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第一章 戦場 -8-


 ソラの前に立ちふさがる傭兵団のリーダーを振り払い、ソラは真っ直ぐに竜への突撃を再開した。その視線の先では、左腕を失い痛みに悶絶している男へ、竜が止めとばかりにその爪を振り上げている。


「――させるかよ」


 同時、ソラは腰から高周波ナイフを抜き払った。鞘と刃が擦れる心地良い音で尾を引くように、滑らかにソラはそのままナイフで一閃する。

 同時、振り下ろされるはずだった竜の右腕が宙を舞った。大量の赤黒い鮮血がばちゃばちゃと辺りに水たまりを作る。

 その痛みに竜が泣くように雄叫びを上げ、ソラから遠ざかっていく。だが、周囲を炎の壁に囲まれたこの状況ではそれも思うように行かないようで、ただ殺気を漲らせた瞳でソラの様子を窺うばかりだ。


「今の内に撤退しろ!」


 ソラが声を飛ばすが、左腕を失った男はその場から動かない。いや、動けないのだろう。

 腕一本をぐちゃぐちゃに潰されて、まだ意識があるだけ僥倖だ。逃げることはおろか立ち上がることを求めるのさえ無理だろう。

 だが、彼らの仲間は手を差し伸べもしなかった。


「今がチャンスだ、突撃だ――――ッ!!」


 ソラが腕を斬り落としたのを好機と見てか、仲間になど目もくれずにリーダーは突撃の命令を出し始める始末だ。

 それに心の底から舌打ちするソラだが、しかし、そのリーダーの言葉に従う者はいなかった。

 何故なら。

 叫んだリーダーの頬を、リアが手酷く引っ叩いたからだ。


「いい加減にしろ……っ」


 鏡のような水面を割ったような残響を残し、リアは真っ直ぐにそのリーダーを睨みつける。


「そうまでして戦果が欲しいのならくれてやる。私やソラは何もしなかったことにすればいい。だから、今は仲間の救出を優先させろ。あのまま手当てをしなければいずれ命を落とすぞ」


「――だ、が……ッ」


 まだ反抗しようとするリーダーだったが、それに意味はなかった。

 既に二人の仲間が、傷付いた男を引っ張り上げていたからだ。


「貴様ら――」


「叱責するなら後で勝手にやっていろ! このままじゃ貴様が死ぬぞ!」


 そう言いながらリアがつき飛ばすと同時、そのリーダーが立っていた場所目がけて竜が突進していた。

 もしあとワンテンポ遅れていれば、後ろで息絶えた仲間のような無残な姿になっていたのは、このリーダーだったかもしれない。


「ナイスだ、リア」


「お前が誰一人見捨てたくないと言ったのだろう。なら、傭兵団を組む私としても、その意志は尊重する」


 何の気なしに言って、リアはソラの横に並び立って剣を抜いた。そんな漫画のような理想をあっさりと掲げられるだけの強さが、彼女にはあるのだろう。

 澄んだ鈴の音のような音を響かせながら、宝剣のように美しい銀色の濡れた刃が姿を見せる。


「毒は塗ってあるか」


「刺しただけで、あの巨大な竜を絶命させるほどの猛毒だ。前回の初陣ではソラに怒られたからな。今回はきっちりと調べてきた」


「上等だ」


 そう言って、ソラは目の前で唸りながら攻撃の機会を窺っている竜を睨み据えた。


「……どうするんだ? ソラの剣があれば、一撃であの竜を殺せるのだろうが」


「首を斬れれば、な。けど、さっき攻撃を防ぐのに腕を斬り落としてしまった。あれのせいで竜の警戒心が上がっている。容易には近づけない」


 そして、近づけなければどうすることも出来ない。

 遠距離からの武装がない訳ではない。ソラのいた世界の兵士への支給品には、当然、拳銃も含まれている。だが、あの巨躯と鱗に対して小さな弾丸ひとつで何かが変わるとも思えない。


「分かった」


 なのに、リアは短くそう言った。その顔は、自信にだけ満ち溢れている。


「なら、私の見せ場だな」


 制止する余裕すらなかった。

 ソラが何かを言うより先に、リアは跳び出していた。先日の河原で見たように、彼女の速力はソラを超えている。今さら止めようにも、大声を出して彼女を怯ませる方が危険だ。

 基本的に、竜との戦いで突撃は禁じ手とさえ言っていい。間合いを詰めれば竜に攻撃されるリスクが高まる上に、たったの一撃ですらこちらは絶命するのだ。ある程度の間合いを保ちながら竜を翻弄し、隙を生み出させるのが定石だ。

 だが今のリアのそれは、無謀以外の何ものでもない。案の定、竜の狙いがリアへ向けられる。このままでは、リアが何かをする前に彼女が殺される。


 しかし、それでもソラの足では追いつけない。何より、追いついたところで竜の攻撃を防ぐ手段がないことに変わりはないのだ。腕を斬り落とせなければ、仲良くミンチにされるだけだ。

 空気が割れる音がした。

 竜の腕が、凄まじい勢いでリアへ迫る。

 だが。


「――シッ」


 彼女が短く息を吐く。瞬間、振り抜かれた竜の腕をリアがくぐるように躱し、さらに一歩を踏み出していた。リアの真上をすり抜けた腕が地面に激突すると同時、リアはその腕を掴み、前への速度を殺すことなくくるりと回転してその腕に着地した。

 そのまま走り抜け、更に跳躍して竜へ届く剣を振りかざす。顔面にまで迫れば、分厚い鱗に覆われていない目や口を突き刺せる。そうなれば、竜は討てる。

 まさに完全な勝利への形だった。理想的とさえ言っていい。

 それでも。

 あらゆる生物の頂点に立つ竜には、届かない。


「――ッ!?」


 思わず、リアもソラも息を呑んだ。

 ソラに切断されて短くなった腕を眼前にかざすことで、リアの攻撃を防ごうとしていたのだ。これでは、分厚い鱗にリアの斬撃は阻まれてしまう。

 そして、もしそんな状態になれば、空中でバランスを失った彼女はそのままなす術なく腕に薙ぎ払われる。まさに絶体絶命の窮地だった。


「リア――ッ!!」


 思わず絶叫するソラに、しかし、リアはうっすらと笑みを向けていた。その顔にある自信は、今もまだ消えはしない。

 防がれると分かった上で、それでもリアはその剣を振り下ろした。ざすっと鈍くこすれるような音があった。

 そして。

 何かにもがき苦しむように竜が咆哮を上げ、その場に倒れ伏した。


「――どうだ!」


 くるくると空中で何回転かして、リアは余裕そうに地面に足を付けた。その手にした剣には、今は毒だけでなく赤黒い液体もついている。


「鱗を斬ったのか……ッ!?」


「阿呆か。そんな芸当はお前にしか出来ないだろう」


 驚くソラにリアが呆れたように言って、その剣に付いた血を振り払う。


「鱗と鱗の隙間を縫うように斬った。あまり深く斬りつけられはしないが、それでも毒を回すだけなら十分だろう」


 どこまでも簡単そうにリアは言う。だが、それこそ、そんな芸当をできる奴などいない。

 鱗はびっしりと覆われているし、なにより当然、その腕は動く。そんな状態で、針の穴を縫うような正確さで斬りつけるなど、常人離れした身体能力だ。少なくとも、ゼクスクレイヴで培った動体視力を持つソラでも再現できない。

 そんな絶技を前に、この場の誰しもが勝利を確信した。もう既に毒剣が竜の肉を裂いた以上、命の灯が消えるのも時間の問題のはずだった。

 なのに。

 腐った果実を踏み潰すような、そんな嫌な音がした。

 バケツの底が抜けたみたいな水音がして、全身が凍りついたような寒気に襲われた。


「な――ッ!?」


 言葉が出なかった。

 何故なら。

 勝利を確信した彼らの目の前で、竜が自らの右腕を肩口から斬り落としていたからだ。ソラに斬られ既に短くなった腕は、左腕に握りつぶされるように切断されていて、もう見る影もなかった。

 痛みを堪えるように竜が雄叫びを上げる。その絶叫が鼓膜を破るような勢いで揺さぶって来て、全員がその場にうずくまった。


「毒が回る前に、自分で腕を斬り落としたっていうのかよ……ッ。そんなの、獣の生存本能の域を超えてやがる……ッ」


 傭兵団のリーダーの腰が、恐怖からか砕けていた。地べたに座り込んで、ただただ絶望していた。

 だが、それも仕方のないことだ。

 下等竜に知性はない。だからこそ、ただの人間にもまだ勝機はあった。だが、毒に対して対処をするようなら、それはもう人間の唯一のアドバンテージを奪われたようなものだ。


「あり得ない……」


 ソラでも、そう言わなければいけない。下等竜は毒に対処できない。こんな自らの生存奉納に逆らうような方法では、なおさらだ。


「まさか……ッ」


 そして、ソラは気付く。

 下等竜に出来ないのであれば、賢竜ならばどうか、と。

 人と同じ言語を放ち、魔法のような技を駆使する、おおよそ理解できる範疇を超えた特異な存在であるなら、毒に対して処置も出来るだろう。

 だが、眼前の竜は間違いなく下等竜だ。でなければ、ソラに腕を斬り落とされる理由がない。

 この矛盾を突き崩せる理論を、ソラはひとつしか思いつけない。


「下等竜を操ったっていうのか……ッ」


 今頃はジャスパー卿と戦っているであろう敵に将軍に対し、ソラはただおののいた。

 冷静に考えれば、確かに賢竜にはそんな力が備わっていても不思議ではない。知性のない下等竜が、隊列を組んでこの城に突っ込んできたということは、何らかの手段で彼らを操れなければいけないはずだ。その操作の度合いが、ただ生存本能すら食い破っているという話だ。

 腕を斬り落とせば、なるほど、毒がこれ以上は回らない。だが既にいくらか体内には巡った後だろうし、何より、あの出血ではたとえ勝ったとしても長くは生きられないだろう。人間のような器用さがない彼らでは、高度な治療が行えないのだから。

 まるで使い捨てるように戦闘を強要するその所業に、ソラは吐き気がした。


「……、」


 そして、無言のまま、ソラは一歩を踏み出した。既に竜は痛みのせいか朦朧としていて、先程までのように見るだけで殺されそうなほどの威圧感はない。紙で作られた張りぼての方が、まだ恐怖を駆り立てられそうだった。


「もう、寝ててくれ」


 その怪我でなおも迫ろうとする竜の腕を引きつけてから躱し、近づいた首へと高周波ナイフを突き立てる。

 あっさりと、豆腐でも切るようにそのナイフは分厚い鱗を突き抜けて、竜の太い血管を両断した。もうほとんど血を失っていた竜は、その一撃でぐるりと目を回して、潰れるように倒れた。


「……リア、まだ戦えるか」


「お前が戦うと言うのなら」


 その心強い言葉に、ソラは頷いた。

 もともとソラはこの世界ナヴィガトリアの住人ではない。だからこそ、ソラの立場はあくまで中立だ。

 人間側に肩入れしている訳ではなく、ソラが生きていくにはそれしかないから。だから竜を殺しているに過ぎない。たとえそれが戦場であるとしても、ソラが戦場で竜を殺すというのは、どこか屠殺にも似た行為でしかないのだ。生きる為にと自分を正当化している節はあっても、竜に対しての憎悪のようなものはない。


 だが、これは駄目だ。

 こんな惨たらしく自らの仲間を使い捨てにする相手に対して、何の怒りも抱かずにいられる訳がない。


「これ以上の無駄な苦痛を広げさせない為に、大元の賢竜を叩く。――覚悟は出来ているか」


 常人なら正気を疑うような言葉だろう。一介の傭兵ごときが、上位騎士でなければ相手取れないような賢竜を相手に戦おうというのだから。

 だがそれでも、リアは笑って頷いていた。


「お前の傍で戦いたいと言ったのは、私の方だぞ。そんな覚悟、お前を選んだときから出来ているさ」



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