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7.一番の才能

「どうして……」


 後ろを振り返った夏希さんは、睦月に向けて手を伸ばした。その手は震えながらゆっくりと体の横に戻っていく。


「睦月が泣くの? 軽蔑しないの?」


「しない。しないしない。私のせいだったから」


 一生懸命に首を振る睦月。きらりと光る涙がぽろぽろと頬を伝い落ちていく。


 睦月が泣いているのを見るのはもちろん初めてだ。


 涙を人前で見せるような子だったんだと、純粋に驚いている。感動している。


「違う! そうじゃない!」


 睦月に対抗するかのように、夏希さんが叫んだ。


「睦月のことを逆恨みして、それで嫌がらせをしたから睦月は」


「ううん。私が弱かっただけ。そんな程度でやめちゃう私が弱かった」


「私の方が弱かったから! 耐えられなかったから! だから!」


 拳を震わせながら叫んだ夏希さんの元に駆け寄っていく睦月。睦月が夏希さんの体に触れるまでの光景が、俺にはスローモーションで見えていた。夏希さんが後ずさりしてしまうくらい勢いよく抱き着いて、夏希さんの耳元に顔を近づけて、幸せそうに微笑む。


 その姿に、その光景に、見惚れないわけがない。絵画にして、いつでも好きな時に眺めていたいと思うほどに、彼女たちは輝いている。


「私は楓と会えてすごく嬉しかった」


 夏希さんの腕は体の横にぶら下がって、痙攣しているかのようにびくびくと前後に動いている。きっとどうしていいか分からないのだ。自分の感情と、睦月の圧倒的な暖かさ。これまで逃げ続けてきたものに対する正しい向き合い方を、やっと彼女は考え始めたのだ。


 それを彼女にさせたのは、きっと俺の言葉じゃない。


 睦月の涙だ。


「楓に中学で会えてなかったら、私はグレてたかもしれない。バスケを嫌いになっていたかもしれない」


「そのバスケを私は、一度あなたから奪った……のに」


「私はいつも妹の付属品だった。愛嬌もバスケのうまさも妹に吸い取られて産まれてきた。だから私たちを見て、みんな妹とばかりと仲良くなる。双子だし、遠くから見たら同じだから、仲良くなるのなんて一人でいいんだ。みんな妹の方ばかり褒めて、私は妹の劣化版だって、そういう声を何度も聞いた」


 言っていて悔しさや悲しさが込み上げたのか、睦月の表情が少しだけ歪む。そのまま膝から崩れ落ちるように地面に座り込んでしまった。


 それを支えるような格好で夏希さんも一緒にしゃがむ。


「ありがとう、楓。今も、あの時も」


「そんなこと。だって私は睦月に何もしてないから」


「ううん。十分してもらった、してもらったよ」


 睦月がより一層強く、夏希さんのことを抱きしめる。


「楓は私と仲良くしてくれた。私に言ってくれた。睦月は冷静にみんなをよく見てる。だからパスがうまいんだね、って言ってくれた。すごく嬉しかった。私を睦月として見てくれた。だから私はきっと、バスケを好きなままでいられた。楓の言葉があったからバスケを今、こうして続けている」


 俺は後ろの駐輪場を気にしていた。


 幸い、誰もいない。


 こういうのって聞かない方がいいのだろう。二人の心の会話なのだから、二人だけのものであるべきだ。本来ならば俺もどこかへ行くのがいいのだけど、見ていたいと思った。明日監督をやめる俺の最後のわがままだからと、勝手に見続けていい理由を作り上げた。


 夏希さんは泣きじゃくる睦月の頭を撫でようとして、また手を元に戻す。


「そんなの、誰でも言えたよ。買いかぶり過ぎだよ」


 夏希さんのちらりと見える横顔が愁いを帯びていく。風で髪の毛が揺れ、その横顔すらも見えなくなってしまう。


「誰でもじゃない。楓だから私は嬉しかったの」


 睦月はぐちゃぐちゃの顔で、けれど最高に晴れやかな笑顔で夏希さんにまっすぐな言葉をぶつけ続ける。


「でも、私は……」


「私がしたいって言ってるんだから、気にしないでよ」


「私はバスケをしちゃいけない」


 夏希さんは俯いてしまう。また孤独になろうとする。


「確かに睦月には勉強の才能があるのかもしれない」


 しかし、いや当然のように、睦月がそれをさせなかった。夏希さんの両肩をがっしりと掴んで、驚いたように顔を上げた夏希さんと目と目を突き合わせる。優しさを湛えた強い瞳で、淀みなく彼女のことを見据える。


「それはバスケの才能よりも大きいのかもしれない。勉強することが正しいのかもしれない。でも!」


 徐々に強くなっていくい言葉に呼応して、瞳にさらに熱い魂が宿っていく。


「でも楓は私の閉じた心を開かせた。私と友達になれるっていうどんな才能よりもすごい才能があるんだから。持ってるんだから私と一緒にいなきゃいけないの。私とバスケをしなきゃいけないの。分かった? 才能は天から与えられた使命なんだから。ちゃんと私と一緒にバスケしてよ」


 睦月は優しく微笑みかける。純粋無垢な子供のように、屈託のない満面の笑みだ。


「ね? 絶対その方が、楽しいから」


 その言葉に夏希さんが何を思ったのか分からない。でも、夏希さんは睦月の胸に顔を埋めて泣きじゃくっている。睦月が夏希さんの頭を撫でている。


 それだけで十分だ。


 もう大丈夫だ。


「ちょっと知佳押さないで……うわぁっ!」


 唐突に駐輪場の壁の陰から美玖が飛び出てきた。声に反応して睦月も夏希さんも顔を上げ、虚空を見つめるように、あたふたしている美玖を傍観している。感動的な雰囲気が一瞬にして台無しになってしまった。おいおい、お前らもついてきてたのかよ。ってか知佳の時もそうだったけど、こいつら人の話盗み聞きするの好きだなぁ。これがうわさ大好き女子高生の情報収集の方法か? そうなのか? だとしたらすごく原始的だぞ。


「違うの睦月。これはね、だって二人が何も言わずに飛び出していったから」


 弁明する美玖の後ろから知佳と柚香も出てくる。


「ごめんなさい。心配だったから、盗み聞きするつもりはなかったんだけど」


 申しわけなさそうに謝る柚香。その横にいた知佳が、口を真一文字に結び、ずかずかと歩を進めて睦月の前に立ちはだかる。大きく息を吸って、堂々と宣言する。


「私たちだって、睦月と友達になれる才能持ってるから!」


 大真面目な顔で何を言うかと思ったら。思わず吹き出しそうになった。知佳はいたって真剣なため、さすがに堪える。


 しかし、女子高生は友達間でも遠慮というものを知らないらしい。美玖が腹を抱えて笑い出し、柚香も遠慮がちに口を手で覆っている。


「知佳……」


 しんみりと呟いた睦月ですらも、


「そんなマジな顔して何言うかと思えば、何それ」


 目尻にたまった涙を拭いながら、笑い始めてしまった。きょとんとしていた夏希さんの表情も次第に和らいでいく。


「何? 私は何もおかしなこと言ってないけど?」


 それでも知佳は堂々と言い切る。キリとした熱いまなざしで、みんなの顔を順番に見やっていく。


 その凛とした姿を見た美玖はさらに爆笑し、


「いや、全然、まったく全然これっぽっちも間違ってないよ」


 と嬉しそうに睦月たちに近づいて行く。体を寄せ合っている二人を包み込むように両手で抱きしめる。


「むしろ賛成。大賛成だよ」


「私も、睦月のこと大好きだから。夏希さんのこともたった今好きになった」


 柚香も柔らかく笑いながら四人の元へ歩み寄る。知佳は呆れたような微笑を零しながら頭をガシガシと掻く。


「分かった分かった。みんな最強だ。だから離れろっ!」


 睦月と頬をくっつけようとする美玖を引き剥がそうとするも、


「やだー。離れないー」


 美玖は駄々をこねる子供のように抵抗し、睦月にくっつき続けている。なんだろう。こういうのを青春っていうのかな。いいな青春。女の子の青春。


「あ、そうだ」


 さっきの睦月の話を聞いていて、言いたいことがあったんだと、ふと思い出す。


「何? なべっち?」


 一番先に反応したのは、やはり美玖だった。


「美玖じゃないって。睦月にだよ」


「え? 私?」


 驚く睦月。美玖はぶすっと頬を膨らませてから、「酷い。私とは遊びだったの?」と涙を拭う真似をする。


「睦月に言っておきたいことがあるんだよ!」


「何? 愛の告白?」


 にやにやと不敵な笑みを浮かべながらからかうように訊いてくる美玖。


「だから違うって。睦月がさっき言ってたことだよ。色んなものを妹に吸い取られて生まれてきたって」


 と言うと、全員の視線が俺に集中した。別にそんなたいそうなことを言うつもりはないんだけどなぁ。ここまで注目を浴びると緊張する。


 でもこれだけは絶対に伝えておきたい。


 咳払いをして喉の調子を整えてから、睦月に視線を向けて、


「俺はこれまでの睦月を見てきて、愛嬌がないなんて思ったことはないぞ。それに周りを見てみろよ。こんなに大切に思ってくれる人がいるんだ。睦月は人に好かれる才能を持ってるんだよ」


 ぽっと睦月の頬が赤く染まる。そこはいつもの軽口で、けだるげに何か言い返してくれよ。逆に恥ずかしいじゃないか。


「……別にそんな」


「あー、なべっち睦月を落とそうとしてる。知佳に続いて二人目だ。超ビッチ。そういう目的で監督になったんじゃないの?」


 睦月の心情を察したのか、ただ単純にいつものようにふるまっただけなのかは分からないが、美玖がにやにやしながらからかってきた。


「違う。ただ純粋に思ったことを言っただけだ」


「睦月のことは私が守るから」


 予想外の人間――夏希楓が言葉を遮ってきたので、思わず怯んでしまった。楓は睦月のことを大事そうに抱きしめて、敵対心を詰め込んだ瞳で睨んでくる。くすりと笑い出す。


「やだー。私の貞操がなべっちに奪われちゃうー。みんな助けてー」


 楓の胸の中にいる睦月が、感情の全くこもっていない言葉で援護射撃をし始める。すさまじい連携だなこりゃ。バスケの試合が楽しみです。彼女たちの笑顔を嬉しく思いながら、俺はそのいじりを甘んじて受け入れてあげることにした。

第3章終了です。

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