第80話 窓辺の2人
本日五話目の投稿です
ティアナの耳元で、ハルはゆっくりと語り始める。
息が当たるほどの距離に、ティアナは鼓動が高鳴るのを感じながら、ハルの言葉を噛み締める。
「母親の期待を裏切る意味も、レイに負わせる痛みも、考えていなかった。ただ、レイを助けるために、全てを犠牲にした」
レイの泣き声を思い出しながら低い声で続けるハルは、どこか苦しそうで、まるで許しを請う罪人のようにか細く見えた。
「俺のせいで、レイが苦しむことも、一族からの体罰がより一層ひどいものになることも。俺が捨て駒にされることも、レイが死に駒にされることも。俺があの時、ちゃんと考えていれば、レイはあんなに苦しむことがなかったのに」
少しだけ声を震わせるハルの顔はティアナからは見えず、だがその声は泣いているのかと思うほどに弱々しかった。
「あんたも、苦しいんじゃない」
自分の肩に乗っているハルの頭を、ティアナは優しく撫でる。
呆れたように、寄り添うように。
(昨日の夜も、ハルとここで、同じようにこうしていたんだっけ)
「大丈夫よ。レイが苦しむことになったのは、あんたのせいじゃない。それに、分かっているでしょう?」
昨晩の出来事を思い出しながら、ティアナはハルに語り掛ける。
諭すように、慰める様に。
「レイは、ここに来て、苦しんでいると思う?」
学園に来てからのレイの姿は、初めて触れるものが溢れ、その全てを堪能するようで、その表情は穏やかな物であり、真っ直ぐ、自分の足で立っていた。
それを思い出したように頭を持ち上げようとするハルを、ティアナは右手で押しとどめ、もう一度肩に頭を乗せ直す。
「レイは、ここに来れて、よかったんじゃない?」
「……あぁ」
優しく、包み込むようなティアナの声に、ハルは再度声を震わせる。
(やっぱり、どれだけ威勢を張っても、お兄ちゃんなのね。レイの為を思って、決断して、後悔して、悩んで、悔やんで。……一番、人間らしいじゃない)
「ハルの行動で、ハルの決断で、レイはここに来れた。なら、あんたが悩む必要はある?」
ティアナはハルの手を握り、肩に乗った頭に自分の頭を乗せる。
ティアナの表情は、苦しげなものから穏やかなものへと変わり、ただ、ハルの事だけを想っていた。
「……ないんだろうな」
「そうよ」
ハルの結論を、ティアナはきっぱりと言い切るように肯定する。
ようやく解放された自分の頭を上げながら、ハルはティアナの顔を見直す。
涙の跡は消え、聖母のような微笑みを向けるティアナに、ハルは泣きそうな顔で笑い返した。
「あんたが悔やむのは、レイが泣いてからでも遅くはなかったのよ」
レイの泣き叫ぶ声が未だ耳から離れることの無いハルに、ティアナの言葉はまさにトドメであった。
「……そうか」
手を握ったまま見つめ合う2人は、穏やかで、気持ちに決着はつかずとも、過去の行いにケリをつけたハルは、ティアナに再度寄り掛かる。
「俺は王族が嫌いだ。必ず、滅ぼしてやると、そう決めていた」
宣言をし直すように、ハルはティアナへ告げた。
ハルの言葉に、ティアナは動じることなく受け止め続ける。
「お前だって、例外じゃない」
「でしょうね」
はっきりと告げるハルに、ティアナは迷うことなく言葉を飲み込み続ける。
「だが、お前は、最後でもいいかもしれないな」
体を起こし、ティアナへと視線を向けるハルの顔には、落ち着いた笑みが浮かんでおり、窓から差し込む西日と相まって、それは流麗なものであった。
ハルの姿に、ティアナは再度眼を見開き、鼓動を跳ねあがらせる。
「……貴方がなぜ王族にこだわるのかは分からないけれど。でももし貴方が何か良くないことを企むのであれば、その時は絶対に止めて見せるわ」
ハルの言葉を冗談と流すことなく受け止めたティアナに怒りは無く、ただ嬉しさに似た感情が広がっていた。
互いを見つめ、優しく微笑む2人は、誰よりも美しかった。




