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2.ちょっとからかっただけなのになぁ

 翌日は昼過ぎまで爆睡していた。頭が重く、倦怠感がひどい。これが俗にいう二日酔いだろうか。スマホで時間を確認すると十三時を回っていた。もうこんな時間か。歯を磨き、風呂に入って髪を乾かす。食パンを電子レンジのトーストモードで焼きつつ、フライパンに卵を割る。こんがり焼けた食パンに目玉焼きを乗せマヨネーズをかけ、机まで運ぶことなくキッチンでそれを食べた。


 ベッドの上に戻り、もしかしたらと思いラインの通知を確認する。高校の同級生から二件と、なべっち軍団に新しく参入した夏希楓と他の団員とのやり取りが四十通ほど。はるちゃんからの連絡はなかった。


 昨日は確かに来てくれると言ったけれど、果たして本当に来てくれるのだろうか。もう十四時を過ぎているので、そろそろ高校に行く準備をしないといけない。今日は十六時練習開始だ。楓とはるちゃんが来てくれれば六人で新制バスケ部始動。もし来なければ五人で始動となる。どちらにせよ練習メニューは刷新だな。試合の戦術面を突き詰めていく練習もできるようになるわけだ。練習試合だって何とか申し込めるはずである。人数が一人違うだけで一気にいろいろなことが可能になった。部活らしくなってきた。


 これから部活がどんどん面白くなってくることに気がつき、胸が高鳴った。練習メニューを頭の中で考えているうちに、家を出る時間になってしまう。まあ、今日の練習メニューは前のままで大丈夫か。そう開き直って、電車の中ではぐっすりと眠っていた。桜ヶ丘学園の体育館に着くと、既に五人のバスケ部員たちが、コートにモップをかけたり、ボールやタイマーを出したりと練習の準備をしていた。


 やはりというか残念ながらというか、はるちゃんはそこにいなかった。まだ指定した時間の二十分前だから当然か。猶予はある。


「あ、なべっちおはよー」


 気の抜けた声で挨拶をしてきた美玖に他の部員も続く。


 用意されていたパイプ椅子に座って、しばらく彼女たちの様子を眺める。楓もすっかりチームに溶け込んでいた。途中、柚香の姿が見えないなと思って、練習メニューを考えるついでにフロア内を歩きながら探していたら、柚香は体育倉庫の中でタオルとワックスを使って汚れてしまったボールをせっせと磨いていた。マネージャーだった時の癖が、まだ彼女の行動の元になっているのだろう。


 柚香には、はるちゃんのことを知らせておいた方がいいな。


 そう思い、彼女の元に歩み寄って行く。


「ちょっといい?」


「何ですか?」


 柚香は手を止めて、ちょこんと首を傾げる。


「何ていうかその、はるちゃんのこと、なんだけど」


「あ! そういえば!」


 不意に大声を出した柚香は、自分でも自分の声にびっくりしたのかぱっと両手で口を押えた。持っていたボールとタオルが床に落ちる。


「ごめんなさい」


 バウンドしたボールを柚香は慌ててキャッチする。続けざまに体育倉庫の入り口を見やり、誰も来ないことを確認してから、困ったような視線を投げかけてきた。


「どうした?」


「いや、まあその……訊いていいのか悪いのか分からないんですけど」


 柚香は表情を曇らせながら目を閉じる。この何ともいえない沈黙がすごく怖い。口元をほころばせながら目を開けた柚香は、なぜか瞳をキラキラと輝かせていた。


「遥からの告白、オッケーしたんですよね?」


 付加疑問文で、告白が成立していることを前提に尋ねてきた。


「いや、断ったよ」


 努めてそっけなく、告白されたことなど気にしていないかのような態度で、正直にそう告げる。


「え?」


 柚香は口をぽかんと空けたまま固まった。手からボールがまた滑り落ちる。柚香のつま先にあたっボールは、バウンドしながら俺の横を通り過ぎた。扉に当たって止まった。ボールの行方を追って後ろを向いていたので、改めて柚香の方を向き直すと、


「どうしてですか?」


 怪訝そうな顔をしている柚香と目が合った。


「どうして……って」


 そう言われると、返答に困る。というよりどうして当日あの場にいなかった柚香が、告白のことを知っているのだろうか。


「遥のこと好きじゃないんですか?」


「そんなわけないだろ。監督だぞ」


 冷静に否定する。どこで柚香は、俺がはるちゃんのことを好きだと思ったのだろう。


「でも、二人の間に好き同士の空気感流れてましたよ」


 柚香は平然と、それがさも真実であるかのように反論する。ちっとも俺の言ったことを信じていないらしい。その目には疑心が込められている。


「空気感って、いったいいつ?」


「あの朝です。私と遥が練習してたところに監督が来た日。私、あの時の二人のやり取りで確信しました」


 柚香は自信たっぷりに断定した。好き同士の空気感ってなんだよと思う。


「それは違うよ」


「本当ですか?」


 顔をグイとこちらに近づけながら、柚香は濁りのない双眸でまっすぐ見つめてくる。思わず顔を逸らし、頬を掻きながら柚香の質問に答える。


「きっと昔にはるちゃんに告白されて、断って、その後まったく会ってなかったから、その微妙な空気感を勘違いしたんだよ。久しぶりに会って緊張もしてたし」


 口にしてしまった後で、過去の出来事を勝手に言うのはよくなかったかもしれないと自省した。


「うーん、でも……」


 柚香は納得しかねると言った感じで首を傾げながら、


「そうだったんですか」


「ああ。だから柚香の思ってるようなことはないから。だって俺は監督だぞ」


 俺の弁解を聞いた柚香は、疑いの眼を瞼で覆い腕組みをする。


「だとしたら、私はるちゃんに悪いことしたなぁ」


「え? どうして?」


「だって、あの日絶対両思いだからって、告白を急かしたから」


 柚香の中で生まれた罪悪感が、声を段々と小さくさせたのだと思う。しかしなるほど。ようやく合点が行った。知っていたからこそ柚香は気を利かせて公園に来なかったのか。


「じゃあ今日謝ればいいよ。はるちゃん部活に来るから」


 単純に励まそうと思ってその事実を口にした。が、その後すぐにやばいと思った。


 確かに、はるちゃんは昨日来ると自分から言ってくれた。


 けれど、本当に来てくれるかと言われると、未だ確信が持てない。


「え? それ本当?」


 柚香のテンションが急上昇する。破顔した柚香に期待百パーセントの瞳で見つめられてしまう。


「ああ、た、たぶんな」


 最後に来ない可能性を含ませたのだが、もはや意味を成してはいない。柚香の喜びに満ちた笑顔が胸に突き刺さる。頼むはるちゃん。俺を嘘つきにしないでくれ。


「いつ? いつ来るの?」


「えっと……」


 腕時計に目をやる。もう五十五分だった。


「一応、十六時って伝えたから……あと五分くらい」


「じゃあ入り口で待ってようよ」


 にたっと笑って俺の手首をがしと掴む柚香。その手を振り払いたかったが、それを正当化できるほどの理由が思いつかなかった。


「あ、みんなはもうこのこと知ってるの?」


「まだ、だけど。だって、美玖が」


「早く教えないと。来ちゃえばそんなの関係ないって」


 柚香に腕を引っ張られ、体育倉庫からフロアに引きずり出される。自分のことのように喜んでいる柚香を見ていると、俺だってすごく嬉しい。


 だけど、本当に大丈夫なのか。


 練習の準備を終えていた他の四人は、フロア入口の扉の傍でたむろして、バスケットシューズの紐を結びながら楽しそうに談笑していた。


「ねぇ。みんな聞いて」


「どしたのー?」


 柚香の喜び勇んだ声に美玖が一番に反応する。他の三人も俺たちの方にきょとんとした視線を向ける。


「あのね、実はね」


 柚香がいたずらにもったいぶったその時、


「来たけど」


 ぶっきらぼうで抑揚のない声が聞こえてきた。俺もみんなもその声に反応して、入り口に顔を向ける。制服姿で、大きめのリュックを背負った険しい顔つきのはるちゃんが、こちらを気まずそうに見つめていた。多分意図的に俺と目を合わせている。俺としか合わせられない、の方が正しいかもしれない。


「遥!」


 柚香がいても立ってもいられないといった様子で飛び跳ね、難しい顔をしているはるちゃんに抱き着く。


「誰? 柚香の知り合い?」


 睦月が柚香に尋ねる。知佳と楓も同じように疑問の視線を柚香に向けている。そうか。はるちゃんと柚香、はるちゃんと美玖は知り合いでも、睦月や知佳、楓ははるちゃんのことを知らないのだ。同じ高校にいるので見たことはあるのだろうけど、意識していないものを覚えておけという方が無理な話である。逆に美玖が徹底してみんなをはるちゃんに会わせていなかったということでもある。


「ああ、えっとね」


 柚香は一度言葉を止め、美玖に視線を向ける。俺も気になって美玖を一瞥すると、美玖ははるちゃんの方を見向きもせず、左の靴ひもを丁寧に結び直していた。


「彼女は桜庭遥ちゃん」


 ぎこちなく微笑みながら、柚香ははるちゃんの横に立って手を添える。


「あ、思い出した。なぜかうちに進学した竹ノ内第五中のエース」


 睦月が顎に手を当てながらぼそりと呟く。


「え? それ本当……だ」


 睦月に続いて楓も驚嘆の声を上げる。知佳は状況がのみ込めないといった感じで、「確かに、似てる」と呟いて固まっている。どうやら三人とも名前だけは知っているようだ。他校のバスケ部にも名前を轟かせるほど、はるちゃんは中学時代すごかったのか。


「そうだよ。ね? 美玖」


 柚香が美玖に、恐るおそる言葉を投げかける。


 ゆっくりと顔を上げた美玖は、ぶっきらぼうに、


「まあね」


 とだけ言って、また視線を靴紐に戻した。


「あれ? でも怪我してるって、だから誘えないって美玖言ってなかった?」


 睦月が痛いところをついてくる。美玖の靴ひもを結ぶ手がピタと止まった。柚香が慌てた様子で口を挟む。


「もう大丈夫なんだってさ。ね?」


 柚香は、みんなこっちを向いてと言わんばかりに、大袈裟に明るい声を出してから、はるちゃんに笑顔を向ける。


「あ、うん。医者からオッケー出たから」


 はるちゃんは素っ気ない声ではあったものの、美玖の嘘が破綻しないように取り繕ってくれた。


 ただ、これでもう美玖の嘘は通用しなくなった。はるちゃんがバスケをしない理由がなくなってしまった。さらにこうして部活に顔を出しているのだから、みんながはるちゃんがバスケ部に入ってくれるんだと判断しても、それは当然だと言えるだろう。


「すごいな。あの桜庭遥が入ってくれたら、結構私たち戦えそうだな」


 知佳は目を細めながら嬉しそうに立ち上がり、


「まあ何はともあれ、入ってくれて嬉しい。ありがとう。これからよろしく」


 はるちゃんの前に手を差し出す。


「え、あその……あり、がとう」


 戸惑いつつも、はるちゃんは感謝の言葉を述べて手を重ねた。睦月も楓も握手を交わす二人を穏やかな表情で見守っている。美玖以外のバスケ部員から歓迎されていることが分かってほっとしているのだろうか。ほんのわずかだが、はるちゃんの表情が緩んでいた。


「でも、私結構ブランクがあって――」


「怪我、治ってよかったね。私もすごく嬉しい」


 唐突に美玖が言い放った。ゆっくりと立ち上がり、感情の欠片らもこもっていない笑みを浮かべながら、俺の横まで歩いてきて、体をくるっと反転させた。


「ね? なべっちもそう思うでしょ?」


 そして、とろけるような甘い声を出しながら、俺の腕にぎゅっとしがみついてきた。


「なべっちの昔の知り合いなんだよね。遥って」


「ま、まあな」


 ふわりと漂ってくる甘い香りと柔らかな女の子の感触のせいで、頭が真っ白になっていく。美玖は乙女のように目をキラキラとさせ、頬をほんのりと紅潮させている。いきなりどうして。またいつものノリでからかっているだけなのか。


「私知らなかったからさ。二人が知り合いだったなんて」


 とぼけたような声は、けれどどこか尖っているように感じた。ピリピリとした空気が漂い始める。美玖の言葉には悪意が込められている。感覚的にそう思った。他の部員たちも狐につままれたような表情をして固まっている。


「私、やっぱり帰る」


 はるちゃんが顔を歪めながら言葉を吐き捨てた。そのまま俺を物凄い剣幕で睨みつけてくる。


「いや、これは違――」


「そんな腑抜けた顔して、あーあ、やっぱりそうだったんだ」


 はるちゃんは敵対心むき出しの声で言い放ち、引き留めようとした柚香の手を払って、行ってしまう。


 はるちゃんを煽り、帰らせる。


 美玖がいきなり抱き着いてきた理由がようやく分かった。


 とりあえず腕を引っこ抜く。


 美玖が前髪を触れながらそっぽを向いて、勝手に弁明を始める。


「あれ? ちょっとからかっただけなのになぁ」


 美玖ははるちゃんの純粋な気持ちを利用したのだ。それは褒められた行為じゃない。


「ってかそんな鬼みたいな顔しないでよ」


 美玖からそう言われ、はっとする。そんなに怖い顔をしていただろうか。あれ、なぜだろう。美玖に対してすごく怒っている。はるちゃんの真剣な気持ちをないがしろに扱われたからだろうか。


「みんなはアップをしといてくれ」


 簡単な指示だけ出して、はるちゃんを追いかける。美玖を怒るのは後でもいい。今大事なのははるちゃんだ。


「あ、私も行く」


 柚香もはるちゃんのことが心配なのか、俺の後ろをついてきた。おそらく俺はすぐに感情的になってしまいそうだから、柚香にいてもらった方が助かるかもしれない。


 そう思って、柚香と一緒にはるちゃんを追いかけた。

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