《No.16》金輪天使ミカエル
さっきまで天使が戦っていたとは思えないほど、列車の中は平穏な雰囲気だった。
エルカとカマエルは元の席に座り、再び2人だけの時間を過ごしていた。
「さっきの啖呵、良かったぜ。ありがとうな」
窓の外を見ながら、さりげなくつぶやくカマエル。こちらへは向かず、返事も求めていないようだ。
エルカはそんな様子をいじらしく感じて、あえてつついてみることにした。
「カマエルさん、なんにも言い返さないんだもん。『へっ、勝手に言ってろ。文句あるなら倒してみろよ』みたいに言えばよかったのに」
「なんだそりゃ俺のマネか。そんなゲロゲロの声してねえだろ」
エルカの声帯で成人男性の声を出すこと自体無理があるのに、その上誇張しすぎた。自分でも吹いてしまうくらいに。
「だがまぁ……アイツに対して言い聞かせられる言葉は俺には無かったしな。口に出すかは置いといて、ああいう堅物には行動で示すのが最適解なんだ」
「でも、言われっぱなしで悔しくないですか?」
「別に。罵詈雑言には慣れっこだしな」
「だとしても私が気にします。私がカマエルさんのことはあんな風に言われたくなかったんです」
今、わかりやすく口角が上がった。仏頂面が板についているカマエルでも、こうして近くで見ているとあざといくらいに変化が見える。
この場所はそれに唯一気づける、エルカだけが独占できる居場所だった。
もっとこの空間が続けばいいのに。そう思っているときほど、時間の流れは早く感じるものだ。
そして列車のアナウンスが鳴った。到着だ。天界の中心部、神の居城有する最大都市。
「ここがヴァルハラ……!!」
駅のホームに降りると、やはり行きの街とは雰囲気が違った。緊急時に間に合わせたようなものでなく、しっかりそこに根付いた景観である。
周りには警護に当たる天使が何人もいる。平常時のそこらの街より多いくらいだ。
そして当然ではあるが、列車から降りる人はいても乗り込む人はいない。皆ヴァルハラに避難するためここに来たのだから。
「あ、この変な形のオブジェ、雑誌で見たことあります。こんな降りてすぐのとこだったんだ」
「あんまりはしゃぐなよ。迷子にでもなったらアナウンスで呼び出してやるからな」
「そんな子供じゃないです!」
一歩先に改札を出たカマエル。押印済みのチケットを捨てずにポケットに入れた。
出発前のプレゼン効果があったのか。後に続くエルカも同様にチケットをしまい込んだ。
駅を出ると、正面に極太の歩道が伸びていた。特殊な石材で舗装された純白の道が続く。縁に並ぶ建物は大小様々で、手前側は観光客向けの土産屋が固まっている。
外の街と比べれば、間違いなく景観の水準は高い。華やかで煌びやかな、天界の大都市にふさわしい場所だ。
それでも少し寂しさを感じるのは、街と人混みの中に横たわる閉塞感だろうか。
すれ違う人々には楽観した表情はなく、どこか天界の終わりを予感しているような影が落ちていた。
「カマエル様ですね」
呼びかけられたカマエルが足を止める。
外で出迎えた、というよりは待ち伏せしていたのは、黒服の天使5人だった。銀輪が2人、銅輪が3人。胸元に付けられた組章は数日前に見たものと同じ、燃え盛る炎のシンボル。
皆サングラスで目を隠しているため、こうして並んで立たれると圧力を感じてしまう。
5人は一斉に膝に手をつき、頭を下げた。
「お迎えに上がりました。ミカエルドメイン事務所にて、親父がお待ちです」
「着いて早々だな。一息くらいつかせろ」
それに対して銀輪天使が差し込んでくる。
「いいえ、このまま直行願います。カマエル様とその同行者様もお連れするよう、親父からの指示です」
カマエルは眉をひそめ、数秒悩むような顔をした。
エルカが横から見ていると、それに気づいたカマエルが表情を直して正面に向き合う。
「わかった。別に逃げやしねえのによ」
「送迎用の車はこちらです」
道端に停められていたいたのは、いかにも役職持ちが乗りそうな黒塗り高級車だった。
前方と後方には、天使がつけている組章と同じエンブレムがつけられている。
銀輪天使が運転席につき、残りの天使は乗車せずその場に残った。エルカとカマエルは後部座席だ。
すぐに車は出発、ヴァルハラの車道を走り抜けていく。スモークがけの窓ガラス越しに外を見ると、まるで自分が役職持ちのお偉いさんにでもなったような感覚だった。
ただ運転士の銀輪天使とカマエルが無言を貫くので、車内の空気は重苦しい。とても列車の時とは違ってはしゃげる雰囲気ではなかった。
やがて着いたのは、高い堀と柵に囲まれた公民館のような建物だった。門の前には警備をしている銅輪天使が2人。運転士の顔を確認するなり、鉄の格子が開かれる。
門のすぐ裏側に車が停められ、3人は下車する。
「親父は3階の応接室にてお待ちです」
銀輪天使は着いてこないようだ。再びエルカとカマエル2人での行動になった。
石畳の道が建物まで続き、脇には立派な松の木が植えられている。少し奥には池と灯篭も見える。
ここは繁華街のすぐ隣に位置しているのに、外界の喧騒をシャットアウトしているような静けさだ。聞こえるのは石畳を踏む足音、池に流れる水の音のみ。
この不気味な静寂が、自然と身を引き締めさせる。エルカは無意識にカマエルの背に隠れるような歩き方になってしまっていた。
敷地奥の建物は内装も公共施設のそれだ。受付のカウンターのある玄関から始まり、無機質なコンクリートの壁に挟まれた廊下をいく。外と比べて飾り気がない。
エレベーターの到着を待つ間、それまで無言だったカマエルが口を開いた。
「できることなら、ミカエルをエルカに会わせたくなかった」
「ミカエル……カマエルさんの上司ですか?でもお話聞いたら気になっちゃうじゃないですか」
「一応言っとくが、アイツの言うことは1から10真に受けなくていいからな。マトモな人間からすれば毒みたいな天使だから」
「そ、そんなにですか。一応、気を付けます」
「そうやって気張ってる奴を手玉に取るのが得意なんだよ」
程よくリラックスしてればいい。アドバイスが加えられた。
エレベーターに乗って3階へ。奥側のドアの表札には「応接」と書かれている。カマエルがネクタイを締めてスーツを正し、ノックする。
「入るぞ」
返事を待たずに中へ踏み込む。
応接室は縦長で、中央の大理石テーブルを椅子が挟む。カマエルの言う上司、ミカエルは目線の先にいた。
「よく来てくれたな」
年輪の刻まれた、渋い声だった。祖父が孫を実家に招き入れるような、優しげなトーンだった。
テーブルの奥側、豪華でエグゼクティブな本革の椅子に鎮座している男だ。
その鋭さは刀剣のような目、薙刀のように研がれた眉。顔つきは岩のように無骨な造形である。
スーツは派手ではないが、着こなしに一切の迷いを感じない。そして頭上に輝く金色の天輪が、この男の格を示している。
ごくり、とエルカは息を吞んだ。
たしかにこの人はカマエルの上司だ。前評判と自身のイメージは何ひとつ間違っていなかった。
「白々しいんだよ。何度も物騒な刺客を送り込んできやがって。あの指令状もだ、あんな渡し方されて話に乗る奴がいるか」
「だがお前はこうして帰ってきた。俺の思い描いたとおりにな」
今少し、エルカを見たような。そう感じた時には既に、カマエルの眼光に向き合っていた。
「座れよ。半年ぶりの再会だ、立ち話じゃつまらんだろう」
2人は目配せをし、正面の椅子にそれぞれ腰掛ける。
「刺客の件はオリエンテーションってやつだ。ヴァルハラでのお前の評判や天使の現状、それを伝えるに丁度いい人材が名乗り出てくれたんでな」
「いい迷惑だ」と苦虫を嚙み潰したような顔をするカマエル。
ミカエルはその反応を見慣れているのか、気にも留めない様子だ。軽く流して隣のエルカへ視線を向ける。
「それとリッターから話に聞いた。件の銅輪|《天使》がその娘か」
自身の話題に、エルカは短く会釈をする。
「エルカです」
こういう時は「お世話になっております」と言えばいいのだろうか。「カマエルがお世話になってます」とは、天地がひっくり返っても言える度胸はない。
「確かに妙な感覚だ。報告を受けてから銅輪天使の名簿を洗いなおしたが、そんな娘の記録は見つからなかった。しかしその天輪は間違いなく本物だろう」
ミカエルはエルカの天使事情を察しているようだ。隠す必要もないので、カマエルはその旨を明かした。
「気が付いたら天輪が浮かんでたんだと。試験も受けてない。だからほとんど一般人と同じだ」
「ほう。それが事実だとしたら、恐ろしい貧乏くじを引いたものだな。今年、銅輪試験の合格者はおろか、受験者さえゼロという不作の年だ。神に使い捨てにされることを恐れているんだろうが、こんな形で天使が補充されるとは」
ミカエルの言ったことは、彼の目線では正しいのかもしれない。しかしエルカにとっては的を得ないものだった。
今年天使になった唯一の合格者は、カマエルとエルカだけが知っている。神に背くことすら恐れず愛する人の元へ向かい、最後は紫水晶に消えた男がいることを。
そして何より、
「私、今では天使になっちゃったことは後悔してないです。大変なことはありましたけど、私がカマエルさんに会えたのは、きっとこの天使の輪っかのおかげですから。それだけでも天使になってよかったと思っちゃうくらいです」
……ミカエルの口角が、ほんの少し吊り上がったような。
この発言を嗤ったようには見えなかったが、少しセリフがクサかったか。言い終えた後で気づいても、もう遅かった。
「ずいぶんと信頼されているようだな、カマエルよ。金輪のお前も悪くはなかったが、今の透輪天使もサマになっているんじゃないか」
「冷やかすな。首突っ込まない方がおかしい場面に出くわしただけだ」
「お前の長所は、妙に未練がましいところだ。失墜した後も天使だった頃の自分を忘れきれず、天界人の騒動に手を出してしまった……そんなところだろう」
「他人の内面を見透かしたような態度は相変わらずだな。神にでもなったつもりか」
「それが人の上に立つということだ。部下を効率良く使いたければ、そいつの人となりくらいは知っておくべきだろう。性格や生い立ち、将来設計、戦闘スタイル。女の好みやケツの味もな」
「け、ケツ……!?」
思わずエルカは肩をはねさせてしまった。
あまりにも平坦な口調で言うものだから、聞き間違いとすら思ってしまった。気恥ずかしさからカマエルに視線を投げるが、彼はうんざりするような横顔を見せるだけで気づいてくれなかった。
「お前に組が持てなかった理由でもある。今後天使に戻るなら覚えておくといい」
「いつ天使に戻るって言ったよ。俺がこの話に乗ったのは天界を救うためだ」
その発言に驚いたのは隣にいたエルカだ。カマエルは天使に戻る気はない、それなら何故。
指令の内容は『天使に戻してやるから天界のために働け』、これで間違いないハズだ。報酬を無視して仕事だけ受けようとしているのである。
困惑するエルカとは対照、ミカエルは喉を鳴らして笑っていた。
「面白い。やはりお前は俺の右腕だ。天使の本懐をよく理解している。天界を守護するためなら地位も名誉も、命すらも捧げて戦う。その相手が冥界の神であろうと、異次元の侵略者であろうと。……天界の神であろうとな」




