第一章 戦場 -7-
澄み渡る青空の下に、鎧の擦れる音が鳴り響く。
アルビニアの国境付近の都市『カールライル』の城門の奥には、総勢二〇〇名ばかりの兵士が集められていた。
遠くでジャスパー卿が指揮を飛ばしている。最後列のソラたちには聞こえづらいが、要するに一〇名未満の小隊を構成して、それで一匹ずつ竜を囲っていくという作戦のようだ。
ジャスパー自身は、先日ソラたちの前に現れたときとは違い、身を超えるほどの大剣を地面に突き刺して構えていた。その威圧感は、前の世界で幾度となく戦場に立って来たソラですら軽く身震いするほどだった。
「……何とも言えない緊張感があるな」
そんなソラの横で、リアはそう言った。その表情はいつもの天真爛漫な笑顔とは違い、どこか強張って見えた。
「俺に活躍を見せるんだろう? 傭兵団を組みたいのなら、最低でもそれは必須だぞ」
「分かっているさ。分かっては、いるが……」
リアにしてみれば、これがほとんど初陣だ。自らの命が懸かっていると嫌でも認識させられる、正真正銘の殺し合いだ。それが眼前に迫っているというのに、一切緊張しない方がどうかしている。
その様子は、ソラの胸にチクリと痛みを残す。何か声をかけねばと、そう思わせる。
「……大丈夫だ」
そう言って、ソラは言葉を区切った。だが、いつまでたっても二の句は出てこなかった。
君は俺が護る。
そう続けようとしたのに、声にはならなかった。そんな言葉が自分の口から出ることを、全身が拒否しているかのように。
彼女を守れなかったくせに、今さらどの面下げてそんな誓いを立てるのだ。そんな風な声が、どこからともなく聞こえてくる。
「……そうだな。あぁ、お前がいれば大丈夫な気がする」
だが、リアは何も言わないでもそう補填してくれた。彼女の表情も、いくらか和らいでいるように見える。上手く言えなくとも、彼女は察してくれたのかもしれない。
「――来たようだな」
そんな二人に、凛とした声が届く。その声のした方を見れば、黄金の鎧を鳴らしながら、ジャスパー卿が真っ直ぐにソラとリアの前へと歩いて来ていた。恭しくお辞儀をする二人を制しながら、彼は言う。
「君たちの活躍、期待している」
一介の傭兵には過ぎたその言葉に周囲が訝しむ中、リアは満足そうに、ソラは少し面倒そうに頷いた。
やがて。
竜の侵略を見ていた早馬が、城壁を叩く。
戦争の始まりだ。
「敵の分断は私が引き受ける! 最奥に座すであろう賢竜もまた私の得物だ! 貴公らは、下等竜を一匹残らず討ち払ってくれ!!」
ジャスパー卿の雄々しいその言葉と共に、城門が開かれる。
同時、森の木々を踏み倒して竜の軍勢が姿を現した。数にして二十程度だ。だが人と竜の個々の力の差を鑑みれば、ほぼ互角と言える戦力だろう。
それを見て、ジャスパー卿はゆっくりとその大剣を振りかざす。
同時、巻き起こった業火の塊が見る間に膨れ上がって空を覆った。容積にしてプール一杯分は軽くあるだろう。熱波だけでも味方のソラたちまで焼け焦げそうだった。
「――しッ!」
空気の弾丸を放つような力強い声と共に、ジャスパー卿が振りかざした竜装を真下へと一閃した。
それに呼応して、まるで雨でも降るようにその業火の塊は地面へと突き刺さった。散開して躱す竜たちだが、一度地面に刺さった炎は消えることなく柱となってそこに存在し続ける。
やがて、炎の塊は全ての竜を分断する業火の壁へと姿を変えた。
「……これが竜装の力なのかよ……っ」
ソラは初めて見るその力に、ただ驚いていた。
あの剣はどこからどう見てもただの剣だ。内部にガスを蓄えるような容積もないし、炎の形を自在に操るような装置もない。
まるで賢竜のように、この世界にだけ存在する超常の力だ。それはもはや、ソラたちの乗っていたアサルトセイヴにすら土を付けるのではないだろうか。
「さて、ソラよ。私たちも己の役目を果たすぞ」
味方の武装への脅威を滲ませながらも、リアは平静を装ってソラの手を引き、眼前の敵へと立ち向かおうとする。
だが、身を割り込ませて同じく傭兵の男がリアを突き飛ばした。思わず、引かれていたはずのソラが、彼女の身体を抱き止める形になる。
「女は邪魔だ、下がってろ」
にやにやとその男は厭味ったらしい嘲笑を浮かべる。今から共闘しようというのに、円滑な関係を築こうという気配が微塵も感じられない。
やがて、その男は七人の仲間――おそらく彼らは傭兵団なのだろう――を引き連れて、真っ先に竜へと刃を振りかざした。
「……どういうつもりなのだ、あの男は」
慣れたように戦い始めた彼らを見ながら、リアがあからさまに不機嫌そうな顔をする。だが、ソラとしてはこの程度はいつものことで、さして怒る気にもなれない。
「戦争だからな。戦果の奪い合いは普通だよ」
彼ら傭兵が戦いに赴く理由は、市民を守る為などでは決してない。金が欲しいから。その一言に尽きる。
そんな彼らが、日当だけでなく、竜を討伐した特別報酬を得たいというのは当然だろう。しかも、幾度の戦役の中で戦果を上げて騎士団の仲間入りを果たせば、今とは見違えるような生活を送れるようになる。たとえ下流の騎士からのスタートであろうとも、その日暮らしの傭兵よりはよっぽど安泰だ。
こうして若い男たちが剣を取って命を懸けるのは、そんな大望を抱いているからなのだ。
「だが、共に戦う仲間であろう?」
「俺たちがそうは思っていても、向こうがそう思ってくれるかは別問題だ。――今回の竜は二十匹だぞ。必然、褒賞を得られるのは最大で二十の個人か傭兵団しかないんだから」
自身の人生を変える為の、一世一代の大博打に打って出ようと言うのに、その枠は十分の一以下だ。そうなればこうしてピリピリとするのも無理はない。
ましてや、ソラとリアは事前にあの上位騎士であるジャスパー卿から激励の言葉を賜っている。他の傭兵たちには、ソラたちこそが戦果を上げる本命に見えているはずだ。
だからだろうか。眼前の八人で構成された傭兵団が、どこか焦っているように見えた。
竜への対処は手慣れている。振り下ろされる太い爪や、死角から暴れて薙ぎ払う丸太のような尾など、竜の些細な動きにさえ対応し、確かに躱している。
だが、しかし。
本来取るべき間合いよりも、遥かに近い位置で竜と立ち回っている。
「――不味い……っ」
あの傭兵団に任せてもいいかと思っていたソラだったが、その判断は誤りだったと遅れて気付かされた。
あの距離では、もう不意の一撃を躱せない。今は経験則のおかげかどうにか躱せているが、僅かな不運が重なるだけでそんな些細なアドバンテージは砕かれる。
竜の膂力は、人の想像するそれを遥かに超えている。竜が軽く薙ぎ払うだけで、ダンプカーが激突したかのような衝撃が襲うのだ。そんな力に対して防御は意味を成さないから、騎士も傭兵も鎧は全身甲冑ではなく、チェストプレートなどだけの簡素なものにして、徹底的に回避力を最優先にしてきた。言うなれば、速力こそが彼らの命を守る鎧となっているのだ。
竜の間合いに近づくということは、その回避という鎧を一枚ずつ脱ぎ捨てていくようなものなのだ。確実に仕留められるならいざ知らず、迂闊に踏み込むことは即座に死に繋がる。
「よし!!」
だが焦燥でそれにも気付いていないのか、傭兵の一人がさらに一歩を踏み出した。この世界での戦闘経験の浅いソラでも分かる、絶対に侵してはならない領域へ。
瞬間。
音が消えた。
ソラの真横を風が駆け抜けた。彼の頬を、生温かい数滴の液体が叩く。
「……あ?」
何が起きたのか、その傭兵団のリーダーには理解できなかったのだろう。だが、そこにはもう現実しかなく、次第に、絶望と共に理解が広がっていく。
ソラの背後にまで吹き飛ばされたそれは、全身を真っ赤な肉塊に変えて崩れ落ちた、仲間だった何かだ。
そして。
巻き込まれて横へ弾かれていた彼の仲間もまた、遅れて叫びを上げた。
「――っがぁぁぁあああああ!?」
彼の左腕は、臓腑のように柔らかく不気味なものへと変えてしまっていた。幸いにも胴体や頭は無事のようだが、あれではもう左腕は諦めるしかないだろう。
「――バカ野郎が……っ」
思わず悪態をつきながら、ソラはただ突進した。策などありはしない。だが、このままではせっかく左腕だけで助かった名も知らぬ仲間が、背後で肉塊と化した彼のように、今度こそ殺される。そんなことをソラは許容できない。
「下がれ!」
このまま後退しようとしたソラに対し、しかし、傭兵団のリーダーは立ち塞がった。
「戦果を横取りする気か! ふざけんじゃねぇぞ!!」
そのあまりに身勝手な言葉に、ソラは一瞬理解が出来なかった。
彼は、仲間の命よりも名誉が欲しいと、そう宣言しているに等しい。
「状況を見てから言え! お前の仲間が死んだんだぞ!?」
怒号を飛ばすソラに対し、しかし、傭兵団のリーダーは震えていた。まるで、そんなことは言われるまでもないとでも言うように。
「……だからこそだ」
唸るような声だった。しかしそれは震え、今にも涙を零しそうな、そんなアンバランスな何かだった。
「だから、今さら引き下がれない! あの首を取るまでは、絶対にだ!!」
その叫びだけで、ソラは気付いてしまう。
金欲しさに焦った結果、無駄に仲間を一人犠牲にしたのだ。ここで無残に撤退すれば、それこそいったい何の為に彼が死んだのか分からない。
だが、たとえ無茶や無謀であったとしても、ここで竜を討ち取れば『竜を殺す為に犠牲になった』という題目が得られる。何も持ち帰らずに帰るよりは、そんな名誉だけでも彼の墓も華やかになるだろう。
だから、もう彼は引き下がれなくなってしまった。
これ以上犠牲が拡大すると知っていながら、それでも、もう後には引けない。
「――ッ」
怒りはある。だが、その様にソラは文句が言えなかった。言う資格がない。
かつて、あの世界で犯したソラの過ちはまさしくそれだ。あれ程の仲間を見殺しにしておいて結局「勝てませんでした」では、自分の中に筋が通らない。だから、事態を悪化させるだけだと分かっていても、立ち向かわなければいけなかった。
その結果が、アイリス・ホワイトブレットの死だ。
あの悲劇がなければ、世界がどうなっていたかは分からない。あれがなくとも世界は崩壊していたかもしれないし、逆に、アイリと幸せに過ごす未来がまだあったかもしれない。
それを一時の感情に任せて摘み取ったソラが、どの口で説教を立てるというのか。
「……もういい」
だから、ソラは短くそう言った。
今さら傭兵団のリーダーにソラが言えることはない。ならば、行動で示すのみだ。




