあさあ!」
「あうう、堪忍してくだせえ!」
リーダー格の窮地に、他のモール族達がわらわらとリーダー格の脚ににしがみつく。
それでもポポンの怪力が勝り、リーダー格の体はじりじり大鍋に引き込まれていく。
「くあーーっ!誰か助けてくれーっ!」
「なによ、それじゃ私が悪役みたいじゃない!」
「みたい、じゃなくて悪役そのものですぜ!」
「なにをー!」
「ヘルプ!ヘループ!リィンの旦那ーっ!」
「呼んだか?」
ピシリと固まるポポンとモール族達。
揃ってゆっくり振り返ると、リィンが小屋へ入ろうかというところだった。
「あっ、りっ、リィン!いつの間に帰ってたんですね!?」
「声が裏返ってますぜ、お嬢!」
慌てふためく一同を眺めつつ、リィンはポツリと呟いた。
「見えてるぞ?」
「おっ、お見通しということでございましゅかっ!」
「違う、お嬢!胸、胸のことだ!」
「へっ?……きゃあっ!」
リーダー格のベルトから手を離し、大急ぎで湯船に沈むポポン。
その反動で大鍋がぐらりと傾く。
「あれっ?おっとと……うわ、あっ……きゃあああぁぁぁ!」
大鍋は底の丸みが災いし、ポポンもろともバルコニーから転げ落ちていった。
「あーっ、お嬢ーッ!」
「大変だ、お嬢が落ちたー!」
「ロープ!ロープ!」
「もう遅え!ほら、地面で大の字に!」
「ああっ!死ぬな、お嬢ーッ!」
慌てふためくモール族達を見つめ、リィンは再び呟いた。
「ったく。騒がしい連中だ」
◇ ◇ ◇
その夜。
ポポンは柔らかな草むらに横たわり、星を眺めていた。
満天の星達が語りかけるように瞬いている。
「ここにいたか」
「あっ、リィン。……さっきはごめんね?」
「構わないが。怪我は?」
「ん、ちょこっと擦りむいただけ」
「どれだけ頑丈にできてんだよ、お前の体」
「大怪我するよりいいでしょ?」
「まあ、な」
リィンはポポンの横に腰を下ろした。
「……仕事には慣れたか?」
「ん~、ぼちぼち?でも、ここの暮らしは気に入ったよ!」
「そうか?」
「うん。だって、ほら!星が掴めそう!」
そう言って、ポポンは両腕をいっぱいに空へと伸ばす。
「そうだな」
リィンもごろりと寝転び、ポポンと同じように星空を眺めた。
「明日の仕事は?」
「休みだ。明日は罠に使う道具や材料を仕入れに行く予定で……お前も来るか?」
「うん、行く!」
世にも珍しい、泳げるドワーフ




