5. 記憶と人形。空っぽの中身。
この曲野市も寒さが本格化してきて、いよいよ一年の締めくくりも間近というところ。
「じんぐるべ~る、じんぐるべ~る!」
そんな風にご機嫌に歌いながら、サイはイスに乗って金ぴかのモールを飾り付けている。
「ほらほら、そんなにはしゃぐと危ないぞ……」
「だいじょうぶ、平気よ。ほら、そっちのあれ、取ってちょうだい」
画伯はそんなサイにやきもきしながらも、彼女もまた楽しそうにそれを手伝っていた。
「飾りつけ、だいぶできてきたね」
今日は十二月二十三日。サイが心待ちにしているクリスマスまで、あと二日だ。
「えぇ、とってもきれいだわ、今年は楽しいクリスマスになるわよ、きっと」
ここ一週間ほど、常に上機嫌なサイ。街にはしゃんしゃん、りんりんと煌びやかな飾り付けが増え続け、街がこうまで浮かれているのだから彼女のテンションが上がってしまうのも無理のないことと言えるかもしれない。
「あぁほら、そんなに身を乗り出して……第一、私のほうが背が高いんだ、サイよりも私が……」
「ダメよぅ、わたし自分でやりたいの!」
「いやぁ、今年はにぎやかっすねー」
台所から、料理の仕込みをしていたパシリが出てくる今年は本格的にクリスマス料理に挑戦するらしいパシリはなんと、レシピ本まで買ってきて本番に臨もうとしている。
一昨日あたりから、台所にはコンソメの香ばしい匂いが立ち込めており、空腹時には台所に近寄れないほどだ。
「去年は、どうだったの?」
「えーっと、去年もまぁサイさんは割とテンション高かったんすけど、ギリギリで依頼がきちゃってそれどころじゃなかったんすよ」
エプロンを外し、はははと苦笑するパシリ。
「サイさん荒れちゃって、なんかクリスマスって雰囲気じゃなかったんす。けど今年はセキも増えたし、やっぱりサイさんも楽しいんじゃないっすかね」
「そっか」
彼女の上機嫌の理由にぼくも入っているのだとしたら、それはとても嬉しいことだった。
「セキ、どうかしら。高さ、ちゃんとあってるかしら?」
「え? えーと――うん大丈夫。ちゃんとまっすぐになってるよ」
「そう? 良かった。よし、ここの飾りつけは完了ね。パシリ、料理はどうかしら」
イスから飛び降りようとして画伯に止められ、よいしょと普通に降りてきたサイは頬を上気させて、にこにこと楽しそうだ。
「えぇ、仕込みはだいたい。あとは当日に仕上げればいいっすね」
「そう、期待しているわよ」
ふんふんふ~ん、と鼻歌を歌いながら意味もなく事務所内を歩きまわるサイ。そんな彼女を見ていると、こちらまで楽しくなってくる。
「あぁ、楽しみね。セキ、プレゼント、用意しなくてはダメよ」
「わかってるよ、何度も聞いた」
ナクシ相談事務所のクリスマスパーティには、ちゃんとプレゼント交換もあるらしい。みんな何かしら用意をしているようだったが、ぼくはまだ準備をしていない。今日あたりに、買いに行こうと思っていたのだ。
「サイ、ちょっと出てくるよ。夕飯までには戻るから」
現在、時刻は三時半。日が傾き、もう少しすれば暗くなり始める頃合だ。出かけるなら急がないといけない。
「えぇ、いってらっしゃい。寒いから気をつけてね」
終始上機嫌なサイや、それに呆れながらもそれでも楽しそうな二人に見送られ、ぼくは事務所を出た。
街にはサンタ服やトナカイの格好をした客引きやコンパニオンが溢れていた。道行く人々もどこか浮き足立っている。お祭りの前、まさしくそんな感じだ。
「どういうプレゼントがいいんだろう」
実は、ぼくはあまりこういった催しには縁がなかった。誘われることは何度かあったのだが、その度に都合が悪く断らざるを得なかったのだ。
「とりあえず、色々店に入ってみないと……」
財布には、ここ二ヶ月事務所で働いてもらったお給料が入っている。週四程度のアルバイトとそう変わらない支給額であるが、そもそもお金を使う用事が皆無なのでべつだん困ったりはしていない。
しかし、色々店に入る、と決めたはいいものの。そもそもどういう品が喜ばれるのかもわからないし、そういうプレゼントはどのぐらいが相場なのかもわからない。
「せめてパシリについてきてもらうべきだったかな」
彼はあぁ見えて、こういうイベントごとには割と強いようである。そういう見極めの技能が欲しいな、とは思いつつもぼくに備わったのは、
「――ナクシ」
ぼくに備わった能力。それは、ナクシやウセモノ。喪失を経験したものを引き寄せる能力だった。しかしその能力も、生活に支障をきたすほどのレベルではなくなってきていた。
「サイの、みんなのおかげ、なんだよな」
今のぼくには、帰る場所がある。一人寂しく、場末のボロアパートに帰って眠れぬ夜を過ごす、なんていうこともない。おかえり、と誰かが迎えてくれるのがどんなに幸せか、この二年間の生活で思い知った。
そう、ぼくはそんな場所を与えてくれたサイたちに感謝している。その感謝をかたちとして表すことが出来るのが、今回のクリスマスパーティだと思っていた。
「気合入れすぎも、良くないのかな……」
ふと通りかかった宝石店、その店先を眺める。ショーウィンドウには、通りに掲げられたネオンの光に負けないくらい眩しく輝く宝石や貴金属が並んでいた。そのお値段を見て、頭を振る。
「いやいや――これ、パシリに渡ったら」
プレゼント交換は誰のプレゼントが誰に渡るのかわからないから面白い、とサイが言った。サイや画伯ならともかく、男同士でこういったもののやり取りをするのいうのは、少々薄ら寒かった。
「…………」
ふと顔を上げる。すぐ横を、学生のカップルが通り過ぎていった。冷たい風が吹きすさぶなか、肩を寄せ合い、手を繋ぎ、にこにこと笑いあいながら歩いていた。
そんな光景を、ぼくはいつか夢見た。それは結局叶わなかった。ぼくにとって、それはもう過ぎた幸せなんだ、と思う。
「……寒」
びゅう、と強い風が吹く。羽織ったジャンバーは両腕を通すことができず、着こんでもどうしても隙間ができてしまう。風が心の隙間に吹き込むような感覚。
そんな感覚がどこか不快で、ぼくは手近な雑貨屋に入った。
がらんがらん、とドアに付いたベルが鳴る。店内はオレンジ色の弱い照明で、端のほうは薄暗い。木製の床を踏むとぎし、と鳴った。
「こういう場所のが、いいものありそうだ」
棚には雑然と、色々な雑貨が並べられている。
よくわからない置物や美しい意匠の小物入れ、妙な形をしたテーブルサイズのつぼや、小さい観葉植物など。そういったこまごまとした雑貨がメインのようだった。
「いらっしゃい、お寒かろう、ゆっくり見ていらっしゃい」
ぼくの姿を認めた店主と思しき人物が、奥のカウンターから声をかけてくる。銀縁のメガネをかけた、温厚そうな白髪の老人だった。
「あ、の。おじゃまします」
なんとなく黙っているのが気が引けて、ぺこりとその老人に頭を下げる。そんなぼくを見て老人は、
「礼儀のいいぼっちゃんだね」
と笑った。なんだか照れ臭くて、ぼくは棚を見て回るふりをして老人と少し距離を取った。
列が変わると、陳列物も変わる。先ほどは小物が主体だったが、今は比較的大きいものが置かれている棚だった。
床に置かれたタルに刺さった、長柄の何か。どうやら傘らしいそれは、一見すると長剣のようなデザインだ。思わず振り回したくなる。他にも、ブリキで出来たミニカーやロボットなど、異様にレトロなおもちゃが棚には並んでいた。
「古そうなもの、いっぱいあるなぁ」
天井までハメ殺された棚には、ぎっしりと本が詰まっている。青い背表紙の本は、どうやら不思議の国のアリスの原書らしい。こういったものを喜びそうなのは画伯だ。
「……そうだ」
何も、プレゼント交換のためのプレゼントだけである必要はない。せっかくなのだから、全員にひとつずつ、何かプレゼントを用意するのはどうだろうか。
「そうしよう」
幸い懐は暖かい。そこまで高価なものでなければ十分足りるだろう。
「あの、もうしばらく見ていてもいいですか?」
棚から顔を出し、奥に声をかける。老人はにこにこと笑って、
「ええよ、ええよ。ゆっくり見てきなさい。ものが決まったら声をかけておくれ」
と、店の奥に引っ込んでいってしまった。なんとも無用心な。だが、邪な気持ちなんて抱かせない何かが老人にはあるような気がした。
「よし、そうと決まれば」
持っていた本を元あった場所に戻し、一度店の入り口に戻る。ぎしぎしと鳴る床を踏みしめ、ぼくはもう一度、ゆっくりと棚を見て回った。
三十分ほどが経過して。パシリにはブリキの、青くてぴかぴかのいかにもロボットらしいロボット。画伯には、モノクロの写真が使われた絵本をそれぞれ選んだ。
残りはサイのものだけなのだが……さて。
「どうしよう」
店内を回ること二周。何を渡せばサイが喜んでくれるのか、想像してみる。
「なんでも、喜びそう、だけど」
ぼくが渡せば、サイはどんなものでも喜びそうな気がする。しかし、だからといってそれに甘えてはダメなのだ。何か、本当にサイが心から喜べるものを。
「ぼっちゃん、一生懸命選んどるな」
と、後ろから声。老人が立っていた。銀縁のメガネをかけた、背の低い老人だった。
「あ、すみません長々と――なかなか、決まらなくって」
「誰かさんへの贈り物かね」
おっとりとした、優しい声。本人の優しさがにじみ出るような声だ。
「えぇ、お世話になったひとにお礼をしたくって。三人いるんですけど――うち一人のぶんが、なかなか」
「そうかい」
ぼくが手に持った二つを見て、老人はほうほうと一人ごちる。店内を見回して、
「ちょっと待っていなさい」
そう言い残して、店の奥へ消えた。しばらくして戻ってくる。その手には、長方形の木箱を持っている。
「これなんかどうかね」
老人がふたを開けたそれを覗き込む。
「……わぁ」
それは、とても精緻な人形だった。真っ白な肌に、見ていると吸い込まれそうな青いガラス玉の瞳。金髪はさらさらと美しく、ひらひらと装飾華美な服はしかしよく似合っていた。
「長いこと貰い手がいなくてな、この子もホコリかぶってちゃかわいそうだ。安くしておくから、もらってやってくれんか」
「でも……」
見たところ、数千円で済むような代物ではない。万、下手すれば十の単位に昇るものではないのか。
「いやいや、そんなにせん、せん。ぼったくるつもりもない。元々追い先短い年寄りが趣味でやっとるもんだし」
ふぅむ、と老人は考え込む。そしてちょいちょいとぼくを手招きしてカウンターまで呼ぶ。さらさらと紙に書いているのはこれらの品代だろう、いったいいくらになるのかと少々不安がったが、
「これで、どうだろう」
提示されたのは、予想よりも遥かに安い金額だった。
「……ほんとに、いいんですか?」
「えぇよ、えぇ。ぼっちゃんみたいな人間が恩返ししたいと思う相手じゃ、よっぽど素晴らしい相手なんだろう。
そんな相手にもらわれるこいつらは幸せだから。この値段でえぇよ」
そこまで言われてしまっては、渋っているのも失礼な気がした。ぼくは財布から提示された額をぴったり出して老人に渡す。受け取った老人は満足そうな顔で、
「メリークリスマス」
と、ぼくを送り出したのだった。
いつのまにそんなに時間が経っていたのか、外はもう真っ暗だった。購入したものを全部紙袋に入れてもらって、ぼくは事務所まで早足で歩いていた。
「……いいひと、だったな」
優しそうな笑顔でぼくに接してくれた老人。中でも、この人形はとても素晴らしいものだと思う。
「あれ」
それに気が付いて、足を止める。
老人が見せてくれたこの人形は、サイへのプレゼントだ。それは間違いない、かわいいものが好きな彼女なら、きっと気に入ってくれるだろう。しかし。
「ぼく、プレゼントの相手が女だって、言ったっけ」
自分の言動を思い返すが、記憶にない。もしかしたら何気ない会話の中で言ったのを自分で忘れているだけかもしれない。
きっとそうだ、と微妙な違和感をそうして押しやる。通りを駆け抜ける風はより一層冷たくなっている。早く事務所に戻るとしよう。
事務所に戻り、四人で夕食を食べる。そのあとはサイの飾り付けを手伝って、部屋に戻ったのはもう日付が変わろうかというころだった。
「ツリーの飾りつけって、けっこう大変だ……」
どこから持ってきたのさ、と聞きたくなるくらい立派なツリーで、その高さはぼくの身長よりも高い。雪に見立てた綿をかぶせ、金ぴかや銀ぴかの鈴をいくつも取り付けて。それはもう立派なツリーに仕上がった。
「あさって、か」
クリスマスパーティは十二月二十五日、クリスマス当日に行うことになっている。明日がわくわくの最高潮だと思う、きっとサイのテンションも上がりっぱなしなんだろう。
部屋の隅に目をやる。白い大きな紙袋には、みんなに渡す予定のクリスマスプレゼントが入っている。みんな喜んでくれるだろうか。そういえば、包装とかしていないな、なんて思いながら。
「おや」
袋が少し出っ張っていることに気付く。覗いてみると、木箱の蓋があいて人形が飛び出てしまっていた。
「おっと、いけない、いけない」
壊してしまっては店の老人にも、サイにも申し訳が立たない。机の上に出して、しっかりと仕舞う。倒れて壊したら大変だし、このまま机の上に置いておこう。
「さて、今日はもう寝ておかないと」
明日も特に依頼が入っているわけではないけれど、サイの手伝いやら年末年始の買出しやら、やるべきことはいくつもある。そのためにも、しっかり体を休めておかないと。
部屋の電気を消して、ベッドに寝転がる。ぎし、と軋んだベッド。カーテンの隙間からわずかに差し込む光を見つけていると、次第にまぶたが重たくなってくる。
(…………)
遠くなっていく意識の端で、何かが動くような気配を感じる。光がわずかに翳って、通りの明かりなのだから車の通行などによる明滅はあって当然だ、とそれを正当化する。
目を閉じて、世界が暗闇に包まれる。ぐにゃりと全身がとろけていくような感覚。あと三秒。それだけ数えれば眠れるだろうか。
いち。
――ぎしぎし
に。
何かが軋むような音。風で窓枠が軋んだのだろうか。
――きゃっきゃっ
さん。
最後に聞こえたのは、甲高い子供の笑い声のような音。そうしてぼくは眠りについた。
翌日、その寒さに目を覚ました。
「……寒い……あれ」
ゆらゆらと、視界の端に動くものがある。まだ眠たい目をどうにか開けて顔をもたげると、
「窓、開いてる?」
窓が全開に開け放たれていた。風がびゅうびゅうと入り込んでカーテンを揺らしている。風が強かったのか、カーテンが少しレールから外れてだらんと垂れている。
「どうりで寒いわけだ」
起き上がり、窓を閉める。カーテンを元に戻して、布団に再度潜り込んで丸くなって、
「いや、そうじゃない。窓閉めて寝たじゃないかぼく」
そもそも、こんな時期に窓を開けて寝るはずがない。だとしたら、誰かが開けたということになる。
とはいえ、誰がそんなことをするだろうか。もしかして泥棒でも入ったのかと思ったが、室内に荒らされた様子はない。そもそも、誰かが室内を物色していたら、いくら寝ていたって目を覚ますだろう。
「……あ!」
再度室内を見回して、昨晩と違う箇所を見つける。机の上、置いてあった木箱が開いている。中身の人形がなくなっていた。
「やっぱり、泥棒!?」
それで完璧に目が覚めた。大変だ、みんなに知らせないと、それから警察。
「パシリ、パシリ起きて!」
どんどん、とパシリの部屋を叩く。しばらくして、まだ寝ぼけまなこのパシリがむにゃむにゃと顔を覗かせた。
「なんすかセキさん、まだ寝ててもいい時間っすよ……」
「そうじゃないんだ、ぼくの部屋に泥棒が入って――そっちは平気!?」
「え、泥棒!?」
それでパシリも目を覚ましたようだ。イスに引っ掛けてあった上着を羽織り、ぼくの部屋に二人で戻る。
「何を取られたんすか?」
「あ、えっと」
そうだった、なくなった人形について、どう説明すればいいのか。
「その、人形、なんだけど」
「人形?」
「あー、うー……」
こうなったらもう白状するしかないだろう。本当は渡すぎりぎりまで秘密にしておきたかったのだが。
「その、実はね……」
「二人とも、起きていたか!」
ぼくがもごもごと言いよどんでいると、ばたばたと画伯が部屋に入ってきた。白衣の下はまだ寝巻きで、とりあえず羽織ってきた、という感じなのだろう。
「どうしたっすか、画伯。そんなに慌てて」
「うむ、サイが失踪した」
「「はい!?」」
ぼくとパシリの声が揃う。とにかく来てくれ、という画伯についてぼくら三人は女子部屋に向かった。
サイの部屋に入る。窓が開け放たれて、カーテンが風にあおられて揺れていた。
「何かすーすーと寒かったんで目を覚ましたんだ。そうしたら、サイの部屋の戸ががたごと言っていたので中に入った。そうしたら、この通り」
はぁ、と息を吐く画伯。しかし、失踪したと言っても窓から出るだろうか。
「屋上にいるってことは?」
「もちろん確認したさ。だがいなかった。それに、靴もないのだ」
状況としては、サイは誘拐されたのか、自分から出て行ったのかはわからない。
が、どちらかといえば後者だろう。誘拐されたのであれば靴がなくなっているというのはおかしい。だが、それでは窓が開いている説明ができない。
「どこか……コンビニに行ってるとかそういうことはないっすかね? 窓は空気の入れ換えで開けてあるとか」
「サイが起こされずに自分から起きて買い物に行く、というのは考えづらい。それに、あの寒がりのサイが窓を開けっ放しにして出て行くとも思えない」
「あぁ、確かにそうっすね」
パシリの言ったことが真実なら、あとで笑い話にでもなるのだろうが、どうやら事態はそれほど簡単ではないらしい。
「そういえば、セキも泥棒が入ったって言ってたっすよね? 人形がなくなった、とか」
「なに?」
パシリがそれを思い出して、画伯がぼくの方を向く。
「それは本当なのか、セキ」
「う、うん……けど、それとサイが関係があるとは限らないじゃない」
自分でそう言っては見たが、果たして本当にそうだろうか。
人形がなくなったのも昨晩、サイがいなくなったのも昨晩。各部屋の共通項として、窓が開けっ放しになっているということが挙げられる。
「偶然の一致としては、少々出来すぎのような気がするな」
三人、腕を組んで考え込む。こちこちと部屋の時計だけが音を発していた。
「とりあえず、各自しっかり身支度をしようか。サイを探すにもその人形を探すにも、こんな格好じゃどうしようもない。
一度部屋に戻って、事務所に集まろう」
「そうっすね」
「うん、それじゃあとで」
確かに寝巻きのままじゃ表に行くのもままならない。ぼくとパシリは男子部屋に戻り、それぞれの部屋で身支度を整える。
十二月二十四日。ぼくらの長い一日が始まった。
どうして、今日に限ってこんなに寒いのか。びゅうびゅうと吹き付ける風はとても冷たく、この冬一番の冷え込みらしい。
「画伯、見つかりそう……?」
「――――」
探すと言っても、どこに行ったのか皆目見当がつかない。頼りになるのは、画伯の能力だけだった。しかし画伯は首を振り、
「いや。私の能力で捜索できる範囲は、せいぜい半径五十メートル程度だ。それに、どこか建物の中にいるとしたら、もっと近くまで行かなければわからないからな」
「画伯でもだめなんて……もー、どこ行ったんすか、サイさん!」
パシリが空に向かって叫ぶ。道行く何人かはそれに視線を向けたが、すぐに興味を失った。
街という集合体において、個人の関係性というのはゼロに等しい。ひとは基本的に他人には興味を持たないのだ。そんな中で聞き込みを行ったとしても、有力な情報が出てくる可能性は低い。しかし、それでも。
「すみません、こんな女性を見ませんでしたか?」
わずかな可能性にでも、すがるしかないのだ。事務所にあったサイの写真を持ち出し、通行人に見せて回る。案の定情報は得られず、足を止めてくれればいいほう。無視されることだってよくある話だ。
「私は少し歩き回ってみるよ。もし何か手がかりを見つけたら連絡を入れてくれ。こちらも何かあれば連絡する」
「わかりました。じゃあ、お昼に一度落ち合いましょう」
「オレはセキと一緒に聞き込み、続けるっす」
「あぁ、そうしてくれ。では、あとで」
大きな通りの横断歩道で、画伯と別れる。残った男二人、できることといったら本当に少ない。
「すみませんっす、この女の子なんですけど……」
「あの、すみません。ちょっとお伺いしたいんですが……」
二人で道行くひとに声をかけている光景は、端から見ればナンパに見えなくもない。クリスマスイヴの日にナンパをしている男二人。とても、痛い。
「――そうだ」
ふと、思いつく。昨日人形を譲ってもらったあの雑貨屋。もしかしたら、サイの情報は得られなくても人形の情報は得られるかもしれない。
それが直接サイの情報に繋がるわけではないが、その二つの失踪に関連性があるかもしれないのだから、もしかしたらということも有り得る。
「パシリ、聞き込みお願いしていい?」
「え? セキはどうするんすか?」
「ぼくはちょっと他を当たってみようと思う。なにかあったら――そうだ、公衆電話。ぼくの番号、確かメモしてたよね」
「えぇ、アドレス帳に書いてあるっす」
「じゃあ、何かあったら連絡して。少ししたら戻るから」
「うっす、了解っす」
そうして、パシリとも別れた。確か、あの雑貨屋はもう一本向こうの通りだったはずだ。少しでも早く向かおうとぼくは小走りで移動を始めた。
「ごめんください!」
がらんがらん、と慌しく雑貨屋のドアを開ける。店内に他に客はなく、カウンターには昨日の老人が一人座っていた。
「おや、ぼっちゃんは昨日の――どうしたね」
ぼくの顔を見て、まるで懐かしい友人が来たかのような顔をする老人。カウンターまで早足で歩き、
「あの、昨日の人形。その――なにか、おかしなことってないですか?」
聞き方に困って、そう聞いた。
「おかしなこと、とな」
ふむ、と老人は顎に手を当てる。銀縁のメガネが光を反射してちらりと光った。
「人形が、なくなってしまって。それをあげようとした女の子もいなくなってしまったんです。
夜中のうちに、二人とも――からかってるわけじゃないんです、本当に」
「ふむ……ぼっちゃんの様子からして、ウソを言っているとも思えない」
ゆっくりと、しかししっかりと老人は言った。メガネの奥の瞳は、真っ直ぐにぼくを見据えていた。
「人形がなくなった、とな。ひとりでにいなくなったんじゃな」
「あ、いえ。泥棒に入られた、って可能性もあるんですけど」
「いいや、人形はな、自分の意思で出て行ったんじゃ。しかしあの空っぽがまた動き出すとは……これは、このじじいが面倒を起こしてしまったか」
「……?」
老人はよくわからないことを言っている。ふむ、と顎に手を当てて一人ごちる老人。なぜか声をかけてはいけないような気がして、老人の思案が終わるのを待った。
「その、いなくなった女の子とやらのことを教えてくれんか」
「え?」
「その女の子じゃ。なるべく詳しく……もしかして、その子は自分の記憶や思い出について、執着があるのではないか?」
「……!」
老人の言葉に、身構えてしまう。そう、まさしくサイは自身の記憶に強い執着を持っている。
「どうして、そんなことがわかるんですか」
「実はな、あの人形は中身が空っぽなんじゃ」
「……はい?」
裏返った声で聞き返す。思わず首を傾げてしまうような問答。
「それは……中身ががらんどうということですか?」
「いいや、中身がないのだ。己を構成する要素、ぼっちゃんが他人に対して優しい心を持つように、ものには全て、それを構成する何かが存在しているはずなのだが。
あの人形にはそれがない。わかりやすく言い換えれば――ふむ、存在意義がない、と言い換えられるか。あの人形は、自分の存在意義を探しておるのじゃ」
「そんな、」
馬鹿な。そう言いかけて、それがあり得ないことではないと気付く。だってぼくはこの二年間で、そういったものにいくつも出会ってきたじゃないか。
「ナクシ――いや、世界に悪影響を及ぼすもの、ウセモノ」
「どうやらぼっちゃんも、何か心当たりがあるようだ」
老人はぼくの反応を見て、実に興味深いと息を吐いた。ポケットからハンカチを取り出してメガネを外し、レンズを拭いて再びそれをかける。
「そのいなくなった女の子、名前はなんと?」
「サイ、です」
「そうか。では、そのサイくんは、きっとその人形と惹き合ったのだろう」
惹き合った? それはつまり共感を抱いたということか。
「――サイは、記憶を喪っているんです。つまり、彼女も中身が空っぽの状態なんです。だから、もしかしたら中身がないもの同士、喪失共感で惹き合っているのかもしれない」
「……? いま、なんとおっしゃったかな、ぼっちゃん」
老人が目を見開く。
「サイは、記憶を喪って……」
「それは、有り得んはずだ」
老人は、言い切った。
「有り得ないって……だって、現にこうしてその二つが同じ夜にいなくなって……!」
「ちがう、それが有り得ん、と言うとるのではない。
わしが言っておるのは、中身のない人間があの人形と惹き合うはずがない、ということなのだ」
「え……?」
老人の言っていることが、理解できるようで理解できない。つまり、つまり?
「あの人形は自分の中身を探しておるのだ。だから、中身を持っていない人間と惹き合うなんてことは有り得んはずなのだ。
それが、サイくんと惹き合っているということは……もしかしたら、サイくんは本当は記憶を喪ってはいないのではないか?」
そ、んな。それこそ、有り得ない。サイがぼくに嘘を話したっていうのか?
もしそうだとして。それをぼくに話すメリットは? わざわざ事務所を開いてまでナクシやウセモノと関わろうとした意味は? もし老人の言っていることが事実なら、サイの行動と言動に、大きな矛盾が生じてしまう。
「それは――それこそ有り得ないと思います。
ぼくはまだサイと出会って二ヶ月少々しか経っていませんが、それでも彼女が信用し信頼に足る人物であることはわかる。
そんな彼女が、ぼくに嘘をつくとは思えない」
「ふむ」
だから、否定した。老人の仮説が事実であるはずはないし、たとえ事実だとしてもそれを認めたくはなかった。
「ならば」
そして、老人はもう一つの可能性を口にする。
「サイくんは、記憶を喪ったわけではない、かもしれない。ただそれを忘れているだけかもしれん。
喪う、というのはそのものずばり、失くしてしまうということだ。どこかに落っことしてきてしまって、見つけようがないことだ。
対して忘れているだけならば、それはまだサイくんのどこかにあるということだ。記憶というならば、どこか頭の引き出しに仕舞いこみ……見つけられないだけなのではないだろうか」
「忘れて、いるだけ……?」
老人の言葉を言い換えるなら、そこに存在しているかいないか、ということだ。
喪うということは、存在していないということ。忘れているということは、存在しているということ。その二つは大きく異なる。
「――もしそうだとして。それなら、サイは人形と惹き合うんですか?」
「うむ、惹き合う。忘れているだけなのなら、記憶は彼女の中にあるのだ。
人形はそれを見極める。そして、彼女の執着に目をつけて、彼女から自身の中身を学び取ろうとしているのだろう」
サイに、中身が存在している。中身のない、空っぽの存在と自身を卑下したサイの中に、彼女を構成する要素が存在している。
「もしそうだとしたら、彼女の記憶――彼女の中身を探すためには、どうしたらいいですか」
気付けば、そんなことを聞いていた。サイの中に彼女の記憶が眠っているというのなら、それを起こしてやらなきゃいけない。だって、サイはそれを望んでいるんだから。
「……やり方は、ひとによって様々だ。そもそも、見つからんということは、本人がそれを心のどこかで拒んでいる可能性もある。
それでもぼっちゃんが、サイくんの探しものを見つけてあげたいと望むなら」
老人は、右手をゆっくりと動かす人差し指で、ぼくの胸をとんと突いた。
「一緒に探してあげなさい。きっとそのうち、見つかるだろう」
一緒に、探す。それはぼくがサイと約束したことだ。約束は、守らなきゃいけない。そう、ぼくはサイと一緒に彼女の記憶を探すのだ。だからそのために、今は彼女を探さなくちゃ。
「人形は、どこにいますか」
「自身のルーツを探しておるのだとしたら、自身が生まれた場所におるやもしれん。
あの人形は、南曲野にある、とある工房で作られたんじゃ。今はもう誰もおらん、廃墟になっておるじゃろう。
人形単身では困難でも、サイくんと一緒におるのだとしたら、そこに向かっておるのではなかろうか。地図を描いてあげよう」
「南曲野……」
今まで、あまり行ったことがない場所だ。そこに向かったって確証はないけれど、とにかく行ってみるしかないだろう、と。ポケットにぶぶぶと振動。
「……公衆電話?」
取り出した携帯、ディスプレイにはそう書かれている。老人に目を向けると、老人は一度だけ大きく頷いて見せた。通話ボタンを押す。
『あ、セキさん! ちょっと有力な情報掴んだっす!』
電話は案の定パシリからだった。少し興奮したその声で、パシリはまくし立てた。
『今朝早くに、写真とよく似た女の子がバスに乗ったって情報を得たんすよ! その行き先っていうのが――』
「もしかして、南曲野?」
『あれ、なんでわかたんすか? まぁとにかく。
画伯にも連絡して、これから行ってみないっすか、南曲野。もしかしたら、ってこと充分有り得るっす』
「……わかった、画伯にはぼくから連絡する。今どこ? 通りのコンビニか、わかった。そこにいて。すぐ合流しよう」
通話を終える。老人はぼくの顔を見ていた。
「あの、ぼく、行かなくちゃ。教えてくれて、ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げた。老人はぼくに頭を上げさせ、首を振る。
「サイくんがいなくなってしまったのは、このじじいのせいじゃ。すまんかった」
ぺこり、と。今度は老人が頭を下げた。ぼくは慌ててその肩に手を置いて、それを否定する。
「いえ――おかげさまで、サイに恩返し、してあげられそうです。ありがとうございます」
「恩返し、か。ぼっちゃんは、と本当に優しいのだね」
ぼくの言葉に、ほほ、と老人は笑った。なんだか、背中がむずむずする。
「あ、そうだ」
そんなやりとりをしているうちに、老人にまだいくつか疑問があったのを思い出す。
「あの、どうして昨日――プレゼントを渡すのが女の子だってわかったんですか? その、人形って、普通は女の子にあげるものだから」
昨日の会話。ぼくはあと一人分のプレゼント、としか言わなかったのに、どうしてこの老人はそのプレゼントがサイ向けだとわかったのか。
「あぁ、それはだね」
老人は再びメガネを外し、ことりとカウンターに置く。ゆっくりと振り返った老人は目を細めてぼくを見ていた。
「このじじいはね、ある時から他人が何を欲しがっているのか、なんとなくわかるようになったんだ。いつからだったかは詳しく覚えてはいないが……気が付いたら、そうなっていた。
だからね、ぼっちゃんがどんなひとにそれを渡したいと思ったのかがわかったんだ」
「……――」
それはもしかして、この老人は、画伯と同じ系統の能力を持ったナクシということか。
「あの人形はね、ずぅっと昔……まだわしが若いころに、それを作った人形師の友人から譲り受けたものだ。やつの遺作だな、あれは。いつまでも寝かせておくよりはよかろう、と思ってぼっちゃんに託したのだが……。
そういえば、そいつと死に別れてから、だったかもしれんな。他人が何を欲しがっているのかがわかるようになったのは。
奇しくも、あの人形が自分の中身を欲しがっているということを知って、わしは自分にそういったことができるということに気付いたのだが」
「お友達を……」
友人を喪いナクシとなった老人。きっと大切な友人だったのだろうな、と思う。
「人形は、お返ししたほうがいいですか?」
「いや、あれはもうぼっちゃんのものだ。好きにするがいい。だが、できたら大切にしてやってくれると、きっとあいつも喜ぶのではないかな」
そう言って、老人はほほ、と笑った。
「さ、もう行きなさい。お友達が待っているのだろう?」
「……はい、失礼します。ありがとうございました」
深く頭を下げ、老人に背を向ける。店を出る間際「頑張っておいで」と、老人はぼくの背中にそう呼びかけた。
昼を回って太陽が翳り始め、ますます寒さを増した曲野市。南曲野は建物が多い割にどこか殺伐としていて、普段東曲野のごみごみとした、しかし活気のある雰囲気に慣れているぼくらには、その場所は少々異質だった。
「で、セキ。その工房の場所というのはどのへんなんだね」
「あ、えっと」
ポケットに突っ込んだ紙を取り出す。少ししわくちゃになってしまったそれを広げて画伯に渡す。それを見た画伯は顔をしかめて、
「南曲野に詳しい人間ならわかるのかもしれんが。パシリ、わかるかね」
「えぇっと――これ、たぶん三番通りじゃないっすか」
なんと、パシリは南曲野の事情にも明るいのだろうか。
「昔、この地区で働いてたこともあるっすから。この地図、図書館があるって書いてあるじゃないっすか、図書館があるのは三番通りなんすよ。だから、とりあえずそこまで行ってみるのがいいんじゃないかと思うっす」
「道案内、お願いできる?」
「うっす、こっちっす」
パシリを先頭に、ぼくらは歩き始める。
「そうだ、諸君。これいるかね」
画伯ががさがさ、と手に持ったビニールから銀色の容器に入ったゼリー飲料を取り出す。時間がない朝などによくお世話になるアレだ。
「あ、ありがたいっす。さっきからもう、腹減っちゃって」
「朝ごはん、食べてないもんね」
一人いっこずつそれを受け取って、じゅるじゅるとすすりながら移動する。しかし、画伯のビニールはそれで空っぽになったわけではないようだ。
「それ、他は何が入ってるんすか?」
パシリが聞く。
「これはサイのだ、やらんぞ。……チョココロネと、チーズ蒸しパンと、いちごオレだ。あの子も、朝から何も食べていないはずだしな、お腹を空かせているだろう」
画伯は、サイのことが本当に大切なんだな、と思った。きっとこれらみっつは、どれもサイの好物なのだろう。甘いもの好きな彼女らしい。
しかし、サイが大切なのはぼくらも一緒だ。早く見つけてあげないと。
「あ、あれじゃない、図書館!」
二階建ての、大きな建物を指差す。若干古びたその建物の看板には『曲野市民図書館』と書かれている。どうやらアタリらしい。
「さぁ、ここからどう行くんだね」
「えぇっと」
握り締めた地図を確認して、あーでもないこーでもない、と考え始めるパシリ。しばらくして、
「ここが表通りだから……裏通りに抜けて、そこから工場街? いや、こっちのほうにこんな家なんてあったっすかねー?」
「えぇい、いいからそこまで案内しないか」
「う、うっす!」
今は時間が惜しい、そもそもじっとしていられないのだ。ぼくらはばたばたと移動を開始しようとして、
「画伯、セキ。ちょっと問題があるんすけど」
パシリが深刻な顔でそう切り出した。問題?
「どうした、道がわからないのか?」
「いえ、そうじゃないっすけど」
切羽詰った表情のパシリ。もしかして、ぼくらは何か重大な見落としをしているのではないか、そんな不安がよぎる。
「……ちょっとトイレいってきていいっすか」
「……」
「……」
ぼくらは無言でパシリの頭をはたいた。そして早く行って来い、と画伯がの背を蹴飛ばし、パシリは半泣きになりながら、図書館に駆けていった。
「まったく、あの阿呆は」
「あはは、まぁしょうがないよ……」
生理現象というのはどうしようもないものだ。今日はとても寒いし。
「……しかし、人形がサイを連れ去ったなど、私たちでなければにわかには信じられないだろうな」
画伯が空を見上げ、息を吐く。白い吐息は風に掻き消え、ぼくは体を縮める。
「本当にサイの中に、記憶が残っているんでしょうか」
もしそうだとしたら。サイは物凄い遠回りをしていることになる。なにせ、自分が最も欲しがっているものが実は側にあるんだから。
「それはわからんさ。その記憶をサイに思い出させる方法もわからんし……」
「ぼくらが手助けをしてあげるしか、ないですよね」
「うむ。サイがそれを望むなら、私は協力を惜しまんよ」
画伯が腕を組む。がさ、と手に持った袋が音を立てた。
「……画伯は、どうしてサイにそんなに肩入れするんです?」
「ん?」
「いや、だって――サイが言ってました。目を覚ましたら画伯の家で寝ていたって。その、サイと画伯はどういう関係なんですか?」
「……ふむ」
画伯は顎に手を当てて、少し考える。
「二年前、私がこの眼になってだいぶ日常生活にも慣れた頃、一人で旅行をしまくっていた時期があってな。いわゆる傷心旅行というやつだ。
その旅先で、サイを保護したんだよ」
「保護?」
「うむ、サイはそう観光客も寄り付かないような山奥で倒れていたんだ。私はこの眼だから彼女を見つけることができたが――もう少しあのままでいたら、野垂れ死んでいたかもしれないな」
僥倖だった、と画伯は付け加える。山奥で倒れていた、サイ。それが二年前だとすれば、その時にはもう記憶を喪っていたということか。
「うむ、その通りだ。私はサイを保護して、どうしたものかと考えて結局自宅まで連れ帰ったのだ。救急車や警察、色々考えたが、どうもそれらに頼ってはいけない気がしてね。
それになにより、私は嬉しかったんだ」
「嬉しかった?」
「あぁ。私は、この眼になって、絶望した。そこから多少は這い上がってもいたが、やはり自棄になってしまうこともあったさ。
だって、他人の心が読めてしまうようなものだからね、誰が何を思っているのか理解できてしまう。それはとても恐ろしいことなんだよ、わかるかね」
「……はい」
人間は嘘をついて生きている。本心はどうあれ、言葉として出した気持ちが真実として扱われる。もし誰もが口々に本心を叫んでいたら、人間なんていうのはここまで進歩していないだろう。
「そんな眼だったから、私は自棄になっていたりもしたんだ。色も見えないのに、あえてひとのそう来ないような名勝地ばかりを選んで観光していたからな。
そんなとき、サイを見つけて……彼女を保護して。そして思ったんだ。こんな眼でも、何かを、誰かを救うことができる。誰かの役に立てるのだ、と」
誰かの役に立てる。パシリも、同じようなことを言っていた。
「だからね、私は自分がこの眼で助けた命に、サイに感謝しているんだ。自分の可能性を示してくれたサイに、恩返しがしたいんだ。
だから、私は彼女が欲しがるもののために協力しようと思った、単にそれが彼女の記憶だったというだけだよ。今まさに、恩返しの最中というわけだな」
優しい笑顔で、画伯は話し終える。それを聞いていたぼくの顔を見て急に慌てて、取り繕うように「サイやパシリには内緒だ」と付け加えた。
「はい、わかりました」
ぼくは笑顔で頷く。なるほど、サイは昔から。ぼくと出会う前から、誰かに居場所を作ることができたんだ。パシリも、画伯も、そしてぼくも。サイに救われている。
「……早く探し出してあげないと、いけないですね」
「あぁ、そうだな」
「いや、お待たせしましたっす!」
パシリがダッシュで戻ってくる。よし、休憩は終了だ。早くサイを見つけ出して、四人で事務所に帰るとしよう。
裏通りを通り過ぎて、工場のある区画まで出て。パシリは首を傾げる。
「おっかしいなぁ……」
「どうしたね」
「いや、この地図マジでありえねーっすよ」
ほら、とぼくらに地図を見せるパシリ。それを覗き込む。
「このへん、団地だとか住宅があったのってだいぶ前の話なんじゃないっすかね。オレが南曲野で働いてたときって、もうこのへん工場ばっかでしたもん」
地図には、図書館の裏の通りを抜けると市街地がある、と書かれている。現在ぼくらはその場所にいると思われるのだが、回りにあるのは背の高い倉庫やら騒音を立てる工場やら、そんなものばかりだった。
「……もしかして、昔の地図なのかな」
それは有り得る話だった。あの老人が昔南曲野に住んでいたのかどうかはわからないが、昔の南曲野しか知らない、という可能性はある。
「……画伯、色は?」
「いや、見えない。サイの色ならば、すぐにわかると思うのだが」
ここまで来ればあるいは、とも思ったが、画伯はまだサイを捕捉できていないらしい。時刻はすでに三時を回っている。陽は傾いて、もう少しすれば暗くなってくるだろう。
「しかし、このあたりであることには違いないんだし、手分けして探そう」
「そうっすね、それしかないっす」
「うむ、そうだな。では一時間後、またここで」
三人で顔を見合わせ頷く。ここまできたら、もうゴールは近いはず、サイ。もう少しだけ待っていて、すぐに見つけ出してあげるから。
一時間後。肩で息をした三人は顔を突き合わせて、全員が首を横に振った。すでに空は暗くなり始めて、寒さはさらに増したようだ。じっとしていると、体ががたがたと震えてくる。
「まずいな、この寒さでは……もし吹きさらしの場所にいたら、体を冷やしてしまう」
時間が経てば経つほど、状況は悪化していく。暗くなれば捜索は難しくなるし、サイの体のことも心配だった。
「くそ、役に立たん力だ。探しものしか出来んのに、それすら用を為さん」
画伯はうずくまって眼を閉じ、舌打ちする。今までその能力を活用してきていただけに、その能力が活路を見出さないことが腹立たしいのだろう、しかしそれは別に画伯のせいではない。
「とにかく、動きましょう。ここでじっとしていてもしょうがない」
朝からろくに食べずに動き回っていたせいで、ぼくも体力的にけっこう辛い。けれど、サイはきっともっと辛いのだ。だから、泣き言は言えない。
「そうっすね、画伯。元気だしてください! ほら、オレなんていつも役に立ってないじゃないっすか!」
「……それもそうだな」
「がーん!」
そんなことはない、と言って欲しかったのだろうか。しかし、それがパシリの役回りである以上はぼくにはなんとも言えない。
「さ、画伯。元気出して。もう少し頑張りましょう」
かがんで左手を差し出し、声をかける。画伯はぼくの顔を見て、ふぅ、と息を吐き、
「そうだな、こうなったら、意地でも見つけ出してやろうじゃないか」
ぼくの手を握って立ち上がろうとする画伯。しかし、
「……!?」
息を飲み、その動作を止めた。首だけを動かし、周囲を見渡している。
「これは……!?」
ぼくの手を握ったまま、ぐるりと周囲を見回して。画伯はようやく立ち上がった。
「ど、どうしたんですか画伯……?」
「……」
ぼくの質問に答えず、画伯は無言で手を離す。そして同じように周囲を見回した。
「セキ、ちょっと失礼するぞ」
またぼくの手を握る画伯。
「ちょ、ちょっと、画伯!?」
強く握られる手。あの、画伯。そんな、がっしり手握られたら困る、色々。画伯だって若い女性なわけだし、ぼくはそういうことにあまり耐性もないわけで。
あぁパシリがなんか、変な目でぼくらを見てる。右腕があったら頭はたいてるところだ。
「――見える」
「え?」
もう一度ぼくの手を離し、そしてまた握る画伯。いったい、さっきから何をしているのだろうか。
「セキ、しばらくこのままだ。手を繋いで歩くぞ」
「はい!?」
なんでこんな状況で!? じゃない、そういう問題じゃない。
「あの、画伯、どういうことか説明してください!」
「セキの手を握っていると、いつもは見えない範囲……より遠くの色が、よりはっきりと見える。この状態ならば、サイを見つけられるかもしれん」
「ナンダッテー!?」
パシリが大げさに驚いてみせる。そこまでではないが、ぼくも驚く。
「どういうこと、ですか」
「わからん。だが、セキの手を握っている間は私の能力が拡張されるようだ。いける、この眼なら、サイを探せる! 行くぞ、セキ、パシリ!」
ぐいぐいと引っ張られ、ぼくは歩かざるを得ない。画伯と手を繋いで歩くなんて、恥ずかしくてしょうがないけど……今はそんなことを言っている場合ではない。
パシリもぼくのあとについてきて、手を繋いだ男女とそのあとについて歩く男というよくわからない三人組になった。
工場のある並びを歩いてしばらくして、
「止まってくれ!」
画伯が声を上げた。
「どうしたっすか、画伯?」
「……この色は……」
足を止めたぼくら、画伯が一点を凝視する。その道は倉庫街に繋がっているようで、街灯もろくに設置されておらず真っ暗だ。
「この先だ、見つけたぞ」
左手でその道を指し示す画伯。パシリが地図と現在位置を照らし合わせ、
「確かに……このへんかもしれないっす」
「……よし、行こう」
ずらっと並んだ、同じ規格の建物群。暮れた街に佇むそれらはどこか不気味で、それでもぼくらはそこに足を踏み入れた。
ほどなくして、近い、と画伯が言って手を離す。周囲をきょろきょろと見回して、走り出す。ぼくとパシリもその後について走り、
「……ここだ」
立ち止まったのは、一つの建物の前。古びたその壁にはつたがびっしりと覆い、今は利用されていないらしい。ここまで来ればぼくにもわかる。その中に、確かにウセモノの気配を感じた。




